Yahoo!ニュース

「夢が小さくなっていく」 元「箱男」のネクストブレイク芸人・ダブルブッキングの現在 武器は“素直”?

てれびのスキマライター。テレビっ子
ダブルブッキングの川元文太と黒田俊幸 (c)ホリプロコム

ここ数年、「いつ売れてもおかしくない」と“ネクストブレイク”候補に挙げられることが多い実力派コンビ・ダブルブッキング。

類まれなる大喜利センスと深い“闇”を持つ川元文太と、「チャラいを通り越してパラい」などと言われる黒田俊幸からなるコンビだ。

2014年には川元文太が『IPPONグランプリ』(フジテレビ)や『アメトーーク!』(テレビ朝日)などに出演。コンビでも『オールナイトニッポンR』のパーソナリティも務めた。先日の『徹子×さまぁ~ずの爆笑芸賓館 イチオシ芸人GP2016』(テレビ朝日)をはじめとして、テレビで見かけることも多くなった。

もう大ブレイクの準備は整っている。

そんな彼らにこれまでの歩みと現在、そして今後について直撃した。

芸人人生を変えた「箱男」

彼らの人生を大きく変えたのが『進ぬ!電波少年』(日本テレビ)だった。

「箱男」は、“人を信用できない”川元文太が、鉄製の箱の中に入り、道行く人に善意でその箱を押してもらい目標の地点まで到達しようという企画。

この企画で川元は、他人の善意に対しても感謝の弁を述べることもなく、箱の中で悪態をつきまくり視聴者から反感を買っていた。

『電波少年』に出た芸人は猿岩石をはじめ企画終了後は一時的でも売れていく芸人が多かったが、そんな反感から、ダブルブッキングは逆に低迷していくことになった。

――「箱男」の反応はどうだったんですか?

川元: ホントにみんな真正面から受け取りますからね。

黒田: いま、Twitterとかあったらホントに大炎上してますね。

川元: ヤバかったですね……。

――自分が『電波少年』に出るって知ったのは実際に連れて行かれた瞬間だったんですか?

川元: ホントに、あのダースベイダーの音楽が流れたときですね。

――そのときってどう思いましたか?

川元:「あ、売れる」って思いましたね。

黒田: 相方が連れて行かれたって聞いて、ちょうど次の日に事務所に呼ばれたから、「ああ、俺も行くんだ」って思ったんです。そしてら単に「相方の私物を持って帰ってくれ」と。川元が借金してるから、それも「お前払っとけ」って言われて。俺、こいつの借金、5万くらい払わされたんですよ! 意味がわからない(笑)。僕的にはホントに行くと思ったから、前の日に彼女に泣きながら「半年くらい会えなくなる」って電話してて。だからすげえ恥ずかしくて(笑)。半年間、仕事がなくなっちゃったから暇で毎日パチンコ行ってましたね。借金を作っても、帰ってきたらすぐ返せると思ってたんで。

川元: 売れるはずですからね。

黒田: でも、何にもなかったですもんね。ただ借金50万くらいだけが残った

川元: 帰ってきた次の月、本当に給料が「0」でしたからね。

黒田: やっている最中、1回だけ特番のときに川元さんに会ったんです。放送ではお互いに箱の中のまま会話するっていう形だったんですけど、ひとりのスタッフさんの優しさで「トラックの中でだけ会わせてやる」って。トラックの荷台の中で箱から出てきたんですけど、川元さん、一人じゃ歩けなかったんですから。それを見てかわいそうになっちゃって。

川元: 視力も1.5だったんですけど、帰ってきたら、だいぶ下がりました……。

黒田: 「良かったぁ、俺連れて行かれなくて」って思いましたもん。

川元: しかも、最終回は、当時付き合っていた今の嫁が出てきて箱を押して、彼女に「ありがとう」って言ったら、箱が開くっていう筋書きだったんです。僕の彼女はテレビには絶対に出たくないとずっと断ってたんですけど、日テレのスタッフがしつこくて「モザイクかけますから」「そうしないと終わらないですから」って言うから嫁が渋々出て、放送見たらモザイクかけてないんですよ。

――ええー!

川元: クソだなって(苦笑)。

――「箱男」が終わってテレビからオファーは?

川元: まったくなかったです。終わってから1~2年は、ホントに低迷。ライブ出ても全然ウケない。

黒田: 僕らデビューしてからライブでもすぐにウケて調子良かったんですよ。『笑う犬の生活』の若手版の『笑う子犬の生活』(フジテレビ)にも抜擢してもらったりしてテレビにも1年目から出てた。前はホントに「ワーキャー」でライブに出るたびにお客さんが増えていってたんですけど、「箱男」の後は、お客さんに嫌われちゃって暗転中に「ダブルブッキング」って紹介されるだけで客席から舌打ちが聞こえましたからね。すげえやりづらかったですね。

「テレビに合わせる感覚が分からなかった」

ダブルブッキングの名が再びテレビに登場し始めるのはテレビ朝日の深夜番組『虎の門』だ。さまぁ~ずやくりぃむしちゅー、カンニング、バカリズム、有吉弘行らがブレイクの礎を築いた番組だ。

ダブルブッキングは若手芸人が1週間のテレビを見続け、それを解説する「1週間テレビガイド」などに出演。川元は「しりとり竜王戦」で3度準優勝に輝くなど活躍した。

川元: たまたま2003年くらいからちょこちょこ出させてもらって。

黒田: あの番組にはホントに感謝ですね。その番組のネタのオーディション行って、ホリプロから僕らだけ通ったんですよ。でも「1週間テレビガイド」のオーディションには僕らは事務所からお呼びがかからなくて。そしたらディレクターの藤井(智久)さんが僕らのことを気に入ってくれてたのか、「あいつら来てないじゃないか、呼べ」ってわざわざ言ってくれて。ホントにお世話になってます、あの人には。

――どんな方なんですか?

黒田:やるべきことをやってない人に厳しかったですね。本当は番組全部見なきゃいけない企画なのに、「この番組どうだった?」って言われた時に「見てない」って人が結構いたんですよね。それは絶対に許されないんですよ。それを事前に聞いてたから、全部見ましたからね。ビデオデッキ3台くらい買いましたから。使いすぎて壊れちゃうんですよ。1日中、回しっぱなしだから、まあぶっ壊れますよね。深夜番組だからギャラも安かったからマイナスでした(笑)。ありがたいけどツラい現場でした。でもあれで生の怖さとか色々経験させていただきましたね。なにより一流の人と絡めるのが大きかった。裏で元気ない人でも、いざ本番となったら瞬発力とかパワーがスゴい。

川元: 勝俣(州和)さんはやっぱり盛り上げる力がスゴイんですよ。

黒田:ちゃんと正解を出していくんですよね。この人が使われる理由がわかるなって思いましたね。自分が素人時代には「シャーシャー」言ってるだけの人ってイメージだったんですけど(笑)。

――その当時、ライブでは、“嫌われ者”から脱却はされてたんですか?

黒田: ちょっとずつですね。でも悲鳴の起きるようなネタしかやってなかったから一部のコアな人たちしか良しとしなかったですね。よく覚えてるのは、畑で野菜の代わりにビデオテープが取れるってネタをやってたんです。毎回エロビデオが取れるんですけど(笑)。それを見て川元さんが観客に背を向けて自慰をするっていうヒドいネタ(笑)。

川元:袖の芸人たちが笑うのが気持ち良かったんですよね。

――お客さんに合わせようっていうのは?

川元: サラサラなかったですね。ちょっと腐ってたんでしょうね。

黒田: この頃はもうゴールデンの司会とかは無理だから、深夜だけでいいやって思ってた時期でしたね。だから下ネタも全然削らない。

――テレビに合わせようという気もなかった?

黒田:合わせるっていう感覚もいまいち分かってなかったと思います。深夜だったら下ネタでもなんでもOKだろうって。アドバイスしてくれる人もいなかったですよね。「お前、それダメだよ」って言ってくれたのは藤井さんくらいですね。藤井さんの一言って結構大きかったですね。オーディションに持っていったときに、それまで時間をかけてネタを作っていなかったんで、「お前らはまだ切り口だけで勝負している。そのくらいのキャリアになればネタの内容で勝てないとダメだ」って言われたんです。それでいつもは通ってたオーディションに落とされて、そっからネタをちゃんと作ろうって思いましたね。

お笑いブームと「出禁」騒動

00年代後半になるとネタ番組が数多く放送されいわゆる「お笑いブーム」が到来。いよいよ実力派芸人ダブルブッキングの真価が発揮されるかと思われたが、ほとんどが過激でブラックなネタだったダブルブッキングはその流れに乗れたとは言いがたかった。

黒田: 『爆笑オンエアバトル』に出るときは、当時僕らテレビで放送できるようなネタがなかったんです。だから、僕らだけ台本審査があったんですよ。他の芸人が「きっかけ」だけをリハーサルでやる中、ネタも全部リハーサルで事前に見せて、あれはダメ、ここはダメって言われて修正してました。

川元: 散々やって結局、お客さんの投票で落ちるっていう(笑)。

黒田: 当時、初オンエアまでの期間が「7年半」っていう記録も持ってましたからね。

――その後、09年から『爆笑レッドカーペット』が始まりました。

黒田: たまたま1個のネタが引っかかってくれて。じゃあそのパターンのやつを何個かやっていこうと。ちゃんと放送できるネタがあればテレビ出れるんだと思って、ちゃんと作り始めましたね。

――ライブとお客さんの反応の違いは感じましたか?

黒田: テレビはお客さんが暖かいんですよね。基本的になんでも笑ってくれる。だけど、引くときはすごい引くんですよね。

川元: いまも「えー!」って言われますね。

黒田: 些細なことで引かれちゃうんで、『レッドカーペット』のディレクターの藪木(健太郎)さんに「もうちょっとこういう言い方のほうがいいよ」とかアドバイスしてもらいましたね。藪木さんもすげえ優しかったです。結構普通はダメなら追い返されて終わりらしいんですけど、すごく色々言ってくれるんですよね。「いまやってるボケは一部の人にしか伝わらない。テレビっていうのはいかに分かりやすいかですよ」って教えてくれて。「次に持ってくるときは、このネタで、ここを変えてきなさい」って親身になってくれて。

川元 でも『レッドカーペット』終わったら、ネタ番組がほとんどなくなっちゃったんですよね。その後くらいに、おかしくなっちゃうんですよね(笑)。もうテレビはいいから、ライブでウケればいいかって。

そんな思いからだろうか、あるいは生来の“闇”の濃い性格からか。

ダブルブッキングはたくさんの“問題”を起こしている。

ここでは詳しく書けない話ばかりだが、ラ・ママ新人コント大会やラジオ番組の“出入り禁止”や、ニコニコ生放送の番組で泥酔事件を起こしたり、ネット番組では問題発言をしてあわや降板寸前にもなってしまうなど挙げたらキリがないほど。

そうした中、ここ最近は、それまで休止していた単独ライブを久しぶりに開催(以後、毎年開催)し、そのDVD『温野菜』が発売されたり、川元文太の短編小説、Twitterでのネガティブ発言集、黒田俊幸が振り返る黒歴史、ふたりのロングインタビューなどからなる著書『自己満足』(ザメディアジョン)を出版したりと精力的な活動が目立っている。

黒田: 前の単独ライブには、ネタ番組をやっているスタッフの方たちをマネージャーが連れてきてくれて、その人たちに見てもらったんですけど、全員の第一声が「テレビで放送できるネタがない」(笑)。

川元: 1時間半もやったのに。

黒田:新作7本揃えて、1本もない(笑)。

川元: でも、この間、徹子さんの番組(『徹子×さまぁ~ずの爆笑芸賓館 イチオシ芸人GP2016』)に出たんですけど、そのときはこのライブのネタをやったんです。

黒田:テレビに出るのがゴールじゃなくて、出たうえでいかに反響をもらえるかが勝負ですからね。

「芸人を辞める」という念書を書かされた

――よく「本当に面白いやつは時間はかかるかもしれないけど絶対に売れる」などと言われることがありますが、どう思いますか?

川元: ウソじゃないですか(笑)。

黒田: 自分らが面白いかどうかはわからないですけど、そこそこ運は絶対必要じゃないですかね。

川元:結局、「人」なんじゃないですかね。10年過ぎてる人ってだいたい面白いんですよ。あとは人間に好かれるかだと思いますよ。

黒田: 人間がいいヤツかどうかって結構ありますね。嫌なやつは使わないですからね。

川元: いいヤツなんですけどねえ、僕も……(笑)。

黒田: 確かにいいヤツなんだけど“属さない”ですね(笑)。先輩とも後輩ともほとんど交流してなかったですから。

――やめていった芸人も多いと思いますが。

川元: 何人見送ったんでしょうね。

黒田: 見送ったなあ。

川元: 止めれないですもんね。

黒田: 自分らが売れてたら、「がんばったらこんな感じになるぞ」って言えるんですけど、自分らも売れてないから言えない。逆に「あ、賢いな」って思いますね

川元: 結婚して子供もいてってヤツだったら、絶対やめたほうがいいですもんね。

黒田: いまはむしろ就職しながらだって芸人はできますから。それがいまいちばん賢い芸人の形じゃないかなって。

川元: 就職しても別に夕方仕事終わってライブには出れるし。

黒田: ネット配信なんかも自分でできますからね。

――川元さんはご結婚されていますけど、奥さんからは何か言われますか?

川元: 「早くやめろ」と。それは昔からです。ホントは30歳までって約束で。(※現在41歳)

黒田: 10年も延長(笑)

川元: 嫁の兄貴からは「来年月平均の収入が15万円いかなかったら芸人を辞める」って念書を書かされたんですよ。拇印までして。当然いかなかったんですけど、「すみませんもう1年やらせてください」ってまた念書書いて。また次の年も……。兄貴に「いい加減にしろ」って言われるんですけど、でも僕は「なんでテメエに言われなきゃいかないんだ」って(笑)。僕、万が一売れたらですけど、兄貴の家の隣に豪邸建てます。

一同: (爆笑)。

「夢がだんだん小さくなっていく」

――どんな状況になるのがいまの理想ですか?

黒田: 最初はゴールデンの番組でダウンタウンさんみたいに司会をやりたいっていうのが夢だったんですけど、いや、深夜番組で司会できればいいなってなって、最近じゃ、ラジオ一個持てればいいなって夢がだんだん小さくなっていきますね(笑)。まずはホントにお笑いだけで食えるようになりたいっていうのがいちばんですね。

川元: まあとりあえずそれですね。まだアマチュアですから、セミプロ。芸人の卵(笑)。

――仮にライブだけ食べれるならそれでもいい?

黒田: それだけで食えるって言われても、ライブだけだと充実感が少ないですね。テレビはやっぱり華やかなところで、一流の人がいて。そういう人たちと比べてみたいっていうのがいまだにありますね。『キングオブコント』で優勝したような芸人と一緒に並んでネタをやったらどのくらい差があるのかなっていうのを試したいですね。

川元:結局、テレビに出たい

黒田: 顔指されたいですよね。

――ダブルブッキングの武器はなんだと思いますか。

黒田: 川元さんの大喜利なんですかね。言葉のセンスかな?

川元: 僕の……「素直さ」じゃないですか。

黒田: あー、川元さんの素直さ、諸刃の剣なんだよなぁ(笑)。ただの悪口のときあるから。毒舌も素直さからくるもんですけどね。

川元:悪意では言わないですから。

黒田: 「素直」かぁ。出ましたね、テーマが。でも振り返ってみると売れない原因分かりますね。

川元: 素直すぎた(笑)。

黒田: それでも徐々に、ベクトルがヤバい方向から変わってきてます。只今、“放送コード”、研究中です!(笑)

川元: 24時台のテレビとかラジオがやりたいですね。

黒田: 爽やかなトークとか無理だもんな、この人は。

川元: 「どうなの、チョメチョメ?」って回そうか?(笑)。

黒田: 山城新伍?

川元: グラサンかけて。

黒田: その枠ないんだよ、いまのテレビには!(笑)

――芸人になってよかったと思いますか?

黒田: でもやっぱり良かったんだと思いますね。一般の仕事だとたぶん飽きちゃってると思いますね。

川元: 僕も良かったですね。やりたかったことをやれたんで。やってなかったら途中でなにか犯罪を起こして刑務所に入ってたと思いますね。

黒田: ずっと獄中にいるタイプだよね。あいつどんな犯罪やったんだって(笑)。

川元: 獄中で病気になって死んでそう(笑)。

黒田: 同級生とかと会っても、お金は持ってるけどつまらなそうな人が多いんですよ。こんなにつまらないんだったらやっててよかったなあって思いますね。お金を取るのか、楽しさを取るかですね。僕は死ぬとき、楽しかったなあって死ねると思いますね。

ライター。テレビっ子

現在『水道橋博士のメルマ旬報』『日刊サイゾー』『週刊SPA!』『日刊ゲンダイ』などにテレビに関するコラムを連載中。著書に戸部田誠名義で『タモリ学 タモリにとって「タモリ」とは何か?』(イースト・プレス)、『有吉弘行のツイッターのフォロワーはなぜ300万人もいるのか 絶望を笑いに変える芸人たちの生き方』、『コントに捧げた内村光良の怒り 続・絶望を笑いに変える芸人たちの生き方』(コア新書)、『1989年のテレビっ子』(双葉社)、『笑福亭鶴瓶論』(新潮社)など。共著で『大人のSMAP論』がある。

てれびのスキマの最近の記事