ボルダリング文化を支えるジムコンペのリアル。10周年を迎えた『BLoC』が模索する「これから」
異彩を放つシリーズ戦『BLoC』が10周年
スポーツクライミングのワールドカップ(以下W杯)ボルダリングが、4月5日にスイス・マイリンゲンで開幕。翌6日に今年最初の優勝者が決まる。6月7日・8日の最終戦アメリカ・ベイル大会までのシリーズ全6戦で、日本選手たちがどんな活躍を見せるのか楽しみなところだ。
日本は国際大会で上位進出が当たり前に思えるほどの強豪国になっているが、そのレベルアップの一翼を担っているのがボルダリングジム主催の『コンペ』だ。
コンペとは競争や競技会などの意味を持つ『コンペティション』の略語。英語本来の意味で考えれば、IFSCルールに準じた公式大会も『コンペ』にあたる。
しかし、国内では2005年に第1回ボルダリング・ジャパンカップが開催される以前から、競技を支えてきたのがボルダリングジムであり、2007年に競技名が『スポーツクライミング』になるまでは、『コンペティション・クライミング』だったことなどもあって、現在でもコンペがジム主催のものを指すことが定着している。
コンペのほとんどが単発で、W杯のようにシリーズ戦で総合優勝を争うコンペは多くはない。そうしたなか東京・日暮里にあるボルダリングジム『Rhino&bird(以下ライノ&バード)』を中心に、首都圏のジムを転戦しながら優勝者を決めるシリーズ戦がある。それが今年で10年目を迎えた『BLoC(Bouldering Local Circuit)』だ。
ライノ&バードのオーナーである藤枝隆介さんが、BLoCを始めたのは2009年秋。当時のことを振り返ってもらった。
「ぼくがクライミングを始めたのが2004年頃で、当時は『B-Session』という年間シリーズ戦があったんですね。通っていたジムのスタッフや常連さんが出場していて、彼らがとても輝いて見えた。2008年2月にライノをオープンさせたときに、あのコンペの盛り上がりが消えちゃうのが寂しくて、BLoCを始めました」
1989年に始まったW杯にボルダリングが種目として加わったのは1998年。当時の国内ではジム単位でコンペが開催されていたが、そうした各地のコンペをシリーズ戦化したのが、B-Sessionだった。
B-Sessionは2000年から2008年まで続き、最盛期は年間6〜7戦が行われた。開催地も首都圏だけにとどまらず、北海道や京都などでも開かれたが、2008年に1戦を行ったのを最後に消滅した。
『ジムで強い人が輝く』をコンセプトにスタート
その翌年秋にスタートしたBLoCが、シリーズ戦の形式をとったのは、「B-Sessionに影響を受けたので自然な流れでしたね」と、藤枝さんは懐かしむ。
「最初にコンペをやりたいと考えた時からシリーズ戦でした。それで知り合いのジム関係者に声をかけたり、ライノの常連さんが他のジムに話を持っていってくれたりして。そこは恵まれていました」
BLoCにはシリーズ戦以外にも、ほかと一線を画していることがある。それはトップクライマーがレギュラー参戦できないことだ。BJC準決勝に進出した選手はシリーズ戦に3年間は、ゲストクライマーとしては出場できるだけ。その理由を藤枝さんは次のように明かす。
「BLoCを始めるにあたってこだわったのが、『ジムに通うお客さんが輝くコンペにしたい』というものでした。ぼくがクライミングを始めたジムには、いまでいうレジェンドクライマーがたくさんいました。でも、ぼくの目には彼らと同じくらいジムに通う普通のお客さんも輝いて見えた。その彼らが盛り上がるコンペにしたくて、トップ選手たちが出られないものにしました」
時代の流れのなかでユース選手の登竜門へ
そうしてスタートしたBLoCの第1回レギュラー男子で総合優勝したのが、現在はクライマーなら誰もが知るヒップポケットの「ばってん」マークのクライミングウェア『heavy.』を展開する湯澤秀行さん。彼をはじめ、初期の参加者の多くは20代から30代の社会人クライマーだった。
「湯澤君をはじめ、2012年頃までの参加者はボルダリング好きの普通のお客さん。それが2012年に波田(悠貴)君が年間チャンプになってからは、ユース年代のエントリーが増えていきました」
前回の第9回BLoCシリーズ戦でレギュラー男子に総合優勝した川又玲瑛(かわまた・れい/今春から高校1年)は今年1月の『BJC2019』で7位になったのをはじめ、現在のBLoCはユース年代の登竜門的なコンペにもなっている。
当初の狙いとは異なるものに変貌しているが、藤枝さんはその中にもよろこびを見出している。
「成長していくのを見守れるのは、うれしいことですよね。BLoCに智亜君・明智君の楢崎兄弟や野中生萌ちゃんが出ていたこともあるし、それこそ土肥圭太君はBLoCの常連でした。そうした選手たちが、日本代表として国際大会で活躍している。いまの日本を支える一部になっている自負はありますね」
中学3年時にシリーズ王者になった波田悠貴は、昨年はW杯リードで年間9位。今年も7月から始まるW杯リードに参戦する。大学4年になった彼は、当時を振り返ってBLoCの意義を次のように語る。
「2009年から参加させてもらいましたが、BLoCは自分を成長させてくれた場所ですね。クライミング自体はもちろんですが、いろんな人たちとBLoCを通じて出会いながら、人との接し方などを学ばせてもらいました」
幅広い年代がつながる新しいカタチを模索中
10年の歳月は、BLoC参加者の年齢層だけではなく、主催者の立場も大きく変えた。藤枝さんはBLoCを主催していたのがきっかけとなって、公式大会の運営にも携わるようになり、現在は日本山岳・スポーツクライミング協会の競技委員副実行委員長として、さまざまな公式大会の運営を取り仕切る。
さらに、BLoCの年間上位選手やBJC上位選手が出場できる招待制コンペ『MASTER OF BLoC』の運営、THE NORTH FACE CUPなどでの中継チームとしての仕事もある。「すべてBLoCを始めたことで生まれたものだから」と前向きにとらえているものの、多忙になったことのジレンマも抱えている。
BLoCはルールを共通化しているが、それ以外の課題セットや協賛探しなどは参加ジムが担う。すべてをひとりで回しているわけではないものの、全戦のディレクションと、写真を含めた記録をとるのは藤枝さんのみ。
「去年は7戦やりましたけど、一昨年と今年は4戦に減らした。これは単純にぼくがコンペに行けないからなんですよね。全体のディレクションがおざなりになっていると感じていて、試合数を減らさないとまずいなっていうのが一番の理由です」
試合数を増やしてほしいの声や、参加を希望するジムもある。藤枝さんをサポートする人材がいれば、容易に試合数を増やせそうだが、「現実的な問題もあって簡単ではない」と即答する。
「BLoCを始めた頃とはクライミングを取り巻く状況が変わったのは大きいかな。始めた当初は出場者の募集を開始するとファックスが止まらなかった。でも最近は、コンペに参加する層は一定数いるけれど、全体的には減っている印象がある。だから、試合数を増やすことよりも、そこを打破したい気持ちの方が強いんですよ。まだ新しい何かがあるわけではないので、しばらくは静観なんですけど」
幅広い年代にコンペを楽しんでもらいたい想いから、昨年は男性35歳、女性30歳以上が参加できるコンペ『Rhino legends only』を開催。スポーツクライミング中継の解説でお馴染みの伊東秀和さんをはじめ、多くのクライマーが歳を忘れて課題に夢中になった。
「30代、40代でもコンペを楽しめるのか確かめたかった部分もあって企画したんですけど、みんないい顔をしていましたね」
これほどまで藤枝さんがコンペの新しいカタチを模索するのは、クライミング界の活性化には不可欠だと考えているからだ。
「コンペには腕試しの側面がありますが、やっぱり人と人を繋ぐ場でもあると思うんです。クライマーは人見知りが多いけど、同じ課題を通してなら、知らない人同士も交流できる。それをひとつのジムだけで完結させずに、違うジムに行って、クライミングの輪を広げてもらいたいと思っているんです」
今年のBLoCは1月19日のBe born戦に始まり、2月9日のMaboo戦、3月16日のUnderground戦が終わり、4月13日・14日のFishand&bird東陽町戦の最終戦を残すのみ。
300平米を超す規模の『大箱ジム』も増えてきたなか、BLoC を開催するボルダリングジムは中・小規模。しかし、だからこその熱量と盛り上がりを誇るBLoCが、これからもコンペシーンを牽引していく。
藤枝隆介(ふじえだ・りゅうすけ)
1972年1月17日生まれ。
「最近のユース選手は、ぼくがライノのオーナーだって知らないんですよ」と笑う藤枝さんは、「この4年くらいは忙しさから全然登っていなかったけど、今年からライノで定期的に登るようにしてるんですよ」と楽しそうに明かす。