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事故から52年。外国で日本航空最初の旅客機墜落の記録

タワーマン元航空管制官
日本航空350便墜落事故写真(日本航空ニューデリー墜落事故と同型式のDC-8)(写真:Fujifotos/アフロ)

日本航空ニューデリー墜落事故は、1972年(昭和47年)6月14日に発生し、まもなく52年になる。この事故では、乗員乗客計89名中86名が死亡し3名が重傷を負った、日本の航空会社が外国で起こした初めての墜落事故でもある。

当該機は、東京発バンコク経由ニューデリー経由ロンドン行き日本航空471便DC-8-53型(JA8012)。このときの日本航空は政府出資比率50%の特殊法人だった。

NHKが当時放送していた科学的視点による問題解明のドキュメンタリー番組「あすへの記録」が「空白の110秒 日航機ニューデリー事故」と題して、詳細に調査した結果を残している。

事故の記録

事故現場から回収されたフライトレコーダーとコックピットボイスレコーダーの解析によると、日本航空471便は、現地時間午後7時30分以降にニューデリー・パラム空港への着陸進入を開始し、空港の手前約22km地点のヤムナ川土手に激突した。事故機は本来の着陸進入コースよりも手前で急降下を続けており、墜落の直前に滑走路がないことに気付いたパイロットが着陸復行のためにエンジンの出力を上げたが間に合わなかった。なお、事故当時は夜間かつ砂嵐が吹き荒れる中、視界不良であり、翌日のインド政府による事故調査時も砂嵐が吹き続けていたという。

ボイスレコーダーには以下のような音声記録が残されている。

(最後の交信記録)

管制官:JAL471,Report your DME distance.(日本航空471便、現在地を通報せよ)

JAL471:DME 23.(23マイル)

(墜落110秒前からのコックピット内音声記録)

「パワーを少しいただけますか」

「どんどん冷やしてくれ」

「All freon ON.ハッハッハ」

※45度の猛暑だったため、エアコン全開で機内を冷やすという意味で言っている。

この会話に続き、着陸点検表を読み上げる声などが記録されている。

「Gear down(着陸のための車輪出し合図)」

「Runway in... go ahead. Decision Height.(ランウェイイン…。決心高。)」

※通常、Decision Heightという最後の着陸決心を判断する高さに到達する段階までに滑走路を視認できていなければ、着陸やり直し動作を行わなければならない。そのため、視認できたことを意味するRunway insightが決心高までにコールされなければならないが、おそらく滑走路視認ができていなかったため言葉が詰まっていると考えられる。

この交信の直後、墜落5秒前になってようやく滑走路が無いことに気付いて慌てた様子で「パワー、パワー」との言葉が発せられている。しかし、決して緊急度が高い様子ではない。

墜落2秒前にエンジンが推力を上げ始めた記録が残されているが、既に間に合う段階では無く、事故機はヤムナ川の土手に激突した。

事故の原因

国土交通省、航空・鉄道事故調査委員会「日本航空株式会社所属ダグラスDC8-61型JA8061の航空事故に係る建議」によれば、事故の原因について下記の通り記載がある。

昭和48年4月30日付けインド政府事故調査報告書において「本事故の直接原因は、滑走路を視認することなく、またすべての計器指示を確認しなかった運航乗務員の定められた手順の無視によるものと推定される。」とされている。

引用:

日本航空株式会社所属ダグラスDC8-61型JA8061の航空事故に係る建議

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元航空管制官

元航空管制官で退職後は航空系ブロガー兼ゲーム実況YouTuberとなる。飛行機の知識ゼロから管制塔で奮闘して得た経験を基に、空の世界をわかりやすく発信し続ける。

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