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「おれたちは何度でも蘇る。」…不屈の精神でEUROを勝ち進むポーランド

柴村直弥プロサッカー選手
EURO2016 決勝トーナメント1回戦 PK戦に挑むポーランド(写真:ロイター/アフロ)

13度目の挑戦で初めて本大会に進んだEURO2008年大会。2敗1分けという散々たる結果で1勝もできずにグループリーグで敗退したポーランド。

EURO2012年大会はウクライナと共催で自国開催となり、予選は免除。2度目の本大会挑戦となったが、自国開催で期待のかかる中、1敗2分けで、またしても1勝も出来ずにグループリーグで姿を消すこととなってしまった。

そして迎えた今回のEURO2016年大会、初戦の北アイルランド戦を1−0で勝利しEURO初勝利を挙げると、第2戦の宿敵ドイツとの対戦は0−0。そしてグループリーグ最終戦のウクライナとの対戦を1−0で勝利し、2勝1分けで決勝トーナメント進出を決めた。

さらに、決勝トーナメント1回戦では、スイスとのPK戦までもつれ込む激闘を制し、EURO初勝利から一気にベスト8まで駒を進めた。

予選最多33得点の圧巻の攻撃力

ポーランドといえば、昨シーズン、ブンデスリーガ(ドイツ)で30ゴールを決め、得点王に輝いた、世界最高のストライカーの1人であるレヴァンドフスキにスポットが当たりがちだが、現在のポーランド代表チームは、決して彼のワンマンチームではない。

レヴァンドフスキ(バイエルン:ドイツ)と2トップを組む22歳のミリク(アヤックス:オランダ)は、昨シーズン、リーグ戦で21ゴールを決めている左利きのストライカーであり、様々な場所でボールを引き出して攻撃の起点となる。今大会初戦の北アイルランド戦では決勝点も決めている。

クリホビアク(セビージャ:スペイン)は緻密な戦略で攻撃を組み立て、突破力のあるブワシュチコフスキ(フィオレンティーナ:イタリア)やグロシツキ(レンヌ:フランス)、カプストカ(クラコビア:ポーランド)などが隙あらばサイドから仕掛けてくる。

予選10試合で33得点、1試合平均3.3得点という数字をたたき出した驚異的な得点力は、能力の高い多種多様な選手たちを擁していることも大きな要因の1つだろう。

本大会初戦の北アイルランド戦では終始相手を圧倒した。シュート数はポーランドの18本に対して北アイルランドは2本。前半に関してはポーランド10本に対して北アイルランドは0本。試合は序盤からこのシュート数に表されるような試合展開で、北アイルランドは守備的に戦ってきたが、ポーランドは、守備力に定評のある北アイルランドの守備を見事にこじ開けて、勝利してみせた。

さらに、相手や状況に応じてカウンターと遅効を使い分け、ドイツ、ウクライナ、スイスとの対戦でも多彩な攻撃を魅せている。

レヴァンドフスキの力は彼のゴール以外の部分でももちろん発揮されているが、本大会ここまでレヴァンドフスキにゴールがない中でも、ポーランドは着実に勝ち進んできている。

世界最高峰のGK陣が待ち構える最後の砦

守備に関しても、世界最高峰のGK陣を擁しているポーランドは、本大会ここまで4試合で失点はわずかに1。

正GKのシュチェスニー(ASローマ:イタリア)が初戦の北アイルランド戦で負傷するも、第2戦からは、シュチェスニーとかつてアーセナルで長きに渡り正GKの座を争ったファビアンスキ(スウォンジー:ウェールズ)がゴールを守り、決勝トーナメント1回戦のスイス戦では、幾度もチームのピンチを救っている。

「おれたちは何度でも蘇る」

ポーランドの首都ワルシャワは、かつて第二次世界大戦によって多大な被害を受けた。1939年のポーランド侵攻の間に大きなダメージを受けた旧市街地区は、その後一度は再建されるも、1944年、再び爆破された。

しかし、再び廃墟と化した旧市街地区は、再びポーランド人自身の手によって、再建された。

レンガの割れ目1つまで忠実に再現したと言われるほど、元通りの街を復元。人々の努力によって街は復興し、ワルシャワ旧市街は、「破壊からの復元および維持への人々の営み」が評価された最初の世界遺産として認定された。

「おれたちは何度でも蘇る。そう、まるでフェニックスのように。」

ワルシャワで乗ったタクシーの運転手が私に誇らしげにそう話してきたその言葉は、13度目の挑戦でEUROに初出場し、3度目の出場でようやく初勝利を挙げ、逆境を乗り越えてベスト8まで駒を進めているポーランド代表の姿に重なってくる。

長い間、どんなときも逆境に立ち向かい、不屈の精神で一歩一歩着実に歩みを進めてきたポーランド。EURO2016大会、試合や大会中にどんな逆境が訪れようとも、諦めることなく立ち向かい、きっと何度でも彼らは蘇ってくるだろう。

そう、まるでフェニックスのように。

プロサッカー選手

1982年広島市生まれ。中央大学卒業。アルビレックス新潟シンガポールを経てアビスパ福岡でプレーした後、徳島ヴォルティスでは主将を務め、2011年ラトビアのFKヴェンツピルスへ移籍。同年のUEFAELでは2回戦、3回戦の全4試合にフル出場した。日本人初となるラトビアリーグ及びラトビアカップ優勝を成し遂げ、2冠を達成。翌年のUEFACL出場権を獲得した。リーグ最多優勝並びにアジアで唯一ACL全大会に出場していたウズベキスタンの名門パフタコールへ移籍し、ACLにも出場。FKブハラでも主力として2シーズンに渡り公式戦全試合に出場。ポーランドのストミールを経て当時J1のヴァンフォーレ甲府へ移籍した

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