ノーベル化学賞吉野彰さんのキャリアにみる論文博士の価値
予想された受賞
今年は吉野さんではないか…。メディアの予想どおり、旭化成名誉フェローで名城大学教授の吉野彰さんが、2019年のノーベル化学賞を受賞することが決まった。
- The Nobel Prize in Chemistry 2019
- 旭化成名誉フェロー 吉野 彰へのノーベル化学賞授与が決定
- 本学卒業生の吉野彰 先生(工学部卒)がノーベル化学賞を受賞
- 吉野彰教授がノーベル化学賞を受賞
受賞内容はリチウムイオン二次電池(リチウムイオン電池)の開発。この記事もリチウムイオン電池搭載の機械で書いており、記事を読む皆さんの多くもスマホやノートパソコンなど、リチウムイオン電池の恩恵にあずかっているだろう。納得当然のノーベル賞だ。
いつものごとく、日本人ノーベル賞受賞者決定のニュースにメディアの報道は過熱している。中でも、京都大学出身であることがクローズアップされている。また京大だ、やっぱりノーベル賞の京大だね…。そんな声が聞こえる。
吉野さんは論文博士
しかし、私が注目したのが、吉野さんが旭化成入社後に、大阪大学から論文博士号を授与されていることだ。
1948年生まれの吉野さんが博士号を取得したのが57歳のとき。論文博士のタイトルは「リチウムイオン二次電池と高出力型蓄電デバイスに関する研究」。学位授与番号は乙第9021号。いわゆる論文博士だ。
企業や病院に勤めている研究者や医師などが、大学に論文を提出して審査を受ける。審査に合格すれば博士号が授与される。大学院博士課程に入学し研究することで取得できる、いわゆる課程博士とは異なる。
かくいう私も論文博士だ。神戸大学医学部に学士編入後、研究と学業を両立させて論文を作成した。ただ私の場合、論文博士ではあるが、大学で研究しているので、諸外国にある博士号と医師免許を取得できるMD-PhDコースを模したものだった。
課程博士と論文博士は区別される。博士号の番号に甲とつくのが課程博士、乙とつくのが論文博士だ。吉野さんは乙第9021号なので論文博士と分かる。
論文博士を廃止したい文科省
吉野さんも取得された論文博士は、企業研究者のキャリアパスの一つだった。
工学部などでは、大学院修士課程修了後に民間企業に入社するのが一般的で、博士課程に進学する学生は多くなかった。
企業で研究部門に配属され、研究開発を行う。研究がまとまれば共同研究などで関係がある大学に論文博士を申請する。吉野さんのように、企業人生の集大成のような形で論文博士を取得する人もいる。
社員は早くから給料をもらい研究開発に取り組める。企業も事情の分かった社員が博士号を取得できるので都合がよい。このようにある種のウインウインの関係があったのだ。
ところが、吉野さんが博士号を取得した2005年、文部科学省の中央教育審議会(中教審)は論文博士が望ましくないという旨の答申を公表する。
なぜ論文博士は好ましくないのか。文科省は以下のような意見があることを挙げている。
- 学位は,大学における教育の課程の修了に係る知識・能力の証明として大学が授与するものという原則が国際的にも定着していること
- 国際的な大学間の競争と協働が進展し,学生や教員の交流や大学間の連携など,国際的な規模での活動が活発化していく中にあって,今後,制度面を含め我が国の学位の国際的な通用性,信頼性を確保していくことが極めて重要となってきていること
論文博士の制度は日本独自のものであり、国際的に通用しないからだという。
また、企業が社員を論文博士にしてしまうため、課程博士を採用したがらず、課程博士号取得者の就職難という問題を引き起こしているという指摘もある。
ただ、文科省も論文博士の意義は認めている。
この答申公表から14年が経過したが、今も論文博士号の授与は多くの大学で行われている。
論文博士の生産性
論文博士はなくすべきか…。
大西 宏一郎氏と長岡 貞男氏は以下のような研究成果を公表した。
課程博士と論文博士に生産性の違いはないという。この成果を踏まえ、大西氏は以下のように述べる。
とはいえ、企業も吉野さんがやられたような、ノーベル賞に値する長期的研究を行う余裕がなくなりつつある。
研究→開発→生産→販売のリニアモデルが通用せず、自前で研究開発を行うことが難しくなっているのも理由と言える。
今後吉野さんや島津製作所の田中耕一さんのような、大学院博士課程を経験しない企業研究者のノーベル賞受賞は減っていく可能性がある。
論文博士がどうなるかは、課程博士号取得者のキャリアや今後の日本の研究開発の在り方も関わる大きな問題だと言えるだろう。