「つい、見惚れちまって」…女性に夢中で落城した安祥城のエピソード紹介
戦国時代の天下人「徳川家康」を輩出した松平家は、三河国(現・愛知県安城市)を治めた一族で、安祥城・岡崎城の2拠点を中心に繁栄しました。
岡崎城は徳川家康が生まれた城で、松平家の居城として知られています。
一方の安祥城は、松平家が初めて手に入れた城であり、一族繁栄の基盤を整えました。
今回は、松平家の繁栄に深く関わった「安祥城」のエピソードについてみていきましょう。
※本記事の内容は様々な方に歴史の魅力を感じていただけるよう、史実を大筋にした「諸説あり・省略あり」でお届けしています。
・安祥城
室町幕府が倒れ、全国の大名が勢力拡大を図ってしのぎを削った戦国時代初頭。
城は守備の要として、お堀や崖、山などの地形を利用した天然要塞を活かして築城されていました。
しかし、安祥城は見晴らしの良い平野に築かれた戦国時代らしからぬ城だったのです。
そのような城にも関わらず、松平家当主・松平信光は安祥城を欲したといいます。
その理由は、主に2つ。
湿地帯に位置する安城城の周辺は泥に覆われており、守備に強い特殊条件を兼ね備えていました。
加えて、城周辺は国内有数の米産地であり、安祥城は産業・商業・拠点地として申し分なかったからです。
当時は畠山照久が安祥城の城主として君臨していたため、三河国の統一を目指す松平家にとって、安祥城の攻略は必要不可欠でした。
どうしても安祥城を手に入れたかった松平信光は、戦力を失わずに城を手に入れる「妙案」を思いつきます。
・妙案
松平信光の妙案が実行されたのは、とある月夜のこと。
安祥城の西側で、若くて美しい女性たちが輪になって踊っていました。
城の守備・警備を担う城兵たちは、女性の踊りを見に行こうとして仕事を放棄。
ひとり、ふたりと仕事をサボるものが続出し、城内のほとんどの兵が無断で外出してしまったのです。
この機を狙っていたのが、松平信光でした。
手薄となった城へ一斉攻撃を仕掛け、城主を追い詰めたのです。
女性の魅力を作戦に取り入れたこのエピソードは、現在の愛知県安城市に伝わる「安祥城落城の伝説」。
一説によると、女性ではなく念仏踊りであったともいわれますが、念仏踊りもまた女性や男性の衣服がはだける艶やかなものだったといわれています。
もしかすると、戦国時代において最強だったのは女性の魅力なのかもしれません。
今回紹介した安祥城は廃城されていますが、現在は「安祥城跡」として残っています。
気になった方は訪れてみてください。