経産官僚逮捕 「泳がせ捜査」とは
国際郵便を使って米国から覚せい剤を密輸しようとした経済産業省のキャリア官僚(28)が警視庁に逮捕された。麻薬特例法違反の容疑だ。その過程で行われた「泳がせ捜査」とは――。
【本来は税関がブロック】
わが国の空港に到着した航空機から積み荷である国際郵便や国際宅配便、一般貨物が降ろされると、いったん「保税地域」と呼ばれる特別な場所に運ばれて保管され、税関当局の監督下に置かれる。
覚せい剤など法令で輸入が禁じられている品目か否かや、納税を要するものか否かなどを税関当局が検査するためだ。
中でも個人による利用が多く、日常的かつ大量にやり取りされている国際郵便の場合、配達先を管轄している保税地域内の国際郵便局に集約され、局内の税関出張所で税関職員による検査が行われる。
信書を除くすべての郵便物が検査対象であり、X線で中身を調べたり、麻薬犬に臭いを嗅がせたり、アトランダムに抽出して開封するといったやり方だ。
日本円で数百円程度の雑誌など免税品であれば、そこから各地の郵便局を経由し、受取人に配達される。
逆に、覚せい剤のような禁制品が発見されると、税関当局によって受取人の引き取りが禁じられ、事件化され、そのまま押収される。
【捜査当局と税関がタッグ】
今回のケースでも、税関当局は米国からの国際郵便を開封し、中身を検査した結果、雑誌のページとページの間にビニール袋が隠されているのを発見した。
中には約22グラムの覚せい剤が入っていた。
しかし、この段階では、この郵便物の真の受取人、すなわち密輸を行おうとした犯人がだれなのか分からない。
現に、あて先は経産官僚の自宅ではなく、氏名も異なるものだった。
手荷物の中に規制薬物を隠し、空港で税関検査をすり抜けようとして発見され、その場で現行犯逮捕される「運び屋」のケースと大きく異なる点だ。
そこで、警察などの捜査当局が税関とタッグを組み、だれが犯人なのかを特定するとともに、背後関係をも含めて徹底的に捜査し、黒幕まで一網打尽にすることを目指して行われているのが「泳がせ捜査」だ。
任意捜査の一つであり、1992年施行の麻薬特例法で特殊な捜査手法として正面から認められた。「コントロールド・デリバリー(controlled delivery)」と呼ばれる。
すなわち、税関は警察に通報するものの、その要請を受けて郵便物を差し止めない。
一方、警察は厳重監視のもとでこれを受取人のところまで配達させ、現に受け取らせ、事件の全体像を把握したうえで検挙する。
受取人を尾行し、関係者に郵便物を手渡した段階で一斉検挙することもある。
もちろん、あらかじめ郵便局や配達員などの協力は得ているし、配達車両を見失わないように追跡し、配達先にも捜査員を張り込ませている。
ただ、不在のため配達員が郵便物を持ち帰る場合もあり、不在票を取りに来るまでポストや玄関を見張っていなければならないし、再配達の連絡や配達先の変更のたびに臨機応変に対応しなければならず、どうしても大量の捜査員が必要となる。
そこで、発見された規制薬物の分量が多く、密売や組織性が疑われる事案が中心となる。
【失敗は許されず】
こうした「泳がせ捜査」には、さらに次の2つのやり方がある。
(1) クリーン・コントロールド・デリバリー
覚せい剤などの規制薬物を抜き取り、塩や砂など無害なニセモノとすり替え、配達させる。
(2) ライブ・コントロールド・デリバリー
中身をすり替えず、そのまま配達させる。
覚せい剤など規制薬物の事件では、もっぱら(1)の方法によっている。
というのも、(2)の場合、もし監視に失敗し、まんまと犯人グループに覚せい剤などを受け取られ、そのまま逃げられてしまえば、捜査当局や税関が規制薬物の蔓延に手を貸す結果となるからだ。
なお、先ほどの「運び屋」のケースでも、事前情報で確実に密輸が行われると分かっていれば、税関に要請して「見て見ぬふり」をしてもらい、そのまま入国させ、尾行し、関係者と接触して荷物を手渡すなどした段階で一斉検挙することもできる。
ただ、(2)によることになるから、追跡失敗時のリスクは大きい。
したがって、現実には、もっぱら今回のような国際郵便のほか、国際宅配便や一般貨物を利用した密輸事件をターゲットとしたうえで、(1)の方法を使った「泳がせ捜査」が中心となっている。
【なぜニセモノでも逮捕か】
今回も、経産官僚は不在票を取りに行き、郵便局に問い合わせて自宅に転送させている。
警視庁は、これらの過程をすべて監視しており、経産官僚が配達員から国際郵便を受け取り、所持した段階で現行犯逮捕した。
この点、結局のところ中身は覚せい剤の現物ではなく、警視庁がすり替えたニセモノだったのだから、なぜこれを所持したことが犯罪になるのか、不思議に思う人もいるだろう。
実のところ、麻薬特例法では、覚せい剤などの規制薬物として交付を受けたり取得した「薬物その他の物品」を所持した場合、それが規制薬物の所持罪を犯す意思をもって行われたのであれば、それだけで処罰されることとなっている。
「その他の物品」にはニセモノも含まれる。中身に関する本人の認識が本物の規制薬物でありさえすればよいから、実際にはすり替えられた模造品だったとしてもアウトだ。
まさしく「泳がせ捜査」を前提としたうえで、規制薬物の蔓延を防止するために設けられた特別な規定にほかならない。ただし、最高刑は懲役2年と比較的軽くなっている。
今回の経産官僚も、覚せい剤そのものではなく、このニセモノの所持罪で現行犯逮捕されたというわけだ。
【捜査の焦点は】
その後、この経産官僚が使っていた経産省内の机からは複数の注射器が見つかっており、彼自身も「仕事のストレスで覚せい剤を使っていた」「庁舎内でも使ったことがある」と供述しているという。
もちろん、尿検査で陽性反応が出ていれば、間違いなく覚せい剤の使用罪で立件される。最高刑は懲役10年だ。
ただ、約22グラムということだと、標準で実に約700回分もの使用量となる。
本当にすべて一人で使用するつもりだったのであれば、常習性や依存性は相当深刻なレベルに至っていると言わざるを得ないが、第三者に転売する目的があった可能性も捨てがたい。
同様の方法でいつから、何回くらい、1回にどれくらいの分量の覚せい剤を輸入してきたのか、また、入手後はどうしていたのか、交友関係はどうだったのか、といったことが今後の捜査のポイントとなるだろう。
このほか、この経産官僚には覚せい剤の輸入既遂罪が成立するから、これでも立件されるはずだ。
覚せい剤の現物は本人の手もとに届いていないものの、覚せい剤取締法の輸入罪は航空機から積み荷が降ろされた段階で既遂になるからだ。
最高刑は懲役20年と重く、転売などによる営利目的であれば無期懲役にまで伸びるほどの厳しさだ。
他方、関税法にも覚せい剤などの禁制品の輸入罪があるが、受取人による現物の引き取りがあって初めて既遂となるから、こちらは未遂にとどまる。
最高刑は懲役10年だが、税関当局の告発があれば、検察はこの点も加味したうえで起訴することになるだろう。
営利性や常習性などの捜査結果にも左右されるが、輸入量が少なくないことから、すべての容疑で起訴され、有罪となった場合、数年程度の実刑となっても不思議ではない事案だ。(了)