一浪入学から1年半で最速155キロを投じる「日本の宝」の原石 筑波大・国本航河が秘める無限大の可能
同一人物から放たれているものとは思えない。国本航河(くにもと・こうが/筑波大2年)の右腕から放たれる威力満点のストレートと、取材時のおとなしい雰囲気と言葉だ。
一浪を経て筑波大に入学して約2年。最速155キロを投じるまでになり、12月1日から松山坊っちゃんスタジアムで行われている侍ジャパン大学代表候補選手強化合宿にも参加。筑波大のチームメイトから「日本の宝」と称されている右腕は今、大きなきっかけを掴もうとしている。
文武両道
名古屋に生まれ、野球を始めたのは天白小学校に通っていた3年生の頃から。友人に誘われたことがきっかけだった。天白中時代も軟式野球部に所属し地元の仲間たちと白球を追った。
同時に勉学にも励み、県内随一の進学校である東海高校に通っていた兄の「男子校楽しいよ」という言葉もあり私立名古屋高校へ入学。グラウンドは他部活との併用で内野を作れるかどうかほどだったという狭い練習スペースではあったが、地道な練習や陸上競技部の先生にコンディショニングやトレーニングを学び、力をつけていった。
怪我の功名もあった。1年秋頃から成長期が来て、体の節々に痛みが出たこともあって全体練習から外れた期間にウェイトトレーニングなどに励んだ結果、高校3年時にストレートの最速が144キロにまで到達。最後の夏は新型コロナ禍による独自大会のみだったため、そこまで大きな注目は集めなかったが、NPB球団のスカウトが足を運ぶまで成長を遂げた。
スカウトも唸るポテンシャル
名古屋高校の部長が筑波大OBだったこともあり、強豪私学からの誘いを断って筑波大受験を決めた。だが1年時は前期で筑波大、後期で近年NPB選手輩出や全国大会出場などの実績を残す静岡大を受験するも、ともに不合格。体育大専門の予備校に通う浪人生活が始まった。
「今となれば、しんどかった時期はあるかなと思います」と話すにとどまるように、「高校でも自分たちで考えて練習をしていたので、高いレベルで自主性を重んじた野球をやりたいと思っていました」と、ひたむきに志望校を目指し、筑波大合格を勝ち取った。
一方で浪人期間中に体力が落ちていたこともあり、昨年1年間はその回復に努め、慎重に体づくりを進めてきた。教授として野球のトレーニングや動作解析などを研究する川村卓監督も「(未成熟な)体に対して投げられるボールが速すぎたので」と怪我のリスクを懸念し、焦らせないようにさせた。その中でインナーマッスルの強化や正しく体を使うフォーム作りを重点的に行い、今春にリーグ戦デビューを果たした。
すると今年、鮮烈なインパクトを残す。春の日体大戦で最速155キロを計測すると、秋には中継ぎとして活躍し、最後は先発を任されるまでに成長を遂げた。
9月24日の城西大戦では中継ぎとして好投しリーグ戦初勝利。この試合を視察していたNPB球団のスカウトからも「リリースに力を伝える感覚が良いですし、体の使い方が縦振りなのでフォークも良く、腕が緩みません」(オリックス・牧野塁スカウト)、「本人が研究して、体の使い方を覚えたらどこまで伸びるのか。(ドラフト解禁となる)2年後が本当に楽しみです」(ロッテ・柳沼強スカウト)と期待の言葉が並んだ。
指導する川村監督も無限大に伸びる可能性と、足枷になってしまう要素が少ないことを明かす。
「経験豊富なトレーナーさんに見せたら“こんな良い筋肉の質を見たことが無い。柔らかくてホワホワしている。160キロを投げるんじゃないか”と言うんです。取り組みも真面目で素直ですし、高校時代に野手もやっていたので牽制やフィールディングも下手ではないのも彼の良さです」
そして、今回の侍ジャパン大学代表の合宿を「本気でプロを目指している選手たちから学んで来て欲しいです」と飛躍に繋げて欲しいと願う。国本も「大学のトップレベルの選手たちが集まるので抑えたいですし、いろんなものを吸収したいです」と、11月下旬の取材の際に意気込んでいた。
全国から集まった精鋭たちの中で、どんな姿を見せ、どんなことを持ち帰るのか。この合宿が国本航河の人生を変えるきっかけになる可能性は大いにある。