台湾出店も果たした“北九州ラーメン”の雄。国内では他系列店にはない“中濃”特化「田川店」に要注目
「石田一龍」の勢いが止まらない。
同店は2008年、北九州市•下石田にて前身である「久留米ラーメン一龍」から始まり、後に地名を冠した「石田一龍」へと改名。ラーメンもより磨きをかけ、麺イベント「北九州ラーメン王座選手権」では前人未到の3連覇を達成し殿堂店入り。これまで埋もれていた名豚骨“北九州ラーメン”というご当地カテゴリーを世に知らしめた。
店主の新森龍二氏(1981年北九州市生まれ)は、作っているラーメンにも表れているように、ど・直球で熱い男だ。カリスマ性のある彼の周りには、ラーメンに惚れ、思いに賛同する多くの仲間、入門志願者が集まってくる。現在グループ店は計13店。2024年10月には初の海外・台湾店も開業し世界制覇に向けての第一歩を踏み出した。新森龍二氏の歩み「石田一龍」の魅力については『石田一龍×麺屋 二郎 職人対談「やっぱ豚骨ラーメン、最強っしょ!』(Qualities連載、豚骨注入!)にも詳しく記してあるので読んでほしい。
破竹の勢いで躍進する「石田一龍」グループの中でも今回は、2024年6月にオープンした福岡県香春町「石田一龍 田川店」が主役。開業から「石田一龍」を追ってきた筆者的にも気付きのある新展開であったので紹介する。
まず、「石田一龍」の豚骨ラーメンには大きく「濃厚」と「屋台」(あっさり)の2種類がある。これは、新森氏が「一龍」から「石田一龍」としてネクストステージに入る際、店に何週間も泊まり込み研鑽を重ね編み出した2本柱。「食べている時に“旨い”のは当たり前。帰り道にも豚骨の心地よい“余韻”に浸れるラーメン」。それが創作時のテーマであった。その後「石田一龍」は一気にブレイクし、両メニューは同店の顔的な存在となったのだが、新しい田川店は「中濃」という新ラインを掲げ差別化している。
「田川店」をまかされた一ノ瀬健太氏(1984年田川郡出身)はこう語る。
「私も他系列の暖簾分け店主と同じく、かつて客として訪れた『石田一龍』のラーメンに感銘を受け、新森社長に弟子入りを志願した一人。主に門司店で腕を磨き、途中体調を崩して離れている時期もあったのですが、ラーメンの道を諦められず再入門。修業の末、暖簾分け店主の太鼓判をいただきました。そして、私自身の故郷である田川郡で開業したいと申し出た時、提案いただいたのが“中濃スープ”です。中濃は、前身の『久留米ラーメン 一龍』時代のスープをリバイバルしたもの。筑豊ラーメンという古の豚骨が根付いている場所柄、“濃いすぎす、あっさりすぎす”、中間をいくような“中濃”こそ勝機ありという新森社長の判断。結果大正解でしたね。営業時間も9:00から、週末は7:00からと“朝ラー”をプッシュする形態も新森社長のアドバイスです」。
スープは大量の豚頭、ゲンコツなどを強火で炊き込んだもので、髄の旨み、染み出る脂の旨味も生かす。スープを丁寧に“布漉し”することで、キメが細かくシルキーに。舌ざわりなめらかなポタージュスープに仕上げている。
麺は、北九州の老舗製麺所「安部製麺」のもの。形状は断面が角のストレートで、細麺か中麺をチョイス。麺を選べることは珍しくないが、両極端な太さや形状の違いではなく、微妙な“細さ”の差異で選べるのが興味深い。
むちゃくちゃ旨くて、店舗展開も好調。このような「石田一龍」の活躍を耳にすることも多いとは思うが、ここで筆者が声を大にして伝えたいこと。それは、店主の新森龍二氏はただ勢いにまかせて拡大しているわけでなく「豚骨ラーメンの未来のため」という信念が根っこにあるということだ。今回紹介した「田川店」は、夫婦で営むラーメン店の好例といえるモデル。成り手不足問題もある豚骨ラーメン業界が健全に次世代へと紡がれていくためには、小バコの家族経営で「しっかりともうかる」「家業としてなりたつ」ことを示すことも重要。新森氏はド派手で豪快なイメージがある一方で、豚骨ラーメン業界全体のことをしっかりと考えている。
いまをときめく豚骨ラーメン店「石田一龍」。総本店で体感したことのある方も次は「田川店」まで足をのばしてほしい。同店の魅力がさらに深まるはずだ。
福岡市内からは車を走らせ約1時間。田川郡香春町までGOGO!
【石田一龍 田川店】
住所:福岡県田川郡香春町高野1011-1
電話:0947-23-2929
時間:9:00〜15:00(土日7:00〜)、17:30〜20:30
休み:月曜
席数:13席(カウンター7、テーブル6)
駐車場:20台(無料)