【富田林市】佐備神社の由緒と歴史とは?不思議な恰好をした狛犬の意味や冨永流浪花神楽について調べました
富田林市内の東南に位置する佐備(さび)地区。この地域の鎮守といえば佐備神社(さびじんじゃ)です。ところで佐備神社の入り口には、このような不思議な恰好をした狛犬(こまいぬ)がいます。今回はこの狛犬の意味、そして神社の歴史・由緒についておさらいしましょう。
佐備神社は、大阪府道201号線・甘南備川向線沿い下佐備バス停の近くにあります。神社の入り口そのものは、市内にいくつもある神社のそれとあまり変わりません。
しかし、明らかに違うのが入口にある狛犬(こまいぬ)の存在です。狛犬が立ち上がり、階段の上を眺めています。
そして右側の狛犬を見ると、左の狛犬ほど立ち上がってはいないものの、やはり上を見ています。
これは錦織神社の狛犬です。狛犬とは、ライオンや犬に似た日本の想像上の生物。ほとんどの神社にいる狛犬は、このように守るべき神社を背に向けて、参拝者と正対しています。
ところが佐備神社の狛犬は参拝者に背を向けて、階段の上にある境内を向いています。それはいったいどういうことでしょうか?
ヒントは階段の上にあります。階段の上には左側だけ狛犬らしき像の姿があります。
階段を上がったところにある像。これは狛犬ではなく親獅子で、下にいたのは獅子っ子と呼ばれるもの。一説によると獅子(ライオン)は、子供を千尋(せんじん)の谷に突き落とすなど、試練に耐えた子だけを育てあげる習性があるとか。
それを佐備神社で再現していたのです。境内のいちばん下にいる獅子っ子は、ここから親の獅子のいる階段の上まで這い上がろうとしていました。
そういわれると、親獅子は心配そうに獅子っ子を見つめているようにも見えました。
そして獅子っ子のように、高い目標をクリアするために、目的を目指して登ろうという願いが、この像に込められているそうです。
さて改めて佐備神社ですが、社伝によると西暦858(天安2)年正月の創建です。
かつての豪族、忌部氏(いんべうじ)の流れをくむという佐味氏(さみし)がこの地に住んでいました。そして、佐味氏は忌部氏の祖神(そじん:先祖の神様)とされる天太玉命(あめのふとだまのみこと)をこの神社に祀ります。
ちなみに、この天太玉命という神様は、日本神話で天照大神(あまてらす)が天岩戸に隠れてしまうエピソードのところで登場しています。
境内から見える佐備神社の社殿は、神門で閉じられた先にあります。社殿は三社造りで左に松尾大神、右側には春日大神が祀られているとのこと。
門の前に狛犬がいますが、この狛犬は通常の狛犬同様の格好をしていて、参拝者の方を見ています。
また佐備神社には「延喜式内社(えんぎしきないしゃ)」との表記があります。これはなんでしょうか?
これは、平安時代の初期、醍醐天皇の時代に、左大臣藤原忠平(ふじわらのただひら)ら大納言藤原清貫(ふじわらのきよつら)らが編纂した「延喜式」という名前の格式(きゃくしき:法令集)のこと。
延喜式全50巻のうち、初の10巻が、神社に関係する内容を記載した神祇式(じんぎしき)と呼ばれるものです。
神祇式9巻と10巻は神名帳(じんめいちょう)という神社の一覧が記載しているのですが、佐備神社は9巻目に記載があります。そして記載がある神社を「延喜式内社」と呼びました。
佐備神社はそれだけ古くから名前が知られた由緒ある神社です。
なお佐備神社では、里神楽(さとかぐら)の流れをくむ冨永流浪速神楽(とみながりゅうなにわかぐら)を継承しているとか。
佐備神社の歴代宮司らが神楽に関する組織・関西雅楽松風会の会長となって、大阪府神社庁の講習会で神楽の指導をしているとか。そして神社本庁からの表彰も受けています。
さらに神楽舞を後世に伝え残すために、神社に使える神職だけでなく、神事に関心があれば、一般の人も参加できる神楽のお稽古が行われています。興味のある方はこちらのページ(外部リンク)にて詳細があります。直接佐備神社に問い合わせてみましょう。
佐備神社は、主祭神の天太玉命や松尾、春日の両神ほか、境内に摂社や末社が数多くあります。次に参拝の際には、入口の獅子(狛犬)の不思議な形だけでなく、改めて神社の由緒や歴史に思いをはせてみましょう。
佐備神社(外部リンク)
住所:大阪府富田林市佐備467
電話:0721-34-6993
アクセス:近鉄富田林駅からバス 下佐備バス停から徒歩3分
※2・3台の車を止められる駐車スペースがあります。