駅スタンプ、再び脚光 手軽な「押し鉄」のススメ
コロナ禍で日本のはんこ文化が見直されてきているが、はんこを求めて旅する「押し鉄」にとってはどこ吹く風。在宅ワークではんこに触れる機会は減ったかもしれないが、「押し鉄」に肩書きを変える週末は、出掛けた先でまずははんこ(スタンプ)をポン。思いがけないデザインに出会うと思わず笑顔になる――。
鉄道ファンは乗り鉄、撮り鉄などとさまざまに分類できるが、そうした定番から外れつつあった「押し鉄」が再び脚光を浴びつつある。押すのは駅スタンプ。図柄はご当地色豊かで、熱心なコレクターもいる分野だ。近年、JRや私鉄が新たなデザインを投入し、鉄道旅の魅力向上に役立てようとしている。
駅スタンプ 90年の歴史
駅スタンプは『なつかしの国鉄 駅スタンプコレクション』(交通新聞社)によれば、北陸本線の福井駅に導入されたのが最初といわれている。1931年に設置され、いくつかのキャンペーンを経て全国に波及。図柄は駅周辺の観光地や史跡が多く採用され、国鉄末期の1980年代にはスタンプ台の色と図柄外枠の形状で観光地の分類を示したり、キャッチフレーズを挿入したりとフォーマットを統一する。スタンプを押す台座も制作し、今でも一部の駅では当時のものや類似した形の机が残っている。
国鉄民営化後の対応は各社で温度差があり、JRの大型観光キャンペーン「デスティネーションキャンペーン」(DC)でスタンプラリーが行われる場合もあるが、かつてのように全国統一のフォーマットが用いられることはなくなった。スタンプをめぐる動きは、高速道路各社が共通仕様のハイウェイスタンプを設置しているのとは対照的だ。
JR各社の中で最も積極的と言えるのがJR西日本で、2010年頃までにインク補充式のスタンプを多くの駅に整備。有人駅の大半に設置し、ベッドタウンにある駅などおおよそ観光とは無縁の駅にもスタンプを置いた。同社の旅行情報サイトで駅スタンプの有無を確認できるようにしていたり、観光パンフレットに設置駅のマークを入れるなど熱が入る。
ただ、JR全体で見れば、印面が劣化したまま半ば放置されていたり、駅の無人化にともなってひっそりとスタンプが「封印」される駅も少なくない。
もし駅スタンプのレッドリストを作るとしたら、絶滅危惧種は都市郊外の中小規模の駅だ。JR西日本ではベッドタウンでもスタンプを置いているのは述べた通りだが、例えばJR九州では福岡市や北九州市の郊外でスタンプが残っている駅はごくわずか。JR日豊本線沿線では行橋駅以南は有人駅でも廃止した駅が増え、JR福北ゆたか線(篠栗線)の篠栗駅では観光案内所で篠栗霊場にちなんだスタンプを押せるが、純粋な駅スタンプは廃止されていた。
都市部や観光地の駅、相次いで新設&更新
それでも都市の中心部や観光地に限れば、駅スタンプは近年、新設やデザインの更新が相次いでいる。JR東日本は2020年、東京支社管内の78駅でスタンプを一斉リニューアル。実に17年ぶりで、本来なら同年夏に増えていたはずの外国人観光客も視野に入れ、「海外のお客さまにも楽しんでいただけるよう駅名の英語表記も行った」(JR東日本のプレスリリース)と工夫を加えた。日本らしい文化を使って駅周辺の魅力を訴えるというのは、いずれ戻ってくる外国人観光客にも受け入れられそうだ。
スタンプの廃止が続くJR九州管内でも福岡市や北九州市の主要駅では駅単位で再整備するケースがあり、香椎駅(福岡市東区)では2017年に、駅員が消しゴムはんこで香椎線各駅のスタンプを手作り。無人駅のものは香椎駅にまとめて設置し、ユニークでカラフルなスタンプがずらりと並ぶ。須恵駅は旧志免鉱業所竪坑櫓、雁ノ巣駅は近くにスポーツ施設があることからサッカーボールをあしらうなどデザインを凝らし、冊数限定でオリジナルのスタンプ帳も作製した。(毎日新聞の記事)
私は北九州都市圏と山口県中部を取材のフィールドにしているため、そのエリアに着目して近年の変化を見ると、JR門司港駅(北九州市門司区)は2019年の駅舎復元に合わせて更新し、オープン日の日付入りバージョンが限定で登場。北九州モノレールや筑豊電気鉄道(筑鉄)は新たにスタンプを導入した。
筑鉄のスタンプ設置は2018年4月。印面には鉄道車両のほか長崎街道の旧宿場町・木屋瀬宿や世界遺産「明治日本の産業革命遺産」の構成資産(遠賀川水源地ポンプ室)などをデザインし、黒崎駅前駅(北九州市八幡西区)と楠橋駅(同)に隣接する有人窓口に置いている。
JR西日本の新山口駅(山口市)では既存の駅スタンプとは別に、駅開業120周年を記念し、2020年に特別デザインのスタンプを設置。デザインはSLやまぐち号に付けた記念ヘッドマークと同じで、台紙は特別版を用意した。
これらの動きからは、駅スタンプに再びスポットライトを当て、鉄道旅の魅力アップに活用しようとする姿が見えてくる。会社単位で取り組むところもあれば、支社単位、駅単位と熱の入れ方は異なるが、駅スタンプの持つポテンシャルは大きい。新たなデザインの投入はコレクターを引き寄せるだろうし、駅スタンプは鉄道を使って集められるため、子どもからお年寄りまで誰でも簡単に始められるのは他にはない強みだ。ご当地色のある収集アイテムといえば道の駅スタンプやダムカードなどもあるが、手軽さとバリエーションでは群を抜く。
筑鉄は設置当初の報道発表で「乗車の記念や旅の思い出、コレクションとしてだけでなく、いつも利用している電車の思い出の記録としても最適」とも説明。駅スタンプを旅先で押すだけでなく、進学や転勤でその土地を離れる前に、思い出を閉じ込めるために押してみるのもよさそうだ。
とはいえ、駅スタンプは印面の劣化や駅の無人化で、ある日突然になくなってしまうこともある。鉄道各社の投資から漏れてしまう駅では、押す人が少なくなれば有人駅であろうとも捨てられてしまうかもしれない。「押し鉄」の方には、可能ならば近すぎて押さなかったような身近な駅にも出向いて、駅スタンプの需要があるということを示していただければと願うし、新たに収集してみようと思われた方は、ぜひ近場の駅からチャレンジしてほしいと思う。
「押し鉄」を始めよう!
さて、これからは夏の「青春18きっぷ」のシーズンで、押し鉄にはもってこいの時期だ。新型コロナウイルス感染症への対策はしつつ、冷房の効いた電車に乗ったり降りたりして、一駅ごとに集めていくのはきっと楽しいはず。
押し鉄歴の長い人は、インクがにじんだり、かすれないように台紙選びや押し方にも気を配るという。インターネットで探すときれいに押印しているブログがいくつも見つかり、本当に職人技だと感心しきりだ。とはいえ、みんなが押し鉄職人の匠レベルにならなくていいだろう。駅スタンプ集めは紙一枚あれば簡単に始められるし、青春18きっぷのような乗り放題系のきっぷとの相性もいい。
最低限用意しなければならないのがノートやメモ帳などの用紙。書店やオンラインショップに行くと駅スタンプ専用のノートが売ってあるので、それを買えば間違いはないが、スタンプはどれも直径が7~9センチ程度のため、A6サイズ(文庫本サイズ)の無地のノートを用意すれば十分。ただ、リング製本のノートやスケッチブックの場合、リングの厚さの分だけ紙が浮いてしまうため押すときには注意したい。無難なのはA6判のメモ帳で、こだわりがなければ100円ショップで手に入るもので問題はない。
スタンプ台の携帯は不要で、スタンプがある駅は基本的には専用のスタンプ台が置かれている。JR西日本やJR東日本ではインク補充式も多い。逆に手持ちのスタンプ台を持ち込んでしまうと、駅側の意図とは違う色で押してしまうなど迷惑を掛けてしまうため注意が必要だ。もちろん山間部の無人駅で駅スタンプを求め歩く場合は、念のために用意しておいたほうがよさそうだが。
押すときはなるべく「かすれ」や「にじみ」がないようにしたい。まずは押す前に印面を見て、ゴミが付着してないかを確認。インクは付けすぎるとにじんでしまうため、初めて押す時は何度か試し押しをしてみるといいだろう。また、劣化してきているスタンプでは特に周辺部分がすり減っているため、どうしても外周部分が不鮮明になりがち。外周部分も手でしっかりと押さえて、押し漏れがないようにしよう。
押印後は日付や駅名をメモしておくと、あとから整理するときに便利。スマートフォンと連携できるノートを使うと、ゆがまずにスマートフォンに取り込めるので、すぐにソーシャルメディアで発信することもできる。
駅スタンプの多くは駅の改札口や改札外に設置されているため、実は鉄道で巡らなくても押せるには押せる。だが、やはり鉄道で旅をしてこその駅スタンプ。ぜひとも「青春18きっぷ」や私鉄の一日乗車券などをうまく使って駅を巡ってほしい。コロナ禍で利用客が減った鉄道会社は今、さまざまな周遊乗車券を発売している。コロナウイルスの感染状況には十分に注意しなければならないが、途中下車が増える収集旅だけに、お得な乗車券を使わない手はない。
また、スタンプは誰もが触るもののため、手指を拭くウエットティッシュを用意しておくと安心。新型コロナウイルスの影響でスタンプを一時的に撤去している場合がある点は頭に入れておきたい。今からでも始められる「押し鉄」で、鉄道とはんこ文化に思いを馳せる夏休みというのも、もしかしたら贅沢なひとときになるかもしれない。
冒頭の画像で表示したスタンプは、左上から時計回りに島原駅(島原鉄道)、門司港駅(JR九州)、長門市駅(JR西日本)、宇美駅(JR九州の香椎駅に設置)、八幡駅(JR九州)、小倉駅(同)、電鉄出雲市駅(一畑電車)