恐怖の象徴…数々の戦場を蹂躙した赤一色の奇抜軍団!「赤備え」紹介
「赤備え」とは、構成メンバーの甲冑や戦旗を赤で統一した組織のことです。
戦国時代では黄色や黒で軍色を統一すること自体は珍しくありませんでしたが、赤を再現するために使用された「辰砂」は当時の高級品であったことから赤で統一した赤備えは権力者の象徴としても恐れられました。
今回は、赤備えを起用した「武田信玄」や「井伊直政」について紹介します。
・武田家の赤備え
武田家の領地を自身の代で約7倍も拡大させたといわれる武田信玄は、最強の騎馬隊を率いて戦国前期を無双した人物です。
そんな彼を支えた武田家臣団筆頭戦力の「飯富虎昌(おぶとらまさ)」は赤備えを初めて導入した人物といわれており、主人の武田信玄とともに数々の戦場を蹂躙。しかし、1572年「三方ヶ原の戦い」で徳川家康との合戦中に武田信玄が突然死してしまいます。
武田信玄の意思を継いだ武田勝頼は徳川攻略を目指し善戦を続けますが、1575年「長篠の戦い」で織田・徳川連合軍に敗北。
武田家は滅亡し、赤備えは、徳川家康を支えた最年少の徳川四天王「井伊直政」へと引き継がれます。
・井伊の赤鬼
武田家滅亡後、赤備えを継承したのが徳川筆頭家臣のひとり「井伊直政」です。
美少年で気量がよく気配りもできたことから、女性人気が非常に高かったといわれる彼ですが、実は没落した井伊家の再建に全力を注いだ苦労人。
頭脳明晰で外交力に長けた一方、ひとたび戦場に出れば「井伊の赤鬼」と恐れられるほど攻撃的な姿勢で敵軍勢を圧倒しました。
また、関ヶ原の戦いでも赤備えを起用しており、西軍の敵精鋭たちを自身の部隊だけで足止めするなど、徳川家康の天下取りに貢献しています。
現在、彦根城では井伊家で代々継承されてきた赤備えの一部が展示公開されています。
気になった方は足を運んでみてください。