命日を前に。名バイプレイヤー、大杉漣に今、出会える新作映画の監督と俳優が語る「あの日の漣さん」
来る2月21日は、300の顔を持つといわれた名優、大杉漣の命日
「ある時は、家族想いの優しいお父さん、ある時は、冷酷無比なヤクザ、ある時は、実直で正義感あふれる上司、ある時は、フェティッシュな変態男」と、ありとあらゆる人間を演じた俳優、大杉漣。
300の顔をもつ名バイプレイヤーとしてファンからも俳優仲間からも愛された彼が、突然この世を去ったのは2018年2月21日のこと。気づけば、早いもので3年の月日が経とうとしている。
ただ、まだまだ、映画やドラマの界隈において、俳優・大杉漣は現役で健在とでもいおうか。たとえば連続ドラマの再放送をはじめ、テレビでも劇場でも彼の姿に気づけばよく出会う。不在であることがにわかに信じがたい印象があるのではないだろうか?それぐらい死後も、彼の姿を目にできる機会(作品)が絶えない。
昨年、コロナ禍の影響を受け、公開が延期に。去る2月6日、約1年の時を経て岩波ホールで公開がスタートした映画「モルエラニの霧の中」もまた現役で健在、ある意味でまだ出会ったことのない新鮮な大杉漣に出会える1本といっていい。
室蘭出身の坪川拓史監督が、実話をもとに、地元でときにそのエピソードに登場する本人も出演しながら作られたこの作品で、大杉に出会った坪川監督と、役者仲間であった共演者の草野康太に21の命日を前に、思い出を語ってもらった。
ネパール大地震で亡くなった録音技師の山方浩さんでつながった漣さんとの縁
まず、坪川監督は大杉漣との出会いをこう明かす。
坪川「漣さんは、いつか(自分の監督作品で)ご一緒したいと思っていた俳優さんのひとりです。まずお手紙を書いたんですよ。自分は室蘭で創作活動をしていて、今度、地元でこういう映画を作りたいと思っている、といった今回の『モルエラニの霧の中』の主旨を伝える。
すると、すぐにマネージャーさんからご連絡をいただだいたんです。『大杉がすぐにでも会いたいといっている』と。
それですぐに東京に行くことを決め、角川大映スタジオでお会いすることになりました。
2015年のことだったのですが、そのお会いした日というのが、ネパール大地震があった日(4月)で。録音技師の山方浩さんが巻き込まれてお亡くなりになったんです。実は僕、山方さんのことはよく存じ上げていて……。
でも、漣さんとお会いするときは、まだはっきりとした情報は入ってきていなかった。漣さんにお会いする直前に、日本人が巻き込まれた可能性があるというニュースが伝えられはじめて、どうやら山方さんかもしれないという情報が僕にも入りはじめていました。
そんな中、漣さんとのお話が始まったんですけど、その間も、僕の携帯がひっきりなしに鳴る。
それで、漣さんに伝えたんです。『すいません、今日ちょっと、電話が鳴りまくってて、実は知り合いの方がエベレストで雪崩に巻き込まれた可能性があって』と。
すると漣さんに『それは誰?』と聞かれたので、『山方さんという…』といったら『え、山方君』となった。実は漣さんも山方さんと友だちだったんです。
漣さんも『えっ、だって去年、経堂で飲んだよ』と驚いていて。二人で心配しながら、会話は続いたんですけど、その最中、山方さんがお亡くなりになったことが確実との情報が伝わってきた。もう、二人とも言葉を失ったんですけど、そのときに漣さんがこうポツリといったんです。『ほんとうに、人間、いつどうやって死ぬかわからないね』と。続けて、『じゃあ、すぐに室蘭行くよ』といってくださった。
ただ、別の映画の撮影がすでに入っているので、『そのロケに行く前の3日間だけだったら室蘭に行けるかも』と。僕としては断る理由はないので、『じゃあ、お待ちしています』となって話がまとまったんです」
「ちょっと見てほしいものがあるんだけど」と言われたときは心が躍りました
こうした経緯で出演は決定した。
7章で構成される「モルエラニの霧の中」で大杉がメインキャストを務めたのは、第2話 春の章/写真館のはなし「名残りの花」。写真館に残された未受け取りの写真の持ち主探しから始まる本章は、父と息子の情愛に触れるとともに、誰もの心の中にあるであろう原風景に出会うような味わいがある。ここで、大杉は突然病に伏す古い写真館の主人・小林幹夫を演じている。なにか、彼のその後を予期するような役柄ではあるが、そこに悲壮感はない。むしろいつもと同じようなたたずまいで、その役として存在する大杉の生き生きとした姿が印象深い。
大杉の役作りの一端と現場での姿勢を坪川監督はこう明かす。
坪川「撮影前に、衣装合わせで会うことになりました。先ほどお話した初対面から1週間後ぐらいです。
この衣装合わせを僕はひそかに楽しみにしていたんですよ。というのも、漣さんは眼鏡コレクターで、衣裳合わせのときに必ず、その役にあった眼鏡をいくつかもってくる、と映画関係の知人から聞いていたので。
当日、ほんとうに持ってこられた。2ケースに20個ぐらい入っていたと思います。
漣さんが『監督、ちょっと見てほしいものがあるんだけど』と。僕は心の中で『きたきた!』と心躍りましたね。続けて、漣さんは『脚本を読んで役柄に合いそうなのを選んできたんだけど』と。
でも、いっぱいあるので、じゃあ、せえので、どれがいいかお互いに指をさそうということになった。そしたら、同じ眼鏡、劇中のあの眼鏡をお互いに指したんですね。
その瞬間、漣さんが『ああ、この映画はきっと、いい映画になるぞ』と言ってくれて、すごくうれしかったことを覚えています。
また、初めてお会いしたときから、こう言ってくれたんです。『映画はみんなで作るもんだと僕は思っているから、室蘭で監督みたいに地元の人たちと一緒に作っているのはいい。みんなで作り上げるという現場が最近少ない。だから、(みんなで作っていることを感じられる)現場に行きたいと思ってたんだよ』と、僕らの映画作りを肯定してくれるというか、面白がってくれた。
いざ、室蘭に来てみたら、まず空港で出迎えたのが、室蘭市民の映画の応援団の人たち。そこから漣さんはとても喜んでくれました。
結局、この映画の現場を楽しんでくれたのか、気に入ってくれたのか、当初の予定より1日半多く、ほんとうにギリギリまでいてくれたんですよね。
実は、この漣さんとの撮影のときの現場が1番混乱していて、トラブルが続出していました。たぶん漣さんも察していたと思うんですけど、それでも嫌な顔ひとつしないで、照明待ちのときに、『監督が試してみようとしてることは全部やるからさ。全部言ってね』と言われて、ほんとうに心強かったし、助けられました」
有名になる前も後も、漣さんの人柄は全然変わらなかった
一方、草野は、大杉とは古くからの役者仲間だった。
草野「漣さんとの思い出はいっぱいありすぎて、ちょっとの時間では語り尽くせない。
今回の出演者で言えば、僕とか水橋(研二)さんは、なんといいましょうか。漣さんがここまで有名になる前からの付き合いで。まあ、変な話ですけど、現場でひどい扱いを受けたりすると、漣さんに『今日ちょっと付き合ってくれよ』と誘われて、一緒に呑みに行って愚痴ったりもよくしていました(苦笑)。
ただ、有名になる前も後も、漣さんの人柄は全然変わらなかった。誰とでも打ち解けてしまう飾らない人でした。ずっと年賀状のやりとりもしていて、ほんとうに大好きな人でした。
だから、共演シーンはないですけど『モルエラニの霧の中』で、一緒に初日に舞台挨拶に立てると思っていて。そのことをすごく楽しみにしていたんですけどね」
大杉の人柄について、坪川監督もこう語る。
坪川「僕の息子がちょっと出演しているんですけど、待ち時間に漣さんと息子が少し話したみたいなんです。
それで、撮影が終わってから、息子に段ボールでいろんなものが届くんですよ。お菓子とか、ラーメンとか。『食べ過ぎないでね。れん』と書かれたメッセージとともに(笑)。
撮影が終わってからも、ずっとそういうやりとりが続いていたんです。
でも、そういう関係はおそらく僕だけじゃない。たぶん、誰とでもわけへだてなく接する人だったんじゃないかと。というのも、室蘭に僕も良く行く喫茶店があるんですけど、漣さんもふらっと立ち寄ったそうなんです。
そこのママさんが漣さんのファンでサインをお願いして、そのとき画用紙しかなかったのに嫌な顔せずにサインをしてくれて、その場は終わったそうなんです。
そして迎えた翌朝のこと。漣さんが改めてサインを書いて、自分の落款(らっかん)をを押した色紙をわざわざ届けてくれた。ママさんすごく喜んでいて。こういうところに漣さんの人間性がにじみ出ているんじゃないかなと思います」
叶わなかった幻のエピローグ
実は、「モルエラニの霧の中」には叶わなかった監督と大杉との構想があったという。
坪川「室蘭を漣さんが離れるとき、『監督、これ、たぶん僕は亡くなった設定だと思うんだけど、もう一回、室蘭に来たいから何とか生き返らせてよ』とおっしゃった。『じゃあ、ほんとに生き返らせますよ』と僕が言ったら『頼むよ』と。
それで、漣さんも登場する『モルエラニの霧の中』のエピローグを書き上げたんです。
マネージャーさんと撮影のスケジュール調整をしていたんですけど、その最中に漣さんはこの世を去ってしまった。
ほんとうに撮りたかったんですけど、残念ながらこのエピローグの撮影は叶いませんでした」
命日の2月21日は追悼の上映に。「きっと漣さんは劇場にきてくれている」
こうした想いをもって坪川監督と草野康太が迎える大杉漣の命日である21日。二人はともに「きっと漣さんは劇場にきてくれている」と言い、「追悼の上映にしたい」と明かす。
草野「坪川監督がさっき言ってましたけど、映画はみんなで作るものという意識が漣さんにはあった。まさに『モルエラニの霧の中』はみんなで作った映画。たぶん漣さんもこの映画がいま船出したことを喜んでいるはず」
坪川「僕は初日の舞台あいさつで、感極まって泣いてしまったんですけど、それは、話しているときに漣さんの元マネージャーさんが視界に入って、その瞬間『絶対に横に漣さんいる』と思ったら、もう感情を押さえられなかった。
21日もきっと同じように、漣さんが岩波ホールでの上映を見守ってくれているのではないかと思っています」
「モルエラニの霧の中」
岩波ホールにて公開中。
4月2日(金)よりサツゲキ(札幌)、ディノスシネマズ室蘭(室蘭)にて公開決定!
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場面写真及びメイキング写真は(C)室蘭映画製作応援団 2020