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「国籍変更に後ろめたさはあった」サガン鳥栖GK朴一圭が日本国籍を取得した“本当の理由”

金明昱スポーツライター
サガン鳥栖で3年目のシーズンを迎えた朴一圭(写真提供・サガン鳥栖)

「とにかくまだまだJ1でやりたいんです」――。J1サガン鳥栖GK朴一圭のその言葉は、とても力強く、切実な願いのようにも聞こえた。

 日本生まれの在日コリアン3世で韓国籍の朴が、日本国籍を取得した。スポーツ紙で報じられたのは昨年11月のこと。国籍変更の理由についても「どんなチャンスもつかめる準備をしておきたかった」と語るが、在日コリアンのプロサッカー選手の日本国籍の取得は相当な覚悟が必要でもある。

 揺れ動く気持ちの裏には何があったのか。改めて国籍変更を決めた理由やきっかけ、その過程の周囲の人たちの反応、これから目指すことなどについて聞いた。

西川周作や東口順昭に「追いつき超えたい」

――新シーズンが開幕し、鳥栖では早くも3年目のシーズンを迎えました。

 本当に時が過ぎるのは早くて、僕が鳥栖に来てからリーグ戦はフルタイムで出場してきましたが、今でも出ることだけに満足はしていません。チームも個人も成績をしっかりと残していきたい。それでも昨年は失点も多く、プレーのクオリティーとしても自分がチームに何かいいものを与えられたのか…。その印象がないんです。逆に足を引っ張っていた部分もあった。もっと成長してチームを勝たせられる選手にならなきゃと思うと、まだまだやることはたくさんあります。

――現在33歳になりますが、まだまだ成長の余地は感じていると?

 試合に出る中で、まだまだ僕より年上の先輩GKの方たちのパフォーマンスを見ていると、もっとやんなきゃダメだろっとシンプルに思います。西川周作選手(浦和レッズ)や東口順昭選手(ガンバ大阪)のプレーを見ていると知らず知らずのうちにもっと遠ざかっているのかなと思うことがあるんです。なので、個人として結果を残せればクラブの価値も高まり、周作さんや東口さんに少しでも追い付いていけるんじゃないのかなと強く思うようになりましたね。

――日本を代表するGKたちと肩を並べられる存在になりたいと?

 年齢を重ねても安定感があり、もっと成長しようとする姿が見えるんです。実際にチームを勝たせるプレーをしていて、参考になることもすごく多い。そこに肩を並べたり、超えたりするにはもうなりふり構わずやるしかないんだろうなと思います。

――向上していきたい気持ちと高いモチベーションがいつになく感じられますが、それは昨年の日本国籍取得とも関係していますか?

 日本に国籍が変わったということで、目指せる目標が明確になったのは、間違いなくモチベーションの高さにつながっています。

「日本国籍取得は今よりももっと高みを目指すため」の選択だった
「日本国籍取得は今よりももっと高みを目指すため」の選択だった写真:長田洋平/アフロスポーツ

「1年でも1日でも長くJ1でやりたい」

――昨年のスポーツ紙の報道では、日本国籍の取得が受理されたのが2022年10月。1年前から手続きに入ったそうですが、きっかけは何だったのでしょうか?

 Jリーグも年を一つ重ねるごとに若いゴールキーパーがどんどん育ってきます。自分としてはまだまだJ1でとにかくやりたい。そこで引っかかっていたのが「外国人枠」でした。日本で生まれ育ったのにこの枠が足かせになっていたり、例えばいい条件の話があったとしても、そのチームの外国人枠が埋まっていて、再考を余儀なくされることもあると思います。より高みを目指すために日本国籍を取得してもいいのではないかと思っていました。

 ※Jリーグの外国人枠は5人。外国籍でも外国人扱いにならない国はタイ、ベトナム、ミャンマー、カンボジア、シンガポール、インドネシア、マレーシア、カタールの8カ国。

――外国人枠のなかで戦うことで、機会を失っていると感じていたのでしょうか?

 今のJ1も海外で実績のある優れた外国人選手がたくさんいますが、その枠を僕が奪い取れればいいんですけども、フィールドプレーヤーで枠が埋まることもあるケースがほとんどです。それが(日本国籍を取得した)一番の大きな理由です。僕はとにかく1年でも1日でも、長くJ1でサッカーがやりたいという思いが強かったからです。

鄭大世のように北朝鮮代表を目指していた大学時代

――そもそも日本で生まれたときの国籍は「朝鮮」籍でしたよね?

 僕は生まれたときは朝鮮籍でしたが、両親が韓国籍に変更していたので、僕が物心つくころには韓国籍に変わっていました。

――ということは韓国籍なので、サッカーで代表を目指すなら現実的には韓国代表だったのでしょうか?

 僕は小学校から大学まで朝鮮学校でサッカー部に所属していましたし、在日コリアンの先輩でもある元Jリーガーの安英学さん、鄭大世さん、梁勇基さんが朝鮮民主主義人民共和国代表(北朝鮮)になっていたので、僕もそこに入るのを夢見ていました。特に僕も通った朝鮮大の先輩でもある鄭大世さんも韓国籍ながら、(北)朝鮮代表になれたので、もし代表に呼ばれるならそのケースが適応されるからと言われていました。

 ここで少し、朴選手の国籍に関する説明をしておかなければならない。戦前から日本に居住している在日コリアンの国籍は日本の法律に準じている。日本の国籍法は生地主義ではなく、血統主義。

 この原則に基づいて、日本で生まれた朴一圭の外国人登録の国籍欄表示は「朝鮮」となった。そもそも朝鮮半島は朝鮮民主主義人民共和国と大韓民国の南北で分断される前は一つのコリア、「朝鮮」だった。つまり、在日コリアンの「朝鮮籍」はただの記号にすぎず、それがイコール「北朝鮮」を指すものではない。

 鄭大世のケースを見てみよう。父の国籍が韓国だったため、生まれてからそのまま韓国籍となった。では、なぜ北朝鮮代表になれたのか。

 彼は韓国の国民に義務付けられている国民登録をしていなかったためパスポートを持っておらず、FIFA(国際サッカー連盟)は「どの国のパスポートを持っているのかで代表が決まる」としていたため、北朝鮮政府が鄭大世へのパスポート発給を許可して代表への道が開けた。つまり、朴一圭も朝鮮籍から韓国籍に変更後も韓国パスポートを持っておらず、鄭大世と同じケースになる可能性を残していた。

――つまり、韓国のパスポートを持っていなかったから、鄭大世のケースにならって北朝鮮代表を目指していた時代があったということでしょうか?

 大学時代はそうでした。ただ、朝鮮大サッカー部の同僚には(北朝鮮)代表合宿に参加する子はいたのですが、僕は一度もそんな機会はありませんでした。僕のプレースタイルが合わないのもあったと思いますし、GKというポジションに入る余地がなかった。そもそも力が足りないと判断されたのでしょう。ただ、2010年南アフリカ・ワールドカップに44年ぶりに出場した試合は、大学内で中継を見ていて、決まった瞬間は本当に興奮しました。僕もいつかW杯のピッチに立ちたいと思っていました。

 ただやはり、北朝鮮代表への道は現実的ではなかった。それにJリーグでは2018年にFC琉球のJ3優勝、J2昇格に貢献し、2019年からは横浜F・マリノスに完全移籍。リーグ途中からGK飯倉大樹のポジションを奪い、正GKとしてリーグ優勝に貢献。翌2020年にはACLに出場することになったが、外国人枠の兼ね合いで登録外となったこともあった。

 J屈指のGKへと成長する過程で、少ないチャンスを仕方なく手放すような状況を避けたければ、「国籍をどうすべきか」と考えてもおかしくはない。プロサッカー選手なら誰もが憧れるW杯の舞台に立ちたいのであればなおさらだ。

2021年から鳥栖で2年連続でリーグ戦フル出場の朴一圭
2021年から鳥栖で2年連続でリーグ戦フル出場の朴一圭写真:西村尚己/アフロスポーツ

「一番驚いていたのは両親」

――日本国籍取得の話に戻るのですが、様々な人たちと相談したと思いますが、周囲の反応はどのようなものでしたか?

 正直いうと、そこまでたくさんの人に相談はしていないんです。大体、反対されるだろうなって思ってて、怖かったのもありました。というのは在日コリアンの中では、やはり日朝、日韓の歴史的経緯から、日本国籍に変えることへ抵抗を感じる人は少なからずいますから。でも、ふたを開けてみると思ったよりも否定の声は少なくて、背中を押してくれる人がほとんどでした。ただ、一番驚いていたのは両親です。

――両親とはどのような話をしましたか?

 2~3回話しました。その過程で僕の気持ちは正直に伝えたんです。そしたら『お前が決めた道なんだったら、後悔なくやってくれればいい。そこまで行くのにとても大変だっただろうけれど、サッカーを親として続けてほしい。一つでもいろんな可能性が開くのであれば、その決断を正解にしていけばいいと思う。日本人であろうが、韓国人だろうがあなたの両親に変わりはない。そこは絶対に変わることはないから』って言ってくれました。すごく肩の荷が下りましたね。少し後ろめたさはあったので…。すごく救われたというか、うれしかったです。

「背中を押してくれた」梁勇基と李忠成

――他にも朝鮮学校出身のJリーガーに相談したりしましたか?

 1人はベガルタ仙台の梁勇基さんです。J1で僕のプレーを長らく見てくれていた先輩でしたから、ひょんなことからこの話になった時に日本国籍を取ろうと思っていると打ち明けたんです。そしたら「全然いいんじゃないのかな。そういう判断も悪くない。もうお前のサッカー人生なんだから。誰も止めれるものじゃない。だから、自分が納得してその道を行くのであれば、絶対みんな応援してくれるはずだし、俺も応援する」と言ってくれました。サッカー界のレジェンドと言ってもおかしくない先輩に背中を押してもらったのも、すごくうれしかった。

――日本国籍を取得した李忠成選手についてはどう見ていましたか?

 僕は当時、高校生でその事はほとんど知らなかったんです。周囲の反響もすごかったと聞きました。忠成先輩とは2019年に横浜F・マリノスで1年、一緒にプレーしているんですが、そんな縁もあって、僕から直接1回だけ、日本国籍に変えることを電話で伝えたことがあったんです。そしたら「自分の道はやっぱ自分でつくっていくもの。いろんな賛否両論が必ず出ると思うけど、もうそんなのは気にせず、自分を信じて頑張ればいい」って話してくれました。とても心強かったです。

33歳ながらもさらなる高みを目指す朴一圭。日本代表入りへの挑戦は始まったばかりだ
33歳ながらもさらなる高みを目指す朴一圭。日本代表入りへの挑戦は始まったばかりだ写真:西村尚己/アフロスポーツ

「国を背負って戦う誇りを感じたい」

――そうなると明確な目標は日本代表入りすることでしょうか?

 自分では日本代表入りなんて正直、厳しいなっていうのがあったのですが、実際やってみたら、個人だったら全然負けてないなとか、徐々にポジティブな面が出てくると、鳥栖から代表に選ばれてもいいんじゃないのかなとか思うようになりました。それなら僕にもチャンスは1回くらいあってもいいという考えが芽生えてきました。代表になるチャンスがあるのであれば、目指していきたいです。

――その先にあるW杯出場も果たしてみたい?

 サッカーしているみんなが代表入りやワールドカップも目指すべきで、特にJ1でやっている人は代表を目指さないとダメだと思うんです。もちろんサッカーが楽しくてサッカーをやるのが一番ですが、やっぱり国を背負えば、もっと楽しいと思いますし、さらにいろんな景色が見えると思います。そこをみんなが目指していけば、日本のレベルも絶対上がっていくと思います。

――そのために努力すべきことは何かありますか?

 全般的なクオリティーを上げることです。キャッチング、セービング、ハイボール、ビルドアップ、ロングキック、いろんなものをすべて上げていかなきゃいけない。今一番大事にしているのは、今いる環境で最高のパフォーマンス出し続けること。その積み重ねが4年後までしっかりそれができてれば、僕にも代表入りの可能性は出てくると思っています。1年結果を残したぐらいじゃ足りないと思います。

――最後に日本代表への思いを聞かせてください

 一度でいいので国を背負って戦う誇りやプレッシャーを感じてみたいです。僕が今後サッカーを続けていく上でも、とても大切な経験になると思います。大きなプレッシャーを背負ってサッカーすることは、代表に入らないと味わえないこと。それをまだ一度も経験したことがないので、是が非でも日本代表入りをいつか勝ち取りたいです。

「僕のプレーを楽しみに見に来てくれる方のためにも頑張りたい」と語る朴一圭(写真提供・サガン鳥栖)
「僕のプレーを楽しみに見に来てくれる方のためにも頑張りたい」と語る朴一圭(写真提供・サガン鳥栖)

■朴一圭(ぱく・いるぎゅ)/1989年生まれ、埼玉県出身。在日コリアン3世。学生時代は東京朝鮮中高級学校、朝鮮大学校サッカー部に所属。2012年にJFLの藤枝MYFCに加入。13年は関東1部のFC KOREAでプレー。14年からから古巣の藤枝MYFCに戻り2シーズン過ごした。16年からFC琉球に移籍し、18年にJ3優勝とJ2昇格に貢献。19年からは安定したセーブとビルドアップが評価され、J1の横浜F・マリノスへ移籍。正GKのポジションをつかんで同年リーグ優勝。20年途中からサガン鳥栖に期限付き移籍で加入。21年に完全移籍し、同年にリーグ戦全試合出場を果たす。22年も全試合フルタイムで出場。昨年、日本国籍取得を公表した。

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スポーツライター

1977年7月27日生。大阪府出身の在日コリアン3世。朝鮮新報記者時代に社会、スポーツ、平壌での取材など幅広い分野で執筆。その後、編プロなどを経てフリーに。サッカー北朝鮮代表が2010年南アフリカW杯出場を決めたあと、代表チームと関係者を日本のメディアとして初めて平壌で取材することに成功し『Number』に寄稿。11年からは女子プロゴルフトーナメントの取材も開始し、日韓の女子プロと親交を深める。現在はJリーグ、ACL、代表戦と女子ゴルフを中心に週刊誌、専門誌、スポーツ専門サイトなど多媒体に執筆中。

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