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宝塚という“竜宮城”を出た紅ゆずる、新たな道で見えてきたもの

島田薫フリーアナウンサー/リポーター
自身を冷静に分析しながら、思いを率直に語る紅ゆずるさん(撮影:すべて島田薫)

 端正な顔立ちとコメディエンヌぶりが魅力の、元宝塚歌劇団星組トップスター・紅ゆずるさん。カッコイイ男役ならではのスタイルを持ちつつも、口を開けば関西弁で喋り倒す、まさに大阪の人!!トップに立ちながら、皆が納得いく人生を送れるよう、常に考えてきた方でもあります。宝塚OGとしてのこれから、リーダーとしての資質、あきらめない力、人生のヒントが詰まっています。

―退団からまもなく5年、今の状況をどう感じていますか?

 宝塚時代はある意味“竜宮城”にいたようなものでしたから、退団後は戸惑いもあり、なかなか社会に馴染めませんでした。宝塚ではトップスターであっても、外の世界では誰も自分を知らなくて、それは当然なのですが正直ショックを受けました。

 その気持ちを払拭したい!と尖っていた時期もありました。今は「宝塚OG戦国時代」とも言われ、きっと先輩方も大変な時を経験されてきたのだろうと想像を巡らせ、改めて尊敬の念を抱いています。

 幼少期からの最大の夢であった「宝塚」という1つの王国は、私にとってかけがえのない場所だということは今も変わりません。ものすごい情熱だったからこそ、「宝塚マジック」で前向きにひたすら歩むことができたのかもしれません。

―トップスターになって行ったことは?

 宝塚歌劇はトップスターが中心で、その組のトップに合う演目が上演されます。だからこそ「トップスターのために」という宝塚ならではの作品作りは珍しくありませんが、私はトップスターに就任した時、皆に「自分の目標をしっかり持って、トップスターのためではなく、自分自身のために舞台に立ってほしい」と伝えました。自分のことを一生懸命やることで、必ず組力・舞台力は上がり、お客様に喜んでいただける舞台になると思ったからです。

 宝塚歌劇には“ピラミッド”のような上下関係が存在します。私はこの関係こそが、宝塚歌劇を支える一番の核ではないかと考えます。なぜなら、何も分からない少女が宝塚に入り、あの素晴らしい一糸乱れぬ舞台を作るには、先輩から後輩へ伝統を伝えていかなければ成り立たないからです。男役のリーゼントの作り方や燕尾服での所作、娘役の所作、この1つ1つが宝塚の夢の世界を作っているんです。

 あらゆることが伝承され、宝塚歌劇は100年以上続いています。時には厳しいこともあると思いますが、すべては後輩たちへの愛情だと感じていました。仕事中は緊張感を持って集中し、お稽古や舞台を離れたら上・下級生が一緒にご飯を食べ、ざっくばらんに話せる環境を作る。私はそこに重きをおいて、共演者との意見交換を大切にしてきました。

 ショーの最後に、大羽根を背負って大階段を降りてくる時に見る共演者の顔は、人生の最期に思い返すであろう、大切な宝物です。

ートップコンビ、綺咲愛里(きさき・あいり)さんに対して

 次期トップの発表があった時、「大変なことも戸惑うこともあると思う。でもお互いを思い合い、支え合える一番の戦友になりたい」と伝えました。

 彼女も私の言葉を受け取ってくれて、お互いが歩み寄り、高め合える関係を築けたと感じています。今では、頻繁に連絡を取り合うなど、戦友から親友になれたと確信しています。綺咲愛里が相手役だったことに、心から感謝しています。

ー最初は苦労されたとか?

 宝塚は研究科5年(在籍期間)までの間に3回試験があり、同期内での席次が決まります。私は常に成績がブービー(最下位から2番目の順位)でした。研究科5年の最終試験が宝塚での永遠の席次になりますので、私はトップスターとして退団させていただきましたが、席次はブービーです(笑)。

ーブービーからトップへ、諦めなかったのは?

 答えは一択です。宝塚歌劇団に入団することが最大の夢だったから。舞台の隅にいても、観てくださるお客様は必ずいると信じていましたし、宝塚歌劇の舞台にタカラジェンヌとして立たせていただいたことが、何よりうれしかったからです。

 部屋には「絶対スターになる!」と書いた紙を貼り、寝る前に毎日唱えていました。すると研究科6年の時、バウホール(宝塚大劇場に併設されている小規模劇場)のオーディションで、まさかの2番手の役(準主役)をいただきました。

 それまでは場面に入ることすらできなかった私なので、上級生方が本当に喜んでくださって「希望の星やな」と香盤表(配役や出番が記されてある表)の前でたくさん写真を撮ってくださいました(笑)。千秋楽にはビックリするくらいの拍手をお客様にいただき、本当にうれしい思い出です。

―ターニングポイントだったと思うのは?

 小池修一郎先生演出のブロードウェイミュージカル「スカーレット・ピンパーネル」の新人公演(1~7年目のみの出演者だけで演じる公演)で、初主演をいただいたことです。

 最後の新人公演で主演をさせていただける喜びと、私が失敗したら舞台を壊してしまう…という責任を初めて感じ、眠れない日々を過ごしました。毎日生きた心地がせず、「もし失敗したら」というネガティブな妄想だけが膨らみました。

 渡ったこともない銀橋(客席側に迫り出している細い舞台)を1人で渡らなければならず、セリは上がり、盆がグルグルまわる中、1人で歌い、早替わりの連発。そして、舞台上に1人残され、何度も場面は変わる…本番では、心臓は首にあるのかと思うほど緊張し、食事は喉を通らず、手足は震え、冷静に物事を把握する余裕は全くありませんでした。

 本役だった、安蘭けいさんからの励ましの言葉だけを頼りに出番に向かいました。舞台に出たら、手と足が同時に出るという緊急事態での歌唱。ですが銀橋のど真ん中に来た時、間奏でお客様から本当に大きな拍手をいただき、その瞬間にすべての不安から解き放たれ、緊張は吹き飛びました。あの時、紅ゆずるをスターにしてくださったのは、紛れもない“お客様”だと、心から感謝しています。

ー“コメディエンヌ”と呼ばれています

 本当に光栄です。お客様とは一期一会。人間は繊細な生き物で、時間、天気だけでも心情が少しずつ変わります。すごく笑ってくださる日とそうでもない日、その時々で反応が違う。演者は臨機応変に間を変えたりしなければならないですが、それが大変面白く、探究心が湧き起こります。

 コメディを演じていく中で最後には泣かせる。これこそ、最高のエンターテインメントだと感じていましたし、私がコメディをやるようになったのは、当時コメディ枠にスターがいなかったから。隙間があったんです。「紅ゆずるにしかできないよね」と言っていただけるタカラジェンヌになることが、私の最大の夢となりました。

ー退団後は、明石家さんまさん、上田晋也さんのバラエティ番組にも出演されていますね

 バラエティ番組は、お題はもちろんのこと、その時のキャストによって風向きが大きく変わります。MCの方に話を振っていただいて返す時も、いかに面白く調理して簡潔にお話しできるかということが大切です。そして、決してカットの対象にならないようにどう話を持っていくか…もはや、話術の職人ですね(笑)。

ー宝塚ではやらなかったけど今やっていることは?

 テレビ番組などで、飲食する姿を見せることでしょうか。タカラジェンヌは「霞を食べている」と言われるほどの夢の世界です。特に男役はファンの方の前に出る時、タンクトップやサンダルの露出はなるべく避けていました。禁止されているわけではないですが、わざわざ女性を感じさせるような格好をする必要はないですから。

 退団後、『悪い女』というタイトルの、露出多めの写真集を出しました。ファンの方々からしたら衝撃だったと思うのですが、自分自身に対する新たな道を歩んでいくというケジメでもあり「覚悟」でした。

 長年、男性でも女性でもない「男役」という人生を歩んできた私には、本当に勇気がいることで、褒めてくださる方も、いろいろおっしゃる方もいらっしゃいます。でも芸能界はそういう世界だと覚悟しています。

 ポジティブに表現すると“アンチの数は人気の数”かなと。100人が100人とも「面白い」と絶賛することはないと思っています。さまざまな感性の人がいるからこそ、エンターテインメントは成り立っているのだと確信しています。

ー次は、アガサ・クリスティ原作の舞台『ゼロ時間へ』の出演、イベントもありますね

 『ゼロ時間へ』は、昨年も『ホロー荘の殺人』で、的確で明確なノート(ダメだし)をくださった、演出の野坂実さんと御一緒させていただきます。「上品で落ち着いた知的な女性」という、私が演じたことのない役への挑戦の機会をいただきました。

 私自身、コメディ作品も好きですが、実は悲恋やミステリーで描かれる人々の細やかな心情を体現するお芝居が大好きです。「紅ゆずるのミステリーを観たい」とおっしゃってくださる方は多いんですよ。

 そして、イベント『Adding My Colorフェス』は私の誕生日8月17日に開催します。出演者は星組時代に苦楽を共にしてきた仲間、天華えま・紫藤りゅうです。彼女たちは現役中に新人公演で私の役を演じ、いろいろなことを手伝ってくれた仲間で、下級生というより戦友です。

 退団してからもこのご縁が続くことに感謝し、イベントではファンの方々とも私の誕生日にお会いできることを、心から楽しみにしております!

ー今後やりたいことは?

 お仕事はジャンルを決めることなく、自分に嘘をつくことなく、真っすぐに取り組んでいきたいです。最近「アドラー心理学」に興味があります。自分がなぜこれをやりたいのかという根底を考えなくてはならないということ、すべては自分自身の考えから始まることに向き合い、“紅ゆずる”として活動する上で納得する生き方がしたいと考えています。

【編集後記】

どこまでも真っすぐで、どこまでも温かい方だと感じました。ストレートな物言いに嘘がなく、お話を聞いていてとても心地よかったので、つい時間をオーバーしてしまいましたが、一度席を立ってからも「もしまだ大丈夫でしたら、私は今日時間があるのでもう少し話しましょう」と言っていただき、多岐に渡りお話を伺うことができました。リーダーシップ、コミュニケーション能力に優れ、利他の心を持つ紅さんは、表現者としてだけでなく、今後さらに幅広いお仕事もされるような気がします。

■紅ゆずる(くれない・ゆずる)

8月17日生まれ、大阪府出身。2000年、宝塚音楽学校入学。2002年、宝塚歌劇団に第88期生として入団、初舞台。星組に配属。2016年、星組トップスターに就任。2019年、『GOD OF STARS-食聖-』『Éclair Brillant(エクレールブリアン)』で、東京宝塚劇場千穐楽をもって退団。退団後は松竹エンタテインメントに所属し、『エニシング・ゴーズ』『新橋演舞場シリーズ 熱海五郎一座』などの舞台を始め、『よんちゃんTV』(MBS)月1金曜レギュラー、『さんま御殿』『上田と女が吠える夜』(日本テレビ)などバラエティでも活躍。舞台『ゼロ時間へ』は東京・三越劇場(10/3~9)、大阪・COOL JAPAN PARK OSAKA TTホール(10/13、14)にて上演予定。『Adding My Color フェス』は、8/17、東京・六本木ハリウッドホールにて開催予定。https://nosakalabo.jp/zero/

フリーアナウンサー/リポーター

東京都出身。渋谷でエンタメに囲まれて育つ。大学卒業後、舞台芸術学院でミュージカルを学び、ジャズバレエ団、声優事務所の研究生などを経て情報番組のリポーターを始める。事件から芸能まで、走り続けて四半世紀以上。国内だけでなく、NYのブロードウェイや北朝鮮の芸能学校まで幅広く取材。TBS「モーニングEye」、テレビ朝日「スーパーモーニング」「ワイド!スクランブル」で専属リポーターを務めた後、現在はABC「newsおかえり」、中京テレビ「キャッチ!」などの番組で芸能情報を伝えている。

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