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日馬富士暴行事件をめぐる週刊誌とテレビの報道はなぜこんなに違うのか

篠田博之月刊『創』編集長
「週刊文春」「週刊新潮」の誌面(筆者撮影)

 日馬富士暴行事件に端を発した大相撲騒動は年末までもつれこんだ。

 11月14日のスポニチのスクープに端を発したこの騒動、そもそも暴行事件があったのは10月26日だから2カ月以上にわたって続いていることになる。ワイドショーも週刊誌も視聴者や読者の反応が非常に良いそうで連日、報道を展開している。特に平日の生の情報番組を増やしているテレビの場合は、白鳳や貴乃花親方を追いかけて「何か一言」とマイクを突きつけるだけで画が成立するから、そういう映像を大量に流している。連日そういう画面ばかり見せつけられる側からは、もううんざりだという声も出ているのだが、このマスコミによる大騒動、考えてみると非常にわかりにくい。そもそも暴行事件は偶発的なものだったのか、なぜ貴乃花親方は相撲協会に協力的でないのかなど、騒動の骨格部分がテレビを見ていてもさっぱりわからないのだ。

 テレビと週刊誌の報道が全く異なった見方のまま続いていることも奇妙だ。図式化して言えば、週刊誌は白鵬と相撲協会を批判し、テレビは貴乃花親方に批判的だ。例えば『週刊文春』12月21日の見出しは「貴乃花が許せない相撲協会“三悪人”」。三悪人とは相撲協会の八角理事長と尾車親方、そして白鵬だ。『週刊新潮』12月21日号も「沈黙の貴乃花が心情吐露!『本当のワルは白鵬』『私は完全にハメられた』」と貴乃花親方寄りの切り口だ(といっても貴乃花親方が誌面に登場するわけでなく、根拠は匿名の関係者の証言なのだが)。

今回の騒動を週刊誌で読んでいる人と、新聞・テレビで見ている人とでは、明らかに違った印象を持っていると思われる。そしてこの奇妙な構図にこそ、大相撲をめぐる報道の構造的な問題が隠されているといえる。実はその構造的問題を把握することが今回の騒動の本質を理解する鍵でもあるように思うので、少し整理してみたいと思う。

 週刊誌が今のような白鳳と相撲協会に批判的な論陣を張るようになった端緒は、11月30日発売の『週刊新潮』12月7日号の記事だった。「『貴乃花』停戦条件は『モンゴル互助会』」と見出しはわかりにくいのだが、記事内容は明快だ。一言で言えば「この騒動の背景に八百長問題がある。それを理解しないと騒動の本質はわからない」というものだ。

 モンゴル人力士が部屋を超えて結束し親睦を深めているのは知られているが、同誌はそのモンゴル人力士同士の幾つかの取り組みを具体的に検証している。例えば2012年5月場所。横綱を目指していた大関の日馬富士が14日目を終えて7勝7敗。最後に白鵬に勝って勝ち越すのだが、その白鵬の負け方が不自然だとして、ベテラン相撲ジャーナリストの分析を紹介している。他にも幾つかの取り組みについて、同誌はそういう分析を行っていく。つまりモンゴル人力士同士の関係がある種のなれ合いを生み、八百長が疑われるような状況に至っているというわけだ。

 そして暴行事件との関わりについて言えば、そういうモンゴル人力士同士の関係に疑問を呈してきたのが、相撲界の八百長体質を批判してガチンコを実践してきた貴乃花親方であり、弟子の貴ノ岩だったという。貴ノ岩がそういう意見であることはモンゴル人力士の間では知られており、今回の暴行事件は偶発的なものではなく、そういう貴ノ岩の言動に対する白鵬らによる報復だったというのだ。

 確かにこの見方だと、合点の行くことも多い。貴ノ岩が白鵬ら世代の時代は終わったと話していたというのが先輩に対する無礼な態度だとして暴行事件に至る遠因とされているが、その言動も、単に貴ノ岩が生意気だったのではなく、親方から引き継いだガチンコ相撲を提唱したものと理解すると、印象が180度違う。また貴ノ岩がモンゴル人力士でありながら白鵬らに批判的で、暴行事件がそれに対する報復だったとすると、貴乃花親方が相撲協会でなく警察に被害届を出したことや、公の場で自分の考えを語らないのも理解できる。貴乃花親方が、八百長を産み出す体質への批判から今回の行動に出ているとすれば、これは相撲界のタブーに触れることで、マスコミの前でべらべらしゃべるわけにはいかないわけだ。

 ただ、もちろん事件の背後に八百長問題が存在するという『週刊新潮』の見方を、相撲協会は真っ向から否定しており、同誌発売直後に抗議文を送っている。それゆえ、週刊誌は、翌週に『週刊文春』が同じ見方を展開し、白鵬や相撲協会批判のキャンペーンを張っていくのだが、新聞・テレビはその見方に触れることもできない。相撲協会が否定していることを報道していけば、協会への取材ができなくなる恐れがあるからだ。過去、『週刊ポスト』『週刊現代』そして今回の『週刊新潮』『週刊文春』と、八百長問題を追及してきたのはもっぱら週刊誌で、新聞・テレビは黙殺してきた。記者クラブメディアと週刊誌との対立という構図だ。

 かつてキャンペーンを張った『週刊現代』が訴訟を起こされて挙証責任を問われ敗訴したこともあったように、八百長問題というのは立証が難しい。『週刊新潮』12月7日号があげた幾つかの取り組みについても、例えば私は東京新聞の「週刊誌を読む」という連載コラムで紹介したところ、相撲ファンを名乗る読者から、その見方は誤っている、という投書が届いた。『週刊新潮』の記事では、好調だった白鵬がその一戦に負けたのは怪しいという見方が披露されていたのだが、当時白鵬は好調ではなく、その一戦は負けても不思議はない、データをよく分析すればわかるはずだ、というのだ。

私としては同誌の記事を紹介しただけで、内容についてそう言われても困ってしまうのだが、その投書はせっかくなので、『週刊新潮』の宮本太一編集長に会った時に、コピーを渡しておいた。同誌編集部にも12月7日号の記事については、たくさんの意見や反響が届いているそうだ。八百長問題というのはあくまでも状況証拠によるもので、特定の取り組みが疑わしいかどうかは、当事者が証言でもしない限り、認定が難しい。2011年にそれが社会問題化したのは、野球賭博を機に警察の捜査が入ったからだ。

 さて、『週刊新潮』12月7日号の記事は、その段階で敢えて「背景に八百長問題あり」という指摘を行ったという点ではタブーに踏み込んだと言えるのだが、案の定、相撲協会の反発にあった。だから、もしかすると、その後の展開はないまま終わってしまうのではないかと思われたのだが、そうはならなかった。翌週号で『週刊文春』が参戦したからだ。1誌だけで孤立無援なのと、複数のメディアが競合するのとでは、報道する側の心理は全く違う。

 12月7日発売の『週刊文春』12月14日号は「貴乃花VS白鵬『八百長』の真実」という特集記事を大きくぶちあげた。「八百長」と敢えて見出しに謳ったところに同誌の覚悟が感じられる。

八百長問題は野球賭博問題によって2011年に社会問題化し、疑いのある力士が処分されたのだが、その中にモンゴル力士が多かった。今回、『週刊文春』は、当時、反発したモンゴル力士たちが次の場所をボイコットしかねない事態に至っていたことなどを報じ、そうした経緯が今回の事件にも影を落としていると指摘している。白鵬については、2007年、『週刊現代』が展開した八百長疑惑キャンペーンでも触れられていたが、相撲協会が起こした裁判でもその部分は審理がなされておらず、白鵬についての疑惑はまだ晴れていないというのが『週刊文春』の指摘だ。

 ちなみにその12月14日号の特集記事の中で、同誌は今回の騒動について「本当に悪いのは誰だ?」という読者アンケートの結果を公表している。1位が白鵬で36%、2位が日馬富士28%、3位が貴乃花親方15%。なかなか興味深い結果だ。

 その翌週の12月21日号で『週刊文春』『週刊新潮』がどういう記事を載せたかは前述した通りだ。同時にこの段階になると、『FLASH』なども12月26日号で「すべてはここから始まった!大混乱『日馬富士暴行障害事件』勃発の原点」と謳って「貴乃花、本誌だけに語っていた『八百長撲滅』その肉声」という記事を掲げている。暴行事件のおおもとは八百長問題だという指摘だ。

 また12月28日号でも『週刊文春』が「貴乃花vs白鵬・相撲協会 本誌しか書けない全真相」、『週刊新潮』が「『貴乃花』『白鵬』最後の死闘」と、見出しは前号より中立風だが、相撲協会批判を強めている。『週刊新潮』は「貴乃花を突き落とす『検察』『読売新聞』」という中見出しを掲げ、相撲協会で今回の事件への対応を担っている高野利雄・危機管理委員長を通じた検察人脈と、高野氏が読売グループとパイプを持っていることから、読売新聞も「貴乃花を突き落とす」側に回っているのではと分析している。但し、これも鳥取地検の検事も読売側も否定しているから真相はわからない。

 週刊誌の報道と新聞・テレビの報道がこんなふうに乖離している現実については、青木理さんも『週刊現代』12月30日号のコラムで指摘している。新聞・テレビの報道が「見事なまでにほぼ全員が相撲協会寄り」というのだ。

 週刊誌は貴乃花親方寄り、ワイドショーやスポーツ紙は相撲協会寄りというこの構図、八百長問題というタブーに関わるがゆえなのだが、最近の週刊誌の報道を読んでいると、貴乃花親方周辺の情報源を得ていることも窺える。これだけ週刊誌がキャンペーンを張っていれば、貴乃花親方の関係者は当然、週刊誌の取材に応じて情報を提供していこうという気持ちになるに違いない。一方で、相撲協会も「貴乃花親方の頑なな態度」という絵柄を意識的に報道陣に公開している感がある。ある意味でこれは、相撲協会と貴乃花親方の情報戦と言ってもよいかもしれない。  

 ただ、この騒動を、週刊誌を通じて見ている人は貴乃花親方寄り、テレビで見ている人は協会寄りとなっているというこの状況は決して良いことではない。もう少し工夫ができないかと思う。特に貴乃花親方を追っかけ、マイクを突きつけるだけのテレビの報道は考え直したほうがよい。

 月刊『創』では報道被害にあった側の声をよく取り上げるのだが、かつて若貴の母親、藤田紀子さん(旧・花田憲子さん)が二子山部屋の女将だった時には、彼女の証言を何度か誌面化した。その頃、紀子さんがよく言っていたのだが、部屋を出た途端にフラッシュをたかれ、マイクを突きつけられるという状況で、自分の思いを語ることなどできるはずがないじゃないですか、というのだ。常識的に考えればこれは当然の感覚であって、大勢が寄ってたかってマイクをつきつけるという「集団的過熱取材」は真相解明にはほど遠いというのをテレビ制作者はいい加減考えるべきではないだろうか。

月刊『創』編集長

月刊『創』編集長・篠田博之1951年茨城県生まれ。一橋大卒。1981年より月刊『創』(つくる)編集長。82年に創出版を設立、現在、代表も兼務。東京新聞にコラム「週刊誌を読む」を十数年にわたり連載。北海道新聞、中国新聞などにも転載されている。日本ペンクラブ言論表現委員会副委員長。東京経済大学大学院講師。著書は『増補版 ドキュメント死刑囚』(ちくま新書)、『生涯編集者』(創出版)他共著多数。専門はメディア批評だが、宮崎勤死刑囚(既に執行)と12年間関わり、和歌山カレー事件の林眞須美死刑囚とも10年以上にわたり接触。その他、元オウム麻原教祖の三女など、多くの事件当事者の手記を『創』に掲載してきた。

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