日本のコロナ対策117兆円「世界戦略として医療に10兆円使え」和製ソロスの金言(上)
[ロンドン発]人類がまだ戦う手段を持たない新型コロナウイルスは世界経済や世界情勢をどのように変えていくのでしょう。国際金融都市ロンドンに本拠を構える債券では世界最大級のヘッジファンド「キャプラ・インベストメント・マネジメント」共同創業者、浅井將雄さんにおうかがいしました。
木村:今回のパンデミックで感じられた第一印象をお聞かせ下さい。
浅井氏:毎日空を見上げるようになりました。空がとてもきれいなので驚いています。子供の時に見ていた空を見ているような感じです。排ガスやPM2.5(微小粒子状物質)がないとロンドンの空もこんなにきれいなんですね。毎日驚くほど天候もいいし、人間の行き過ぎた経済活動が自然をこんなにも侵していたんだなと思い知らされました。
これを「戦時下」にたとえる人もいますが、ウイルスによって人間の経済活動に麻酔がかけられるとこんなにも環境が変わる。人工衛星から中国が見えたり、イタリアのベネチアの水がきれいになったりする。もちろん、経済の側面から見るとこれは大変だ、2008年のリーマン・ショックを超えますよというのが答えになりますが、その反面、環境へのインパクトにちょっとびっくりしています。
木村:リーマン・ショックに端を発した世界金融危機に比べて今回のコロナ危機はどこがどう異なるのでしょうか。
浅井氏:一言で言えば、リーマン・ショックは金融危機だったわけですが、金融発のリーマン・ショックよりも今回のコロナ危機の方が経済におけるインパクトは深刻です。金融危機の時は金融機関同士の相互不信、カウンターパーティーリスクが大きなファクターでした。
契約相手の債務不履行を警戒して取引も実行できなくなり、金融マーケットが消滅してしまいました。その後、需要不足がマーケット全体に起き、世界全体に広がって経済が大きく後退しました。
今回は需要停滞だけでなく、全世界にウイルスが飛び散ってサプライサイドの停滞、供給停滞のショックにも見舞われています。東日本大震災でも供給停滞ショックはありましたが、世界規模で需要もなくなり、供給もなくなったのは初めてです。需要停滞と供給停滞のショックが一度に起きてきたという点でリーマン・ショックよりも深刻です。
リーマン・ショック以降、各国政府や中央銀行がレバレッジ(他人資本を使うことで自己資本に対する利益率を高めること)の規制や流動性の確保をスキームにした金融強化策を作りました。今回も非常に有効だった中央銀行による流動性供給やドル協調供給といった安全網構築で伝統的金融システムの心臓部をコロナ危機から隔離することにひとまず成功しています。
ただコロナ危機の厄介な部分は、金融システムの安定は金融危機封じ込めに必要ですが、それだけでは十分ではないことです。つまり金融だけではなくて、世界のヒト・モノ・カネが止まる経済危機になってしまっています。業種でいけばもちろんエネルギー、外食、大型の小売店、航空、一部の不動産セクターには悪影響が史上最大規模で出ます。
普段から非常に余裕がない中小・零細企業、フリーランスは日々の仕事もない、外に出ることもできないという全く新しいタイプの連鎖的な危機が起きています。リーマン・ショック以上に深刻な問題です。
あの時は時間をかけて金融システムという心臓部を癒やしていくと経済が曲がりなりにも健康体に戻りました。コロナ危機はどちらかと言うと心臓はなんとか動いている、しかしながら、血の巡りの悪い末端部分、つまり中小・零細企業、フリーランスから少しずつ壊死が広がっていくという怖さがあります。
コロナ危機が去った後の経済の土台を守るため政府が懸命に、救済措置とか所得保障とか休業補償をやっています。しかし、前回のリーマン・ショックと違って今回のコロナ危機は経済の末端から壊死が広がっていくのでより深刻と思っています。
木村:新型コロナウイルスは突然変異を繰り返しており、ワクチンや治療法がいつ開発されるのか見当もつきません。経済への影響もかなり大きくなると思うのですが。
浅井氏:この段階でまず第一波のウイルスの拡散の問題を克服できたとしても、今後は株式など資産価格の調整に続いて、実体経済の悪化、業績の悪化が焦点になり、株価が二番底に向かっていくというのは十分計算できます。
さらにコロナ拡散が第2波など2021年以降も問題として継続するようであれば長期にわたって大規模な経済の底割れ、世界のバランスシートが痛み、金融システム不安への発展も警戒するという複合リスクが発生します。
敵はウイルスなので、ウイルスのように形を変えて経済の中に入り込んで悪化させていきます。今回は見えない敵と戦わなければいけません。見えない敵が経済の奥底まで浸透していく恐怖感というのはあります。
ウイルスもかたちを変えて攻めてくるので、それに対抗する医療面でワクチンとか抗体検査も含めた対抗策というのがきちんと出てこないとなかなかV字、いやU字回復、L字回復(体力を回復した後に収益を回復)でもいいんですが、回復というのは見込みにくい環境にあると思います。
木村:国際金融機関のレポートの中にはV字回復を予想しているものもあるようですが、それほど見通しは甘くないのでしょうか。
浅井氏:資産価格のV字回復はあり得るかもしれません。ただ、実体経済のV字回復はなかなか難しいと思います。アメリカの中央銀行に当たる連邦準備制度理事会(FRB)が中小企業や地方自治体向けを中心とする最大2兆3000億ドル(約250兆円)、GDP(国内総生産)の10%を超える緊急経済対策を出しました。世界全体では800兆円ぐらいの対策が出されてきます。それは決して小さな額ではありません。
キャッシュをばらまくわけなので資産価格を元の位置に戻すだけの対策はとられつつあります。ただ第2四半期のGDPが各国25~30%と劇的なマイナスになり、日本の上場企業も売上高が年間27%減ったら、おそらく半数以上が赤字に転落します。
長引いてくれば実体経済の悪化並びに決算への大きな影響があります。資産価格の株価は緊急の対策で引き続きサポートされるかも分かりませんが、景気がV字に回復するというのはなかなか難しいと思います。
木村:日本の事業規模108兆2000億円の緊急経済対策をどう評価されますか。新規追加分は19兆~20兆円との声もあります。「日本の支援は世界で最も手厚い」(安倍晋三首相)のでしょうか。
浅井氏:1人当たり10万円のバラマキが最後に加わり、実際には117兆1000億円程度になりました。117兆円というのは消費税率引き上げ後の景気対策も含めた数字で、実際のコロナ対策は40~50兆円規模です。真水にしても25兆円程度。108兆円とか117兆円という数字が出ていますが、これは非常に「盛った数字」だと理解しています。それでも非常に大きな対策だといえます。
ここからは珍しく日本バッシング(叩き)、現在の安倍政権への警告になりますが、今回の日本の緊急経済対策には失望しています。もちろんセーフティーネットの必要性という点では大きめの経済対策、赤字国債の発行も仕方ないと思います。ただ117兆円の緊急経済対策で直接の医療対策はいくらか知っていますか。日経新聞などの報道によれば1兆8000億円です。
リーマン・ショックや消費税率引き上げの対策と間違っているんじゃないかと思う経済対策です。ウイルスの問題が解消できなくてコロナ危機が長くなれば長くなるほど二番底、三番底と経済がやられていくわけです。今やらなければいけないのは経済対策というよりも医療関連に最もおカネを使うことです。敵は消費税でもなく、金融危機でもありません。ウイルスです。
このウイルスに対してドーンと予算をはらなければなりません。それに対して117兆円の経済対策でリアルに医療対策に使われるのはわずか1兆8000億円なわけです。今回の対策で医療におカネを使っていない。規模は大きいが旧態依然としたバラマキと言わざるを得ない。
日本の企業は史上最大の貯蓄をため込んでいます。それに対して貧乏な国が支援して将来にツケを回すような経済対策をしているのは過保護すぎます。将来に禍根を残します。
おカネを使ってはいかんと言っているわけではありません。セーフティーネットとして何かをしなければならないのは間違いありません。それは政治の役割です。こういう時のポピュリズムは悪いことではありません。政治とはそういうものです。しかし、こういう形、旧態依然としたバラマキではなくて、これを機に次世代まで使える医療インフラの構築に10兆円使ってほしかったなと個人的には思います。
敵はウイルスです。敵を間違えた予算編成が日本のさらなる成長鈍化を招くことを心配します。ここでおカネを使ったことで将来何かが見えてくる、日本が医療に強い国であることを証明できるとか、世界に例えばECMO(体外式膜型人工肺)を輸出していくとか、医療をメインストリームにするような政策に10兆円使ってほしかった。
日本の労働生産性も潜在成長率もどんどん下がっています。バラマキで貯蓄をため込んでいる企業にバラまいてもしょうがない。医療インフラに10兆円使うことで世界の中での日本の位置づけが劇的にかわる。自動車と並ぶ産業の柱に医療サービスを高度化していく。世界屈指の高齢化のニーズを取り込み、日本の医療技術や機器が世界で大きなシェアを誇る基盤となれば、日本の活路となると信じたい。
今回の予算編成だけ見ると、日本のイタリア化を決定付けたような感じがします。あくまで私見に過ぎませんが。
木村:日本の財政が発散する危険性はありますか。
浅井氏:今回の補正予算でさらに25兆円分の国債を追加発行することになりますが、それによって財政が急遽(きゅうきょ)発散する可能性は非常に低い。25兆円分全て最終的に中央銀行の日本銀行が引き受けます。
直接的なマネタイゼーションではありませんが、間接的に政府が発行した国債を日銀が買い取ると思っています。疑似マネタイゼーションによって今回の予算編成における赤字国債の発行で日本の財政がすぐに発散する可能性は非常に低いと思います。
しかしGDP比の国債発行残高(187%)が非常に大きくなり、その半分近く(47%)を日銀が持っています。日銀が過剰にバランスシートを大きくしていく展開が続き、今回は株式も大量に買っています。
いずれ金利が上昇したり、株価が大きく下落したりする時に日銀のバランスシートが毀損し、日銀の債務超過が問題視される局面が出てきます。そのあと円の信認が問われた時にインフレを伴いながら円の減価が進む危機が訪れる恐れがあります。
短期金利は抑えられても長期金利をコントロールできるかどうかが日銀の大きな課題です。それは非常に難しい。今回のコロナ対策で財政が発散するかというと、それはありません。ただ時間を稼いで日銀がバランスシートを大きくして将来的には日本の財政問題が大きな日本固有の問題、将来の禍根になってくるのは間違いないと思います。
木村:コロナ危機によって今、国際金融都市ロンドンで何が起きているのでしょう。
浅井氏: イギリスの場合は3月23日に外出禁止令が発動されました。大きな店舗が閉まっていて、人の移動もなくなり、個人消費も停止しています。他国と異なるのは、ボリス・ジョンソン英首相まで感染して一時、集中治療室(ICU)で受ける事態になりました。マット・ハンコック保健相やチャールズ皇太子まで感染し、国家中枢までコロナの脅威が迫ったのはイギリスだけです。
イタリアが外出禁止令から徐々に脱出しようとしています。イギリスはウイルスの脅威が国家中枢まで及んだことによって少し長めの外出禁止令やソーシャル・ディスタンシング(社会的距離)が続く可能性があります。そうすると2020年度のGDPのマイナスが7%程度になると思います。
大きな経済のショックと国を封鎖している、外出禁止令を続けていくという中で、先日、英政府は欧州連合(EU)からの離脱について今年末までの移行期間をさらに延長する考えはないと発表しました。
実際のところ、政治指導者もコロナの脅威にさらされている中で、国と国をまたぐような協議が今のイギリスにできるかどうかは疑問です。国際金融都市ロンドンでのEUの役割が非常にあいまいになっているので、何かはっきりと年内に決められるということはないと思っています。
残り9カ月でだいたい自由貿易協定(FTA)を結べるわけがありません。EU側のミシェル・バルニエ首席交渉官も感染しました。正直、まとめ役になるトップが不在です。6月末までに全く進展ないと判断するなら移行期間の延長も含めて話し合い、いや話し合いができない状態なら離脱期間の延期をするしかないのではないでしょうか。
浅井將雄(あさい・まさお)氏
旧UFJ銀行出身。2003年、ロンドンに赴任、UFJ銀行現法で戦略トレーディング部長を経て、04年、東京三菱銀行とUFJ銀行が合併した際、同僚の米国人ヤン・フー氏とともに14人を引き連れて独立。05年10月から「キャプラ・インベストメント・マネジメント」の運用を始める。ニューヨーク、東京、香港にも拠点を置く。
(つづく)