『笑点』新加入の春風亭一之輔 司会の春風亭昇太とあまりにも遠いその関係性
『笑点』2人めの春風亭である一之輔
『笑点』の新メンバーに春風亭一之輔が入った。
ホンモノの実力派落語家である。そんな時代になったのかとちょっと驚いた。
いまの笑点メンバーで2人めの「春風亭」である。
亭号で笑点メンバーを分けるとこうなる。
春風亭:昇太と一之輔
三遊亭:好楽と小遊三
林家:木久扇とたい平
桂:宮治
あらためて見ると、おのおの亭号が同じであるだけで、系統から見るとそんなに近いわけではない。まったく近くない。
つまり「名字は同じだが親戚ではない」というのと同じだ。
落語家の身分保障は誰かの弟子であることだけ
落語家になるには、落語家に入門しないといけない。
ある落語家個人の弟子にならないといけないのだ。
落語協会や落語芸術協会という組織に入るのではない。
入門した師匠が所属していたところにそのまま所属となるだけである。
落語家の身分保障は「私はあの落語家の弟子である」というところにしかない。
誰の弟子でもないです、というプロの落語家はこの世に存在しない。
そんなこと言うのはタヌキかキツネが化けているに違いないので、気をつけられたい。
師弟の芸名はふつう似ている
芸名はだいたい師匠からつけられる。
誰の弟子であるか、どういう系統の落語家であるか、推察できる名前が多い。
立川談春の師匠は立川談志であり、名前を並べるだけで関係性の近いことがわかる。
談春の弟子のこはるは、この春、真打に昇進して名前を変えるがそれは「立川小春志」である。コハルシではなくコシュンジと読む。立川談春の「春」の字と、談志の「志」をもらって、どの系統の弟子かよくわかる。
ただまあ必ずこういう名前になるわけではない。古い名跡を復活させたり、また亭号からして違う名になったりもする。
だから亭号が同じだからといって、近い筋だとは限らないのだ。
笑点メンバーでもっとも系譜が近い二人は木久扇と好楽
笑点メンバー7人のうち、系譜がもっとも近いのは、実は、林家木久扇と三遊亭好楽である。
いまは林家と三遊亭になっているが、もともと師匠が同じだ。
林家正蔵(八代)が師匠である。
晩年に林家彦六と改名した正蔵である。
木久扇はいまだにこの師匠の話をネタにしている。
テレビでバスケットボールの試合を見ていた明治生まれの正蔵は「さっきから若えやつらが球を拾っちゃアミの中に入れてるが、底が抜けてるのを知らねえんで何度も何度も入れてやがる、誰か教えてやんな」
そういうやつである。
三遊亭好楽は「林家」九蔵だった
木久扇は最初は桂三木助(三代目/芝浜を美しく完成させ名人と呼ばれる)に弟子入りしたが半年も経たないうちに師匠がなくなって、林家正蔵(八代)の弟子となった。1961年のことである。
三遊亭好楽は、同じ正蔵に1966年に入門している。その時の名は林家九蔵。
5年差なので、そこそこ近い。
おそらく師匠の家で会ったことがあるのではないかとおもうが、正蔵の家は狭かったらしいので、本当のところはどうだか知らない。
二人はわりと近い兄弟弟子であった。
でもそのことは『笑点』ではいちいち触れられない。
林家の木久扇とたい平の関係は、かなり遠い
では同じ「林家」である木久扇とたい平は、どれぐらい近いのか。
何代さかのぼれば、師匠が同じになるのか。
たい平の系譜をさかのぼる。師匠の、その師匠の、とさかのぼっていく。
複数の師匠がある場合は、もっとも芯の師匠だとおもわれる人を選んでさかのぼることにする。
林家たい平
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林家こん平(ちゃんらーんで有名な元笑点メンバー)
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林家三平(初代/一世を風靡した昭和のスター落語家)
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林家正蔵(七代/初代三平の実父)
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柳家三語楼(初代/大正期の大人気落語家)
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柳家小さん(三代/小説『三四郎』で夏目漱石が絶賛した稀代の名人)
五代さかのぼると有名な「三代小さん」にたどりつく。
木久扇とたい平の隔たりは「八代」
では木久扇のほう。
林家木久扇
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林家正蔵(八代)
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柳家小さん(四代/渋い落語で玄人筋に高く評価されている)
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柳家小さん(三代)
三代さかのぼれば三代小さんについた。
木久扇の大大師匠がすでに三代小さんかとおもうと、ちょっと驚く。
たい平と木久扇の「落語家としての親等」は「八代の隔たり」である。
好楽から五代辿れば落語界の巨人にいきつく
つづいて、三遊亭の小遊三と好楽。
好楽が「三遊亭」となったのは、三遊亭圓楽(五代)の身内となったからだ。
落語家人生後半の師匠は圓楽である。
三遊亭好楽
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三遊亭圓楽(五代/笑点の司会を長年やっていた馬づらの圓楽)
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三遊亭圓生(六代/昭和の名人と呼ばれ膨大な持ちネタ数を誇った)
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橘家圓蔵(四代/品川の圓蔵、洒脱だったらしい)
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三遊亭圓生(四代/幕末から明治の人、師匠を唸らせるほどうまかったらしい)
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三遊亭圓朝(落語界の巨人)
三遊亭圓朝は、落語史上だけではなく、日本文学史上にもその名を残す巨人である。
江戸落語中興の祖と言われる。好楽から五代でそこまでたどり着く。
小遊三は圓馬経由で三遊亭圓朝へつながる
いっぽう小遊三のほう。
三遊亭小遊三
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三遊亭遊三(三代/現役、わたしは勝手にパペポの師匠と呼んでおり大好きである)
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三遊亭圓馬(四代)
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三遊亭圓馬(三代)
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三遊亭圓左(初代)
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三遊亭圓朝
ここで圓朝にたどりつく。五代である。
どちらも五代ずつなので、好楽と小遊三の隔たりは「十代ぶん」である。
桂宮治は桂文治へとつながっている
ちなみに宮治だけが一人「桂」である。
いまの東京の桂も、だいたい大阪の桂系統が多く、そのまま辿れば、有名な桂文治(初代)にいきつく。(有名だったのは寛政文化のころ)
宮治からのを簡単に遡ると(すべて亭号は桂)
宮治―伸治―文治(十代)―小文治(二代)―文治(七代)―文團治(初代)−文枝(初代)―文治(三代)−文鳩―文治(二代)―文治(初代)
初代文治は上方落語の始祖の一人である。
七代目文治以前はすべて大阪の落語家だ。
桂文治は大坂落語でもっとも大事な名前だったのだ。
江戸方に移ってしまったのは、これだけはとてももったいないと、そうおもう。
春風亭昇太からずっと辿れば初代三笑亭可楽へいきつく
さて、では最後に春風亭昇太と春風亭一之輔。
同じ春風亭だけれど、ずいぶんと系譜が違う。
昇太からさかのぼる。
春風亭昇太
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春風亭柳昇(五代/今や春風亭柳昇といえばわが国で私一人でございますの柳昇)
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春風亭柳橋(六代/落語芸術協会を作り四十年余会長を務める)
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春風亭柳枝(四代/落語睦会を結成)
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春風亭柳枝(三代/明治期の落語家、柳派の頭取)
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談洲楼燕枝(初代)
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春風亭柳枝(初代)
ここからさらに辿ると、これまた落語家の始祖の一人である三笑亭可楽(初代)へとつながる。とりあえず昇太から初代柳枝まで六代。談洲楼燕枝まで五代。
一之輔と昇太のあまりにも遠い関係
さて春風亭一之輔のほう。
春風亭一之輔
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春風亭一朝(現役。今日も「いっちょう」懸命、話しているはず)
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春風亭柳朝(五代/談志・志ん朝らと並び称された実力派)
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林家正蔵(八代/木久扇・好楽の師匠)
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柳家小さん(四代)
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柳家小さん(三代)
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禽語楼小さん(二代)
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柳亭燕枝(初代/談洲楼燕枝と同一人物)
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春風亭柳枝(初代)
柳枝までさかのぼらなくても談洲楼燕枝で折り返せる。
そこまでで七代。昇太から初代燕枝まで五代なので、一之輔から昇太まではなんと十二代の隔たりがある。
十二親等となると、もう、ほぼ赤の他人と言っていいだろう。
一之輔と昇太は、同じ春風亭でもおそろしく遠い関係にある。
一之輔にもっとも近いのは木久扇・好楽であり、一之輔の「師匠の師匠の師匠」が木久扇と好楽の師匠で、つまり四代隔たりである。かなり近い。
一之輔と昇太の共通点は幕末までさかのぼる
笑点メンバー同じ亭号別、系統の近さをあらためて並べておく。
林家:木久扇とたい平は八代の隔たり
三遊亭:好楽と小遊三は十代の隔たり
春風亭:昇太と一之輔は十二代の隔たり
十二代の隔たりだと、だいたい幕末までさかのぼって、そこから戻ってくるしかない。すごい距離である。
亭号が同じだからといって、同じ一門ではないことも多いわけだ。
キャラも落語の芸風もまったく違い、昇太と一之輔には、たしかに「春風亭」以外にあまり共通点があるようにおもえない。
ちょっとおもしろい関係性だ。
しばらく見守っていきたいとおもう。