【河内長野市】敵ではなく、仲間に殺された天誅組の上田主殿の墓は、延命寺の境内奥の山中にあります
明治維新の先駆けともいわれる天誅組(天忠組)は、楠木正成ら南朝とともに南河内地域の歴史で忘れてはいけない存在ではと思います。先日紹介した天誅組の鳴川清三郎が住んでいた旧鳴川邸で行なわれた天誅組のセミナーに私も参加してきました。
このときに貴重な情報を得たのですが、その中で上田主殿という人物のことがとても気になりました。なぜならば天誅組に参加していながら、中心メンバーに自分の意見を言って議論したことが原因で、同じ天誅組の仲間から殺害されたということが紹介されていたからです。
そして富田林市史第二巻 十津川募兵(外部リンク)の項目にも次のような記載があります。一部引用します。
意見の食い違いがあったとはいえ、敵ではなく仲間にその場で斬られてしまうとはなんとも複雑ですね。
上田主殿を調べると、旧鬼住村(現:神が丘)出身の人で、家は代々鬼住村の庄屋だったとのこと。さらに墓が延命寺の境内にあることを知りました。
先日延命寺に立ち寄る機会があったので、上田主殿の墓に行ってみることにしました。場所を調べると、延命寺の山門から正面に見える毘沙門堂の横から山を登るような情報を得ました。
毘沙門堂の右横にある道から山に登ります。
階段が続いていました。
石でできた仏像が並んでいます。
順番に並んでいました。
道なりに上がっていきます。
振り返ると、毘沙門堂が眼下に見えました。
更に歩いていきました。途中で分かれているところがあったので、最初左側の道に進みました。
引き続き歩いていきます。
途中で墓のようなものがありますが、これではないようです。
ところがさらに登りは続いていますが、地図のアプリで出てくる上田主殿の墓からは離れていくようだったので引き返しました。
先ほどの分岐点まで戻り、今度は右側の道を進みます。
黒い柵が右側にある道です。
ちょうど、奥河内もみじ公園のはす池が見えました。
蓮池を見ながら道なりに歩いて行くと
墓地のほうに上がる階段を発見しました。この墓地の中に上田主殿の墓があるようです。
階段を上がったところです。上がった位置から左側のほうに墓があるようです。
そして左端にてようやく見つけました。
こちらが上田主殿の墓です。「明治維新勤皇志士」と、墓石にはっきりと刻まれていました。ということで手を合わせてきました。
帰りは引き返さず、先を歩いてみることにしました。右手に蓮池が見えたので、そのほうに行けるようです。
階段を降りると蓮池のほうに行けるようです。
広いところに出ました。
蓮池まではもう少し降るようです。
蓮池とスイレン池の前に出ました。手前のスイレン池は昨年改修が行なわれたそうで、その先に見える蓮池は2011年に改修したという情報がありました。
スイレン池のほうは水が溜まっていましたが。蓮池のほうは干上がっていました。おそらく意図的に水を抜いているものと思われます。春の時点では何もない状態でした。
蓮のきれいな季節にもう一度訪問しようと思いました。
ということで、蓮池から階段を下りて延命寺の境内に戻りました。
さて延命寺と言えば今年も5月5日に青葉祭が開催される予定でした。
ところが青葉祭は昨日、急遽中止が決定してしまいました。出店者からも中止のアナウンスが続々と確認できます。たとえばいつも行列ができる人気のそば「うら田」さんからも中止の発表がありました。
青葉祭は残念なことになりましたが、延命寺は青もみじの美しい季節です。もし明日からのGWの後半、近くに立ち寄る機会がありましたら幕末の南河内で新しい時代のために奔走した上田主殿のお墓にも訪問して手を合わせてみてはいかがでしょう。
上田主殿の墓
住所:大阪府河内長野市神が丘492延命寺奥
アクセス:南海美加の台駅からバス 神ヶ丘口バス停または延命寺口バス停から徒歩
---------------------------------
奥河内から情報発信のおすすめ記事がLINEに届きます!
奥河内地域に住んでいる人たちに役立つ情報を毎週水曜日の10:00にお届けします。
ぜひご登録ください!
<友だち追加の方法>
■下記URLをクリックして友だち登録してください
※本リンクはYahoo!ニュース エキスパートとの取り組みで特別に設置しています
---------------------------------
※記事へのご感想等ございましたら、プロフィール欄にSNSへのリンクがありますのでそちらからお願いします。