田園調布、驚きの100年前写真
駅前から放射状に広がる道路は、太い街路樹が日陰をつくる歩道付き。敷地の大きな邸宅が並び、緑豊かで静かな住環境が保たれる……いくつもの「夢」を実現している住宅地が、東京都大田区の田園調布。日本を代表する高級住宅地だ。
その「田園調布」が今年生誕100年を迎えた。
100年前の1918年(大正7年)、田園都市株式会社(現在の東急不動産ホールディングス)が設立されたときから田園調布の歴史が始まると考えて、生誕100年となるわけだ。
ゼロから始まった「理想の住宅地づくり」
1918年当時、田園調布駅はまだなかった。現在の東急東横線の前身である東京横浜電鉄の線路と田園調布駅ができる前から住宅地の開発が始まった。
「単に電車を通す、駅をつくるだけでなく、駅周辺に住宅地をつくり、便利な暮らしを実現させよう」という発想は、以後、住宅開発の理想となった。
おおよそ100年前、冒頭の現・田園調布駅前とほぼ同じアングルで撮ったと思われるのが上の写真。傾斜地にひな壇状に造成されたばかりの田園調布である。すでに街路樹付きの歩道が整備されるものの、街路樹はまだ若く、細い。いずれ大樹に育ち、夏は日陰をつくって心地よい道となる、と説明されても、この何もない住宅地を購入し、マイホームを建てる気になったかどうか。
これから魅力的な住宅地になるかもしれない。でも、何もない造成地をみると今は買う気になれない。そう思う人が多かったのではないか。
この購入者心理は、現在も変わらない。横浜市の港北ニュータウンも、千葉ニュータウンも、そしてつくばエクスプレス沿線の住宅地も、造成されたばかりの頃は買う気になれない人が多かった。
田園調布も、当初はそのよさが理解されなかった。
道路に立っている2人が身につけている外套はいかにも古風。そのことから、古い時代の写真だと分かる。が、造成地に古さはない。「昨年の冬に撮影した、新しい造成地」と説明されても、納得しそうだ。
それだけに、田園調布の街づくりは100年前の日本において「恐ろしく画期的」だった。駅から放射状の道路も、街路樹付きの歩道もあまりに欧米的で、そのよさを理解しにくかったろう。100年前に、現在の田園調布を想像しろ、というほうが無理である。
何もないところからつくりはじめたので、「駅に近いのに、住環境がよい」住宅地をつくることができた。しかし、理想を追求した田園調布も、最初に分譲されたときは人気がいまひとつだったという伝説が不動産業界に残っている。
当時、理想の住宅地として人気が高かったのは、千代田区の番町・麹町エリアと港区の麻布エリア。しかし、それら都心の高級住宅地は当時でも値段が高かった。そこで、中堅サラリーマンでも購入できる住宅地として開発されたのが田園調布だった。
「開発の意図は、理解できるのだが……」
なかなか決断できない、というのが初期の反応だったのではないだろうか。
タイムマシンで戻れたら、2区画でも3区画でも買いたい
普通、砂埃が舞うような造成地を前にしたら、「こんな何もないところに住んで、大丈夫かしら」と不安が出てしまう。今でこそ、「タイムマシンでその頃に戻ったら、2区画でも3区画でも買いたい」という人が多いだろうが……。
田園調布は、「ゼロからつくる住宅地」のゼロ段階で、なかなか人気が出なかった。そのことを、私は不動産にまつわる興味深いエピソードとして知っていた。知ってはいたが、心から納得したわけではなかった。「なんで、あんなステキな住宅地が人気にならなかったのだろう」と。しかし、今回、田園調布生誕100年を機に、開発当初の写真をみることができ、実感として「これでは仕方ないか」と納得した。
勇気を出した人が、「いいところに家を買った」ことに
田園調布で撮影された別の写真では、ぽつりぽつり新しい家が建ち始めている。その段階でも、「ここに住みたい」と思えるかどうか。
「あんなところダメだ」
新しく開発された住宅エリアに対し、そのような評価を下す人は多い。田園調布の開発が始まってから100年も経ち、多くの情報を簡単に手に入れることができるようになった現在でも、開発初期の住宅地に対する評価は相変わらず手厳しい。
しかし、勇気を持って購入を決めた人が、結局は「いいところに家を買ったねえ」と言われるようになる。そのことを約100年前の写真が教えてくれるようだ。
田園調布は、成熟して魅力を増した住宅地
ぽつりぽつり家が建ち始めた頃の写真は、現在の田園調布のどのあたりだろう。詳しい撮影場所は記されていなかったので、田園調布の街を探し歩いてみた。最初に家が建ち始めた場所だから、駅に近いはず。そう思って歩き回ると、改めて田園調布のよさが分かった。住宅街に緑が多く、車の通行量が極めて少ない。東急東横線の急行停車駅に近い場所なのに、閑静で落ち着いている。
探し回る間、道を掃除している方や、散歩している方々に声をかけ、古い写真の場所に心当たりがないか尋ねた。結局分からなかったのだが、みなさん、古い写真を見て「こんなだったんだ」「ホントに田園だ」と楽しそう。
撮影地探しを諦めて駅に戻るとき、生け垣に小さな人形を見つけた。道行く人を和ませてくれる心遣いだ。
こういった人柄のよさも田園調布の魅力を育んできたのだろう。