「研究時間は全体の1割」日本の若手研究者が直面する、厳しすぎる現状
9月28日、日本の学術界の代表機関ともいわれる「日本学術会議」に所属する若手研究者たちが連名で見解を発表しました。
背景には、若手研究者たちの間に「このままでは日本の科学研究は、国際競争力を失う」という強い危機感が広がっていることがあります。研究現場で、何が起きているのか。見解を発表した日本学術会議「若手アカデミー」幹事の小野悠さんに聞きました(※)。
ーー
「小野先生、論文のチェックお願いします」「もちろんもちろん、あ、そういえばこの書類に印鑑もらえる?」
愛知県豊橋市にある、豊橋技術科学大学。小野悠さん(40)の研究室には、所属する留学生たちがアドバイスを求めて次々と訪れる。
日本語・英語を使い分けながら指導し、時には生活や役所の手続き、卒業後の進路に関わる相談に乗ることもある。
(小野さん)
自分の専門は都市工学、主な研究テーマは「インフォーマル市街地」です。
インフォーマルとは「非公式」という意味ですが、人口が急増している国などでは、国や自治体が計画したわけではないのに、人が特定の地域に集まって市街地が形成されることがあります。
そうした場所では、公共インフラの不備や感染症の流行などの問題が生まれる一方、独特の文化や生活スタイルが花開くこともあります。
日本は少子高齢化による「人口減少」が問題化しているが、世界的にはむしろ急激な「人口増加」による環境への負担や食料不足などが大きな問題になっている。
アフリカやインドなどでのフィールドワークをもとに研究論文を執筆してきた小野さんは、日本都市計画学会論文奨励賞や日本建築学会奨励賞を受賞するなど、この分野において活躍する若手研究者の一人だ。
都市工学分野には、例えばスマートシティの形成など世界的に注目されるトピックもある。
研究で国際的な存在感を示すことは、その国の技術の海外移転につながるなど産業への良い影響も期待される。中国やインドなどアジア各国もこの分野に力を入れており、国際的な研究競争が激しくなっている。
世界的な研究競争の中で、いわば日本の「代表選手」として取り組まなければいけない小野さん。しかしいま、「研究者なのに、研究ができない」という、何とも歯がゆい状況に追い込まれているのだという。
(小野さん)
いま仕事時間の中で、自分自身の研究に本当に集中できるのは、1割くらいだと感じます。
学生への講義や研究指導など、教育の仕事にも積極的に取り組んでいるのですが、その他にも仕事は山積みです。入試問題の作成やオープンキャンパスの実施、学会の運営業務、研究費の申請や報告書類の作成など…。
それらをこなしてやっと研究に取り掛かれるのは、夜ずいぶん遅くなってからということも少なくありません。
年々増える「研究以外の業務」
「研究者なのに研究に集中できない」
この状況は、小野さんばかりではない。文部科学省が2019年に発表した調査によれば、大学などの教員の仕事時間のうち、研究活動に充てられる時間は年々、減り続けている。
2002年には全体の46.5%が研究活動に充てられていたところ、2018年には32.9%と、3割以上も減少した。
研究に集中できない背景にあるのは、研究以外の業務の増大だ。学生への指導など教育活動、臨床試験の受け入れや学会への参加、診療活動などがそれぞれ微増することによって、研究時間が削られている。
近年では大学教員に、学生を募集するオープンキャンパスへの対応や、地域への社会サービス活動などが求められるようになっている。
それらの業務はもちろん「やって良いこと」ではあるが、それらが少しずつ積み上がることで、研究に集中できなくなっているとしたら本末転倒ともいえる。
「竹やりで戦っている」日本の若手研究者の厳しい現状
「研究者なのに研究できない」状況を生むもう一つの要因が、事務作業などをサポートする職員の不足だ。
少し前のデータだが、TIMESの世界トップ200大学に選出された米英のトップ大学と、日本の大学の教員数と職員数の比率を見たものだ。
米英のトップ大学の場合、教員数より職員数がおよそ2倍多い。一方で、日本のトップ大学では逆に教員のほうが職員より多い。
日本の大学では、研究者の数に対して事務などを担当する職員が少ないため、研究者が自分で事務作業を行わなければならない状況が生まれていると推測できる。
(小野さん)
国際学会に行くと、他の国との差を圧倒的に感じます。アメリカやEU諸国だけでなく、中国や韓国の研究者と話していても、「え、そんなことまで自分でやっているの?」と驚かれます。
海外で色々なサポートを得ながら研究をしている相手との競争は、まさに「竹やりで戦っている」状況だと感じます。
「選択と集中」が生んだ皮肉な事態
なぜ、日本の研究者は「研究以外のことに時間を奪われ、しかもサポートが少ない」状況に置かれているのか。
その理由として、日本の研究界には伝統的に「周りに頼らず、気合で乗り切れ」というハードワークを美徳とする気質があることを指摘する声もある。しかし構造的な背景として、ここ20年ほど行われてきた「選択と集中」があることは否定できないのではないだろうか。
上記のグラフは、国立大学法人への運営費交付金、簡単に言えば国から支出される80以上の大学の運営費の推移を示したものだ。近年では横ばいになっているものの、2004年から見ると2000億円近く減っていることが分かる。
年々、運営資金が減らされていくのが見えているのだから、当然、大学として新規の職員の雇用には慎重にならざるを得ない。
小泉改革以降、国は大学法人への運営費の交付を減らす代わりに、「競争的資金」と呼ばれる、研究プロジェクトごとに交付される資金を増やしてきた。
色々な大学にまんべんなくお金を投じるのではなく、成果が期待されるプロジェクトに重点的に投資することで、より国際的な影響力を持つ研究が多く生まれる…と期待されていた。
しかしこの20年間、日本から生まれる国際的な影響力を持つ研究は伸び悩み、アメリカや中国などに大きく水を空けられている。
(小野さん)
いま私の研究室に、大学から「基盤経費」として支給される運営費は100万円ちょっと。このなかで自分や学生の部屋代や、研究室で使う備品の購入費やソフトの利用料、調査資料のコピー費などを支出すると、研究できるほどのお金は残りません。それでも、かなり恵まれているほうだと聞いています。
15人いる研究室の学生がちゃんと研究できるよう、国の科研費や、財団・自治体からの助成金をいただいているのですが、そうすればするほど、申請・報告に必要な書類の作成やお金の管理の負担が重くなって、自分の研究時間はどんどん削られていきます。
厳しい状況 打開に求められるのは
小野さんたち若手研究者が感じている厳しい状況は、これだけではない。
博士号取得者の就職、アカデミアと企業の連携の難しさ、根強く残る前例主義など、日本が科学先進国として今後もあり続けていくために乗り越えなければならない課題は山積している。
政府も課題意識は強めており、2022年3月には日本学術会議に対して、研究者の研究時間確保を含む「研究力強化」にむけた審議依頼があったという。
状況が厳しさを増す中で、いま何が本質的な課題で、どんな取り組みが求められるのか?
小野さんたち日本学術会議に所属する若手研究者(若手アカデミー)は当事者として調査・議論を進め、この9月28日に見解を表明した。
「2040 年の科学・学術と社会を見据えて、いま取り組むべき10の課題」と題されたその見解には、議論の中で見えてきたいまの日本の研究現場の課題と、求められる対策がまとめられている。
(小野さん)
より良い社会を実現し未来につなげていくために、研究者の立場から科学・学術を通じてもっと貢献していきたい、そういう想いで分野や所属が異なる現場の若手研究者が見解をとりまとめました。問題は学術界に留まらず、日本社会に共通する問題も多いと思います。
解決は簡単ではないけれど、20年後に後悔しないよう、わたしたち研究に携わる一人ひとりが考え行動し、国や産業界と対話を重ね、できることからはじめていくことが大事だと考えています。この見解を通じて広く問題意識を共有し、対話・行動につなげていきたいと考えています。
【取材協力】
小野悠(おの・はるか)さん
1983年、岡山市生まれ。東京大学卒、工学博士(東京大学)。愛媛大学防災情報研究センター特定准教授、松山アーバンデザインセンター副センター長などを経て2017年に豊橋技術科学大学大学院工学研究科講師、22年1月から准教授。同年4月からは学長補佐も務める。インフォーマル市街地の研究で日本都市計画学会論文奨励賞や日本建築学会奨励賞などを受賞。日本学術会議連携会員(第25期若手アカデミー幹事)。日本科学振興協会(JAAS)第1期代表理事。
(※)日本学術会議の会員の任期は10月で更新されるため、見解を作成した当時の日本学術会議若手アカデミーは9月末をもって活動を終了しており、今後、メンバーの一部を入れ替えて改めて組織される予定。