ホロコーストの悲劇、米国に入国拒否された「セントルイス号」乗客のユダヤ人の運命を辿ったツイート
ナチスドイツによる600万人以上のユダヤ人やロマらを大量虐殺したホロコーストの象徴であるアウシュビッツ絶滅収容所が解放されたのが1945年1月27日。そして1月27日は「国際ホロコースト記念日」だ。
セントルイス号乗客の運命をツイート
2017年1月、アウシュビッツ解放72年を記念してユダヤ人の教育家Russel Neiss氏がセントルイス号の乗客らのためにTwitterのアカウントを作った。セントルイス号は、当時のドイツとアメリカを結ぶ船で、この船に乗って欧州から約900人のユダヤ人がアメリカに逃れようとしたが、入国を拒否されて、結局セントルイス号は欧州に戻らざるを得ず、多くのユダヤ人がナチスによって迫害され、そのほとんどが殺害された(詳細は下部参照)。
Twitterのアカウントも「St. Louis Manifest」で日本語に訳すと「セントルイス号の乗客名簿」だ。このアカウントではセントルイス号の乗客でナチスドイツの犠牲になったユダヤ人たちの運命をあたかも本人がツイートしているかのように辿っている。当時は当然Twitterもインターネットもなかった。セントルイス号の乗客でナチスの犠牲となったユダヤ人たちの運命が72年経って、Twitterで全世界に公開されている。犠牲者たちの写真も多く残っており、以下のような悲劇的なツイートが約250人分掲載されている。
「私の名前はヴェルナー・シュタイン。1939年にアメリカへの入国を拒否されました。そしてアウシュビッツで殺害されました。(My name is Werner Stein. The US turned me away at the border in 1939. I was murdered in Auschwitz)」というように、犠牲者の名前とその後の運命を辿るツイートが続いている。犠牲者の写真が残っている場合は写真もある。モノクロやセピアの写真は家族や友人らと一緒に平和な時期に撮影されたものばかりだ。犠牲者の中には小さな子供も多く、ナチスに迫害されていなかったら、まだ存命だった人も多いだろう。
セントルイス号乗客の運命
1939年5月に欧州からのユダヤ人で満員のセントルイス号を追い返したように、アメリカにはナチス支配地域からのユダヤ人難民を歓迎する空気はなかった。どこの国もユダヤ人を受け入れようとしなかったため、セントルイス号はヨーロッパに戻り、ユダヤ人たちはフランス、オランダ、ベルギー、英国に引き取られた。そして1940年以降に大量虐殺を免れることができたのは英国に引き取られたユダヤ人だけだった。下記に『ホロコースト全史』(マイケル・ベーレンバウム著、芝健介監修)にその様子が描写されているので、長文だが抜粋し引用しておく。