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夏の甲子園。この名勝負を覚えてますか 2019年/星稜×智弁和歌山、タイブレークがもったいない!

楊順行スポーツライター
2019年夏、星稜を準優勝に導いた奥川恭伸(写真:アフロ)

■第101回全国高校野球選手権大会 3回戦

智弁和歌山 1=000 001 000 000 00

星   稜 4=000 100 000 000 03

 2018年のセンバツから、甲子園で導入されたタイブレーク。初めて適用されたのはその年の夏、佐久長聖(長野)と旭川大高(北北海道)の一戦だった。適用第2号が、星稜(石川)と済美(愛媛)。星稜が7対1とリードした8回、済美は一挙8点を奪うが、星稜も9回、2点を返して9対9とし、延長にもつれる。タイブレークの13回、星稜が2点を勝ち越すが、その裏の済美は、矢野功一郎が大会史上初となる逆転満塁サヨナラ本塁打。壮絶な試合には、

「タイブレーク、なかなかおもしろいじゃん」

 という醍醐味が詰まっていた。

 だが翌19年、ふたたび星稜が主役となったこの試合では、意図的に点を取りやすい設定にするタイブレークが味気なく、まことにうらめしかった。星稜と智弁和歌山の一戦である。

 星稜は初戦、旭川大高を3安打完封した奥川恭伸(現ヤクルト)がエース。リリーフ登板した立命館宇治(京都)戦では、最速154キロをマークした。智弁は黒川史陽(現楽天)、東妻純平(現DeNA)、1学年下の細川凌平(現日本ハム)らが並ぶ強力打線が売り物だ。

 星稜は4回、山瀬慎之助(現巨人)の犠飛で先制。智弁は6回、敵失がらみで追いつく。そこからは奥川と、智弁の3番手・池田陽佑が一歩も譲らず、両者無得点が続く。12回、奥川が智弁のクリーンアップを圧巻の3者三振に取ると、池田も、その裏の星稜を三者凡退に抑え、試合は1対1のままタイブレークに突入した。

 初戦から、大会ナンバーワン投手にふさわしい投球を続ける奥川。この3回戦も、台風10号の影響で中3日の間隔に恵まれたから、状態は万全に近いだろう。

 智弁打線の迫力もすごい。明徳義塾(高知)との2回戦では7回、細川、根来塁、東妻の3人がアーチを架け(根来、東妻は連続)、チーム1イニング最多本塁打3の大会タイ記録を達成。これは史上2度目で、最初に記録したのも智弁和歌山だ(2008年)。しかも伝統的に、160キロ近くに設定したマシンを打ち込んでいるから、速球にはめっぽう強い。

なんと23三振! 大会2位タイ 

 とはいえ、奥川の武器はスピードだけじゃない。抜群の制球力と投球術、キレのいいスライダーとフォークがある。結果、9回までで17三振、12回で21もの三振を奪い、許したヒットもわずか3と強力打線を黙らせている。智弁・池田も、走者こそ出すが要所を抑えて、星稜に得点を与えない。延長12回を終え、1対1のがっぷり四つである。

 タイブレークも、緊迫のイニングとなった。

 まず13回表の智弁は、無死一、二塁から六番・佐藤樹がバントを試みるが、奥川がこれを機敏に三塁に送り封殺。さらに代打・硲祐二郎、綾原創太を連続三振だ。綾原の最後の空振りは、13回にして152キロとなんとも破格である。

 その裏の星稜も、バント失敗のあと知田爽汰、内山壮真(現ヤクルト)が凡退して無得点。14回表の奥川は、黒川のバントをまたも三塁で封殺し、さらに2死一、三塁のピンチも西川を中飛に抑えた。

 そして……その裏の星稜。奥川のバントがまた失敗となる。タイブレークに入り、両者が試みた4回のバントはことごとく失敗。両チームのディフェンスがいかに高度な集中力を保っていたかがわかる。だが星稜は1死一、二塁から、福本陽生が、池田の変化球を左中間にサヨナラ3ラン。前年の星稜はサヨナラ本塁打で敗れたが、夏の甲子園ではそれ以来、22度目のサヨナラ本塁打だった。

 こうして幕を閉じた濃密な2時間51分、主役はなんといっても奥川だ。前年夏の済美戦では、足がつって途中降板。その反省から、塩分や経口補水液の補給に配慮し、14回165球を投げきっている。最後の打者を打ち取った中飛は150キロ。4回に黒川から三振を奪ったフォークは142キロと、まっすぐと変化球は最後までキレキレで、14回を3安打23三振である。

「80点。100点というのは不可能です。完璧なピッチングはないと思う」

 と奥川は話したが、1試合23三振は歴代2位タイ。1973年、江川卓(作新学院)に並ぶものだが、江川の場合は延長15回での記録だから、ある意味、伝説の怪物を超えたといえる。

 星稜・林和成監督は、「監督冥利に尽きます。奥川は、指導者人生で2度と出会わないくらい、持っているポテンシャルが高い。延長に入ってからも153キロとは、ゾーンに入っていましたね」と賞賛し、6打数無安打1三振の智弁・黒川も「人生で対戦したうち、一番すごいピッチャーでした」。

 延長11回には、奥川がちょっと足を気にする素振りを見せた。すると攻守交代時に、黒川が星稜の遊撃手・内山に熱中症予防のタブレットを託し「奥川に渡して」。その裏の先頭打者だった奥川は、水分補給とともにそれを服用した。12回、智弁の攻撃が三者三振に終わったのは、そのおかげかもしれない。

 奥川と黒川、プロでの対戦が見たい。

スポーツライター

1960年、新潟県生まれ。82年、ベースボール・マガジン社に入社し、野球、相撲、バドミントン専門誌の編集に携わる。87年からフリーとして野球、サッカー、バレーボール、バドミントンなどの原稿を執筆。85年、KK最後の夏に“初出場”した甲子園取材は64回を数え、観戦は2500試合を超えた。春夏通じて55季連続“出場”中。著書は『「スコアブック」は知っている。』(KKベストセラーズ)『高校野球100年のヒーロー』『甲子園の魔物』『1998年 横浜高校 松坂大輔という旋風』ほか、近著に『1969年 松山商業と三沢高校』(ベースボール・マガジン社)。

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