【駅の旅】日本を代表する巨大ターミナルを探訪/JR東海道本線・東京駅
再三の取り壊し計画を逃れ、よみがえった赤レンガ駅舎
あらためて眺めると、その格調の高さに思わずため息が出る。皇居の正面に建つ東京駅の赤レンガ駅舎は、1914(大正3)年12月20日に開業した。近代建築家・辰野金吾博士の設計による巨大なルネッサンス風駅舎は、オランダのアムステルダム中央駅をモデルにしたともいわれ、巨大都市東京の表玄関として今日まで君臨し続けている。
この駅舎は戦時中、1945(昭和20)5月25日の大空襲で甚大な被害を受けたが、2年後にそれまでの3階建てを2階建てにして仮修復。だが、国鉄は、再三にわたってこの駅舎の取り壊しを計画した。最初は1958(昭和33)年に、新幹線開業時に合わせて24階建てのビルとする計画を立案、その後、昭和50年代には大規模な超高層ビルとして再開発することを検討したのだった。しかし、計画は遅々として進まず、「皇居を見おろす高層ビルを建てるのはいかがなものか」という意見や、「歴史的建造物は保存するべき」という動きが広まり、国鉄の財政破綻とも時期が重なった。紆余曲折を経て、保存するとの結論が出たのは国鉄民営化直後の1988(昭和63)年、政府とJR東日本が合意した時のことである。そして、2003(平成15)年には国の重要文化財に指定された。2012(平成24)年には、老朽化した建物を補修すると同時に、戦災前の建築時の姿に復元したのだった。
この駅舎内にある東京ステーションホテルは、古くから多くの著名人に利用されており、ヨーロピアンクラシックの格調高い高貴な雰囲気に浸ることができる。
駅構内に残る首相襲撃事件現場と進駐軍向けのレリーフの日本地図
東京駅には、赤レンガ駅舎以外にもいくつかの歴史的なものが残っている。戦前には東京駅構内で2人の首相が右翼の青年に襲われる物騒な事件が発生した。第一の事件は、1921(大正10)年11月4日に現在の丸の内南口改札外側にて第19代原敬首相が刺殺された事件。そして、第二の事件は1930(昭和5)年11月14日、現在の中央通路の東北上越新幹線乗換え口付近で第27代濱口雄幸首相が銃撃された事件である。その時、濱口首相は一命をとりとめたものの翌年8月に死亡した。それぞれの現場には、襲撃された位置を示す目印が埋め込まれ、近くには「遭難現場」のプレートが掲げられている。だが、大勢の利用者が行き交う構内で、それに気づく人は少ない。
また、京葉線八重洲地下改札の外側には、R.T.Oレリーフが保存されている。R.T.OとはRailway Transportation Office の略で、これは、終戦直後、東京駅に進駐軍の鉄道司令部ができた時に設置された石膏のレリーフである。これは「進駐軍が驚くような意匠を施そう」と横浜工業学校(現横浜国立大学)の中村順平教授の指導の下、当時の新鋭彫刻家たちが制作したものだ。レリーフには日本列島の地図に主な鉄道路線が描かれ、主要駅がローマ字で記、されている。元々、丸の内駅舎の南口に設置されていたが、駅舎の復元工事に伴って現在地に移設された。
たくさんある改札口と京葉線から有楽町乗換えの裏ワザ
1日平均90万人(2019年度)もの人々が乗降する東京駅には、数多くの改札口がある。その数は筆者が数えたところ、24カ所もある。在来線改札12カ所、新幹線改札5カ所、新幹線と在来線の乗り換え改札5カ所、及びJR東海とJR東日本との新幹線同士の乗り換え改札2カ所の合計24カ所である。(数え間違っていたらご容赦願います)
たくさんある改札口の中で、京葉線のふたつの地下改札口は、ほかの改札口からかなり離れた場所にある。1990(平成2)に開業した京葉線の東京駅は、新幹線やその他の在来線から南に500メートルほど離れている。JRの時刻表によれば、新幹線と京葉線との乗換え標準時分は20分となっており、慣れた人でも最低10分は必要だろう。ところが、隣の有楽町駅までは300メートルほどしか離れていない。つまり、京葉線各駅から、新橋より先の山手線や京浜東北線の駅に行くには、東京駅構内の長い地下通路を歩くより、有楽町まで歩いた方がはるかに早く乗換えられるのだ。でも、通常のルールでは東京駅と有楽町駅は別の駅なので、普通に改札口を出るときっぷは回収され、ICカードでも運賃が一旦東京で精算されてしまう。そこで、JRのイキな特別ルールがある。この場合の乗換えに限り、京葉線近くの改札口、または有楽町駅の東京駅寄りの改札口で申し出れば、証明書を発行してくれて別料金なしで乗換えられるのだ。京葉地下八重洲口を出ると、目の前に2番出口がある。その先の階段を登ると、有楽町駅に一番近い出口がある。ただし、この出口は、東京駅で最も地味な出口だと思う。通路は狭くて薄暗く、エスカレーターもエレベーターも設置されておらず、通る人も少ない。地上に出ると、新幹線と東海道在来線の高架橋にはさまれた場所にひっそりとあるのが、この出口だ。そこには「有楽町駅まで徒歩3分」との貼紙があった。これが天下の東京駅とは思えない、正に知る人ぞ知る不思議な出口なのだ。
駅弁は種類が多いが、東京駅では東京の駅弁を買いたい
さすがに東京駅で販売される駅弁は種類が多い。中央通路にある「駅弁屋祭」では、米沢駅の「牛肉どまんなか」仙台駅の「牛タン弁当」、横川駅の「峠の釜めし」、福井駅の「かにめし」、西明石駅の「ひっぱりだこご飯」、など全国の有名駅弁が200種類以上も並んでいる。
だが、ちょっと待てよ・・・駅弁というのは本来、その土地の駅弁をその土地の駅で買うものではなかったのか、と思ってしまう。元々は列車の停車時間に窓を開けて立ち売りのおじさんから買うのが駅弁だった。だが、今は、主要駅に行けば、全国各地の駅弁を買うことができる。便利といえば便利だが、本来の駅弁の姿ではないと思う。筆者は、地方の駅弁は、旅のこだわりとして、その地方の駅で買うことにしている。なので、東京駅で買うなら、東京の「深川めし」(日本ばし大増)がおすすめだ。元々は江戸時代の深川の漁師の賄い飯がルーツのB級グルメで、アサリの入った炊き込みご飯に、穴子や卵焼き、ごぼう、コンニャクなどが入った素朴な味わいである。
そのほか、駅構内地下の待ち合わせスポット「銀の鈴」の近くにある「グランスタ」や、八重洲口にある大丸東京店地階食品売場では、専門店の弁当をたくさん売っており、いつも多くの人たちで賑わっている。これは駅弁というカテゴリーとはちょっと違うけれど、今や、列車に食堂車はなく、車内販売のある列車もどんどん減っているので、こうした弁当を買う人たちはこれからも増えていくことだろう。
【テツドラー田中の「駅の旅」①東京駅】JR東日本/東海道本線・東北本線・中央本線・総務本線・京葉線・東北新幹線(横須賀線・京浜東北線・山手線)/JR東海/東海道新幹線/東京都千代田区丸の内