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ルポ「ガザは今・2019年夏」・1[戦争を生き延びた極貧家族(前編)」

土井敏邦ジャーナリスト
パン片にスープにかけただけのアッザム家の昼食(2019年8月/筆者撮影)

【ルポ「ガザは今・2019年夏】〈貧困と絶望にあえぐ人びと〉

 パレスチナ・ガザ地区は、東京23区の約6割の広さしかない。そこに200万人を超える住民がひしめき合って暮らす。その約7割が1948年のイスラエル建国によって周辺地域の村や町を追われた難民で、世界で最も人口密度の高い地域の一つである。

 この狭いガザ地区が近年、国際社会の注目を集めたのは、2008年以来、3度にわたるイスラエル軍の空爆、砲撃、地上侵攻による大規模な攻撃によって、数千人の住民が犠牲となり、万単位の家屋が破壊された事件だった。さらにイスラム主義組織「ハマス」が実効支配して以来、強化されたイスラエルの“封鎖”によって物資や人の出入りが厳しく制限されてガザ経済が崩壊し、住民が失業と貧困の中で喘ぐ現状が大きな国際問題になっている。その失業率は65%を超え、住民の90%が貧困ライン(一日1.9ドル以下)以下で暮らし、その住民の85%が国連など国際機関の支援で生活しているといわれる(パレスチナ人権センター)。

 一体、ガザの住民はその窮状のなかで、どのような思いを抱き、どう生活しているのか――2014年のガザ攻撃以来、ほぼ毎年ガザ地区に通い定点観測してきた筆者が、ガザで暮らす人びとの姿を報告する。

――戦争を生き延びた極貧家族(前編)――

【極貧生活】

 9人の子の母親、ワドゥハ(38)が2枚ほどのパンを硬貨ほどの大きさにちぎった。具のないスープがコンロの火で温められると、ワドゥハはちぎったパンを投げ入れた。スプーンで混ぜ、パンがスープを吸い込んで柔らかくなると、直系50センチほどのアルミ製の大皿に移す。大皿は台所の床に置かれた。するとお腹をすかした5人の男の子たちが大皿を囲んだ。一番下は2歳、上は15歳。子どもたちはパンをスプーンで掬って口に運んだ。しかし大皿のパンが半分ほどになると、子どもらはスプーンを置いた。残りの家族の分だ。これがアッザム家の昼食だった。

 アッザム・ナーセル(43)には23歳から2歳まで9人の子がいる。かつて近くのコンクリート製造会社で働いて家族を養っていたが、セメント粉で両目を患い、片目は完全に失明し、3年前に仕事を辞めた。長男モハマド(23)、次男カリーム(20)、ハーレド(19)は働ける年齢だが、経済が崩壊状態のガザ地区では、どんなに懸命に仕事を探してもみつからない。つまり11人家族のアッザム家には全く収入がないのだ。国連の食料支援や知人、隣人たちの支援でやっと食いつなぐ毎日である。

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(アッザム/筆者撮影)

 アッザム夫妻は昨年、14歳の娘を毒蛇に噛まれて亡くした。極貧状態の家族には治療を受けさせる費用さえ賄えず、死後、葬式も出せなかった。母親ワドゥハは心臓病を抱える上に、ずっと歯の痛みにも苦しみ続けている。手術が必要だと歯医者は言うが、そのための治療費もなく、痛みで眠れない夜が続く。ほとんど収入のない中、一家11人分の食事を毎日用意しなければならない。それはワドゥハにとって大きな心労だ。安い野菜を大量に買って、それを何日も使って凌いでいる。

「時々、イスラエル軍のいるエレツ検問所に行こうと思うことがあります」。厳重警戒下にある検問所に近づけば射殺される。ワドゥハは時々そのような自殺の衝動に駆られる時があると言うのだ。

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(ワドゥハ/筆者撮影)

【自殺の衝動】

 23歳になるモハマドは、長男として一家を支えなければという思いに押しつぶされそうになる。しかしどんなにもがいても仕事がない。稀に仕事にありついても、条件は劣悪だ。危険なイスラエルとの国境近くの農場での果樹に堆肥を運ぶ仕事で、早朝5時から午後2時まで9時間働いた。その日当は15シェケル(450円)。一日の一家の食費にも届かない。それも1週間で終わった。

モハマドは毎日、炎天下で10キロ近く歩いて仕事探しをしている。

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(モハマド/筆者撮影)

「家々のドアをたたいて、『何か仕事はありませんか?』と聞いて回るんです。しかしどの家からも『ない!』と蔑むような声が返ってきます。それでもどんな仕事でもあればと思い、昼も夜もずっと歩き続けるんです」

 でも、無駄足になるばかりの日々。そんな生活がモハマドを精神的に追いやっていく。

父親のアッザムが言う。

「昨日、私が夕方に家に戻ると、モハマドが家にいませんでした。すぐに他の息子たちを探しに出しました。モハマドが家に戻ったのは夜遅くなってからです。『どこに行っていたんだ?』と聞くと、『道端にずっと座っていた』と言うんです」

モハマドが言葉を継いだ。

「仕事がみつからず、うんざりして、苛立っていました。どこへ行っていいか、どうしたらいいかわからず、ずっと道端に座りこんでいたんです」

「いま死ぬことばかり考えています。こんな生活をするくらいなら、死んだほうがましです」

 昨年3月以来、多くの若者がイスラエルとの国境に押し寄せるデモが1年近く続いてきた。「帰還のための大行進」と呼ばれるこのデモは、「ナクバ」(1948年のイスラエル建国によって多くのパレスチナ人が故郷を追われた惨劇)から70周年になる昨年春に起こった。「故郷への帰還を求めるデモ」のはずだったが、モハマドのように生きる希望を失った若者たちが「殉教」という名の自殺のために、また負傷してハマス政府やヨルダン川西岸のパレスチナ自治政府(PA)からの補償金を得るために国境に押しかけた例も少なくなかった。

モハマドもその国境デモに参加した。「デモでイスラエル兵に撃たれて負傷し、補償金を得られると思ったんです」と答えた。

(続く)

ジャーナリスト

1953年、佐賀県生まれ。1985年より30数年、断続的にパレスチナ・イスラエルの現地取材。2009年4月、ドキュメンタリー映像シリーズ『届かぬ声―パレスチナ・占領と生きる人びと』全4部作を完成、その4部の『沈黙を破る』は、2009年11月、第9回石橋湛山記念・早稲田ジャーナリズム大賞。2016年に『ガザに生きる』(全5部作)で大同生命地域研究特別賞を受賞。主な書著に『アメリカのユダヤ人』(岩波新書)、『「和平合意」とパレスチナ』(朝日選書)、『パレスチナの声、イスラエルの声』『沈黙を破る』(以上、岩波書店)など多数。

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