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中日友利コーチ乱調浜田を叱責、 人目を避けた場所では無理だったのか?

豊浦彰太郎Baseball Writer

9月5日の阪神戦で、乱調により3回途中でKOされた中日の浜田達郎を、マウンドを訪れた際に友利結投手コーチが激しい口ぶりと手振りで叱責した。あまつさえ、試合終了を待たずに浜田を寮に帰らせたという。

こういう仕打ちをぼくは理解できない。不甲斐ない投球をした投手には、次回登板機会の喪失や二軍落ちという厳しい現実が待っている。それどころか、長いスパンでは減給や解雇の可能性すらある。それ自体は仕方ない。実力のある者だけが生き残れる世界だからだ。

であるのに、敢えてチームメイトや対戦相手、球場の観衆、テレビ観戦のファンの前でこのような仕打ちをする意味がどこにあるのか。浜田に対し言いたいことがあるなら、ロッカールームや2人きりになれる場所を選び、伝えてあげればよい。叱るときは第三者を排し、褒めるときはみんなの前で、これは指導者の基本である。

こう言うと、「プロ野球とサラリーマン社会を一緒にするな」という意見をいただくことが多い。しかし、ぼくは全くそう思わない。人間の本質は職業に依らず同じだからだ。

今回の友利コーチの言動は、残念ながら選手に対するリスペクトがあまり感じられない。ひょっとすると、「一生懸命やってます」というスタンドプレーではないかとすら感じてしまう。

メジャーリーグでは、8月29日のブルージェイズ戦で15対1という大差で敗れたタイガースのブラッド・オースマス監督が「恥ずかしい試合だった」と発言したところ、この日打ち込まれたアレックス・ウィルソン投手から「それは違う」と反論されたことがあった。「辛い試合だったが、全力を尽くした結果だ」というのだ。

ぼくは、ウィルソンの発言に賛成だ。結果を残せなかった報いを、選手は今後の起用や評価で甘んじて受ければ良い。ファンはそれを「恥ずかしい試合」と形容する権利がある。しかし、指導者はそうではあってはならないと思う。それが、選手やこのゲームに対するリスペクトではないか。

Baseball Writer

福岡県出身で、少年時代は太平洋クラブ~クラウンライターのファン。1971年のオリオールズ来日以来のMLBマニアで、本業の合間を縫って北米48球場を訪れた。北京、台北、台中、シドニーでもメジャーを観戦。近年は渡米時に球場跡地や野球博物館巡りにも精を出す。『SLUGGER』『J SPORTS』『まぐまぐ』のポータルサイト『mine』でも執筆中で、03-08年はスカパー!で、16年からはDAZNでMLB中継の解説を担当。著書に『ビジネスマンの視点で見たMLBとNPB』(彩流社)

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