タランティーノ新作を見る前に、知っておきたい50年前のミステリー
クエンティン・タランティーノの最新作「ワンス・アポン・ア・タイム・イン・ハリウッド」が、アメリカで公開中だ(日本公開は8月30日)。賞狙いの大人向け映画が真夏に公開されるのは珍しいが、これにはもちろん理由がある。今作のストーリーに出てくる事件が起こったのが、1969年の8月9日だったからだ。タランティーノは、最初から、50年という節目に合わせてこの映画を公開する計画だったのである。
「ワンス・アポン〜」は、事件についての実話ものではなく、あくまでフィクション。レオナルド・ディカプリオとブラッド・ピットが演じる主人公ふたりも、架空のキャラクターだ。しかし、映画は観客があの事件を知っているという前提のもとに展開するため、基本的な事実は知っておいたほうがいい。犯人の女性たちの視点から語る「チャーリー・セズ/マンソンの女たち」(現在日本公開中)を先に見ておくのもおすすめだが、この事件に関してはほかにもさまざまな側面があるので、その一部をここで紹介しておきたい。
猟奇的殺人事件はこのほかにも2件
事件現場は、当時「ローズマリーの赤ちゃん」で注目の人となったロマン・ポランスキー監督と、妻で美人女優のシャロン・テートが借りていたハリウッドヒルズの一軒家。ポランスキーはこの時、ロケハンでロンドンに行っており、家には、妊娠8ヶ月のテートのほか、夫妻の友人3人がいた。
日付が9日に変わった真夜中、この家に、L.A.郊外でヒッピー生活を送る前科者チャールズ・マンソン(当時34)の手下がやってくる。スーザン・“サディ”・アトキンス(当時21)、パトリシア・“ケイティ”・クレンウィンケル(当時21)、リンダ・カサビアン(当時20)、チャールズ・“テックス”・ワトソン(当時23)の4人だ。
彼らはまず、門の近辺に偶然いた訪問者の青年を射殺し、網戸をナイフで破って中に入った。彼らが最初に見たのは、ポランスキーの友人で脚本家志望のポーランド人男性。彼は何度もナイフで刺された挙句、庭まで逃げるが、最後に銃で撃たれた。彼の恋人アビゲイル・フォルガーも庭まで逃げるも28回刺されて死亡。テートの元恋人でセレブ御用達ヘアスタイリストのジェイ・セブリングも殺され、最後に残ったテートも、16回も刺された。テートを殺したとされるのはアトキンスで、彼女は、テートの血を舐め、その血で床に「pig(豚)」と書いている。
翌日、この4人は、スティーブン・“クレム”・グローガン(当時18)、レズリー・“ルル”・ヴァン・フーテン(当時19)というふたりの仲間、そしてマンソンも一緒に、L.A.のロスフェリツ地区に向かう。マンソンは、自分が昔住んだことのある家の隣を指し、これら“ファミリー”のメンバーに、「中に入って全員を殺せ」と命じた。家にいたのは、食料品店経営者レノ・ラビアンカとその妻ローズマリー。殺した後、彼らは、やはり血で「Death to Pig(豚を殺せ)」「Rise(立ち上がる)」と書き、さらに夫の死体に「War(戦争)」と刻んでいる。
また、冷蔵庫には、ビートルズの曲名である「Helter Skelter(ヘルター・スケルター)」の文字が、ミススペルで書かれていた。この「ヘルター・スケルター」は、この事件を担当した検事ヴィンセント・ビューグリオシが1974年に出版した本のタイトルにもなっている(『Helter Skelter: The True Story of the Manson Murders』)。
マンソンは、その2週間前に起こった音楽教師ギャリー・ヒンマン殺人事件にも関与している。ヒンマンが巨額の遺産を引き継いだと勝手に思い込み、本人が違うというのも無視して、金目的で”ファミリー”に殺させたのだ。この時も、現場には、「Political Piggy」という文字が残されている。
一般的セオリー、矛盾する事実
これらの殺人事件は、カルト集団のリーダーであるマンソンが、LSDで若い手下たちを洗脳し、金持ちを狙ってやらせたものだと理解されている。なぜポランスキーとテートの家だったのかについては、かつてその家に音楽プロデューサーのテリー・メルチャーが住んでいたからだというのが、一般的な解釈だ。
メルチャーはドリス・ディの息子で、ザ・ビーチ・ボーイズのシングルのプロデュースも手がけた業界の有名人。マンソンも彼のレーベルからレコードデビューを狙っていたのだが、「チャーリー・セズ〜」にも出てくるように、その夢は実現していない。恨みをもつマンソンは、そこにもうメルチャーが住んでいないのを知りながら、恐怖を植え付けるためにあの家を襲ったのだとされている(『ワンス・アポン〜』にも、事件の前に彼らが家を訪ね、今は違う人が住んでいると知るシーンが出てくる)。
しかし、この事件を20年もかけて取材してきた記者トム・オニールが今年6月に出版した本「Chaos: Charles Manson, the CIA, and the Secret History of the Sixties」によると、現実には、マンソンとメルチャーはかなり親しかったらしいのだ。メルチャーは、マンソンに頼んで、“ファミリー”の10代の女の子たちを、自分のパーティに呼びつけたりもしていたそうである。また、ある検察官は、メルチャーと当時の恋人キャンディス・バーゲンがあの家に住んでいた頃、マンソンとワトソンがホームパーティに呼ばれ、参加したことがあるとも語っている。さらに、ザ・ビーチ・ボーイズのツアーマネージャーによれば、マンソンは実際にレコーディングもしているそうだ。
本のタイトルが示すように、オニールは、これらすべての裏にはCIAやFBIもからんだ何か大きなものがあり、カルトリーダーの洗脳という説はその隠蔽だと見る。ポランスキーとテートが借りていた家は、以前からハリウッドのリベラルが集まる場所で、彼らは常に注意を払っていたということも、オニールは発見している。ブラックパンサーが勢いを増していた頃でもあり、人種差別主義者のマンソンは、なんらかの形で使える存在だった可能性がある。
オニールが指摘するとおり、この事件には不可解な点が実に多い。事件直後、ハリウッドには、犯人はマンソンだとすぐわかった人もいたというにも関わらず逮捕に時間がかかったり、裁判の前、突然アトキンスの弁護士が検察出身の人物に変えられたり、ヒンマンの事件だけ別個に裁判をしたり、ビューグリオシの本は彼の説にとって都合の悪い部分にまったく触れていなかったり、捜査書類が消えていたりなどだ。オニールが取材した元警察、検察関係者にも、ビューグリオシが本に書いた説はデタラメと言う人はいるし、「あの事件は防げた」との発言も出てくる。
先に述べたように、「ワンス・アポン〜」はこの事件自体を語るものではなく、ここまで知っている必要はまったくない。8月9日未明に、あの家で何が起きたのかだけわかっていれば、十分である。それに、いずれにせよ、本当のことは、誰にもわからないのだ。オニールですら、この本を書いた目的は「何が起こったのかを伝えることではなく、一般に信じられている説は違うと証明すること」だと述べている。
終身刑を受けたマンソンは、2017年に刑務所で亡くなった。メルチャー、ビューグリオシも、もうこの世にいない。まだ生きていても、「本当に何か知っている人は絶対に話さない」と、オニールは、“何かを知る”人から言われたそうである。そうやって、真実が埋もれたまま、半世紀が過ぎた。このミステリーは、これからの半世紀も、ミステリーのままであり続けるのだろうか。
場面写真:ソニー・ピクチャーズ・エンタテインメント