米国育ちの17歳。“ユニーク”なテニス選手・日比万葉が歩み出したプロの道
2014年シーズンから、一人の新たなプロテニスプレーヤーが誕生する。
日比万葉(ひびまよ)。
現在の世界ランキング228位。今年9月の全米オープンジュニアでベスト4。
米国カリフォルニアに拠点を置く、17歳の新鋭である。
アメリカ育ちの日本人――そのような肩書を聞くと、錦織圭のように、若くして才能を見込まれたエリート選手を想像するかもしれない。
あるいは、両親が裕福で、子供を一流選手に育てるため海外留学させたケースもあり得るだろう。
だが日比は、そのようなシンデレラストーリーや英才教育とは異なる、独自の物語を生きている。
アメリカに住む理由は、海外赴任となった父親の仕事の都合。テニスを始めたのは、テニス愛好家にしてコーチのライセンスも持つ父親に教えられたから。練習の拠点は、家から車で5分程の公営コート。始まりはどこの家庭にもある、子供の“習い事”の一環だ。
ただ彼女のケースが他の子供たち…分けても日本の子供たちと異なっていたのは、一つには環境である。
毎日のように練習できるコートが、すぐ近くにある。
指導を受けるコーチの顔ぶれも実に豪華だ。数多の新旧トップ選手が住居を構えるカリフォルニアでは、元ツアープロが地元のクラブなどで子供を教えることも珍しくない。日比家の近所にたまたま住み、万葉を10歳の頃から指導するクリス・ルイスも、そのような往年の名選手の一人。何しろ彼は83年のウィンブルドン決勝で、ジョン・マッケンローとラケットを交えた程の選手なのである。
もう一つ、彼女が他の選手と大きく異なるのは、その独創的なプレイスタイルである。バックハンドは片手打ちで、低く滑るスライスやドロップショットを多用する。最近はやや封印気味ではあるが、ジュニアの頃は徹底したサーブ&ボレーヤーでもあった。昨今の女子テニスでは異彩を放つそのスタイルは、マッケンロー世代を愛する父の影響が大きい。目指す選手像を問われると、「ステフィ・グラフのフォアハンドと、マッケンローのボレー、そしてケン・ローズウォール(1950~60年代に活躍したオーストラリアの名選手)のバックハンドを持つプレーヤー」と、往年のテニスファンが聞いたら、涙で咽びそうな選手名を次々列挙した程だ。特定の一選手を手本や目標としないのは「私のようなスタイルの選手は、今のテニス界には居ない」から。いつしか確立されたユニークなプレイスタイルは、今では、彼女のアイデンティティだ。
■アメリカに住む日本人として強いられた、困難な道■
ユニークということで言えば、彼女が歩んできた足跡は、何にもまして個性的だ。15歳の頃からプロ大会に出場し、既に3大会優勝の実績を持つ彼女ではあるが、実はアメリカ以外での試合経験は、ほとんどない。それは、テニスを「子供の教育の一環」と捉える両親の方針もあるだろうが、“アメリカに住む日本人”という、彼女の置かれた境遇も大きく影響している。
アメリカのジュニアでは常に各世代のトップ選手であるにも関わらず、日本人の日比は、全米テニス協会から金銭的なサポートなどを受けることはない。かといって日本の協会からの支援を受ければ、全米テニス協会主催の大会への出場権を失う可能性がある。どこからも資金面での支援を受けない状態では、海外の大会を転戦するのは経済的に困難だ。活動範囲がアメリカ国内、それもカリフォルニア近辺に集中するのは、そのような理由からである。
先述したような状況もあってか、日比は自身の進路に関しては、慎重な判断を進めてきた。彼女は今年だけで2大会に優勝しているが、夏にプロ転向の意志をたずねた際には「このレベルの大会で優勝しても、食べていくことは出来ない」と、極めて現実的な答えが返ってきた。もちろんプロは目指すも、スタンフォードやUCLAなどの名門大学から奨学生として好条件のオファーを受けたため、心は揺れる。
プロ転向か、進学か……双方の経験者たちにアドバイスを求め、悩みに悩んだ末に、この年末に決断を下す。「テニスが好きかと聞かれたら、大好きとは言えない。でも、テニスなしの人生は考えられない」――そう言っていたのはつい1カ月ほど前のことだが、テニスが「本当にやりたいこと」だと気がついた時、それは職業として選びとられた。
■多彩な技と意匠を凝らすプレースタイルは“文芸”のよう■
テニスは芸術、特に絵画に例えられることが多い。かつて“コート上のピカソ”と呼ばれたグスタポ・クエルテンの変幻自在のストロークは、カンバスに重ねられる絵筆に例えられた。クルム伊達公子の恩師である小浦猛志氏は、センス溢れる教え子の軽快なスタイルを「水彩画」と形容したことがある
そのような文脈に倣うなら、日比万葉のテニスは“文芸”だ。彼女が放つ多様なショットはその全てに意志があり、打ち分けるコースには因果性と継続性が存在する。
万の言葉を連ねるように打球と意趣を織りなして、一遍の物語をつづる様に試合を戦う。だからこそ彼女のプレーは、勝敗に関係なく、観る者を引き込む説得力を放つのだろう。現に今年の全米オープンジュニアでも、試合を見ていた地元のファンが彼女の元へ駆け寄り、ボールを差し出しサインをねだる場面が何度もあった。
初々しい手つきで、ボールにペンを走らせる日比。ところが良く見ると、彼女がボールに描いていたのは、通常の“サイン”とは異なる、何やらマークのようなデザインだった。
「なんて書いてるの?」
興味をそそられそう問うと、いたずらっ子のような笑みを浮かべて、彼女は言う。
「内緒です。
日本語も使って、ちょっと子供っぽいんだけれど、変わったサインを飛行機の中で考えたんですよ」
そして、一呼吸置くと、こう続けた。
「サインも、ユニークなものじゃないと!」
選手としての足跡もユニークなら、プレイスタイルも、そしてサインまでもがユニークなアメリカ育ちの日本人。
独自の道を模索し、自らの可能性を切り開いてきた彼女のプロプレーヤーとしての序章が、いよいよ今、幕を開ける。