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野球殿堂入り投票「水島新司氏へ5票」の唐突感

豊浦彰太郎Baseball Writer
都心のど真ん中にありながら来場者は年間約9万人(2017年)と多くない。著者撮影

野球殿堂入り投票の「特別表彰」では、漫画家の水島新司氏に5票が入った。氏のファンとしては嬉しいが、「唐突感」は否めない。投票以前に漫画家も含めた著述者を選出する枠組みが必要だろう。

権威性に欠ける「殿堂入り」

2019年度の野球殿堂入り投票結果が発表された。競技者表彰では立浪和義氏と権藤博氏、特別表彰では脇村晴夫氏が選出されたのはご存じの通りだ。

しかし、毎年のことながら「あ、今日は発表日だったのか」という感じで、数日経つとほとんど話題にならなくなる。アメリカの野球殿堂入りでは、候補者が公表された段階から各メディアで予想記事が数多く掲載され、結果が明らかになったらその論評・批判で議論が百出する。少々大げさに言えば、殿堂入り発表は国民的関心事であるのとエラい違いだ。

日本では、野球殿堂があまりヘッドラインにならない。理由はふたつあると思う。ひとつは殿堂入りがそれほどのステータスを保っていないことだ。特に競技者に関しては、「名球会」にその立場を奪われている。これは、だれもが納得できるような選出を続けてきたとは必ずしも言えないことの影響だろう。もうひとつは、この国のスポーツジャーナリズムには残念ながら「論評」文化がないことだろう。したがって、発表日の翌日にはネタがなくなってしまう。

唐突な水島氏への票

そして、今回はちょっと驚くことがあった。それは、特別表彰で漫画家の水島新司氏が5票を獲得したことだ(選出委員は計14名)。

水島氏の作品を愛読した層は多い。かく言うぼくも「男どアホウ甲子園」「あぶさん」「ドカベン」「野球狂の詩」をかつては貪るように読み、登場人物の言動のひとつひとつを今でも諳んじることができる。しかし、氏への投票を否定するものではないが、少々唐突な印象は拭えない。それは「特別表彰」のカバレッジがどこまでなのか、その定義が曖昧だからだろう。

基本的には特別表彰は「アマチュア枠」の色彩がある。もともと日本では野球はアマチュアを中心に発展してきた歴史的背景があるので、それはそれで理解できる。しかし、アマチュアに加え「その他野球の発展に貢献してきた者」がごちゃ混ぜになっており、かつその定義が存在しないのだ。例えば、ジャーナリストなどの文筆家のカテゴリーがあるなら、新聞記者や作家だけでなくそこに漫画家が入ってきてもおかしくないし、中々面白いと思う。しかし、それが存在せずいきなり水島氏に全体の3分の一以上の票が入っていては「唐突」と言わざるを得ないだろう。

まずはカテゴリーの確立を

2016年に、ノーベル文学賞にミュージシャンのボブ・ディランが選出され話題になった。ぼくもその斬新な発想による選出に感銘を受けたのだが、それも「文学賞」という受け皿があってのことだ。果たして音楽家を文学賞に選ぶのはアリか?、だから健全な議論になる。仮にノーベル賞が漠然と人類の平和や幸せに貢献した人物を対象にしていたら、「ディランはないよね」だったと思うのだ。

ちなみにアメリカではジャーナリストを対象とするJ.G.テイラー・スピンク賞とブロードキャスター対象のフォード.C.フリック賞がある。これらはアメリカでも「殿堂入り」と表記されることもあるがそれは間違っている。これらの受賞者は殿堂(Hall of Fame)という「ホール」とは別棟に、殿堂入りとは異なるサイズ(はるかに小さい)とデザインのパネルが掲げられている。

日本の場合はメディアの貢献者も「殿堂入り」で構わないと思う。でも、その前に選手、指導者、審判、運営者以外の貢献者の定義を明確にし、どのルートでどんな頻度で選出するかを定義することが必要だと思う。「水島新司と大和球士、山際淳司、だれが一番相応しいかな」そんな議論が出来る日が来て欲しい。

Baseball Writer

福岡県出身で、少年時代は太平洋クラブ~クラウンライターのファン。1971年のオリオールズ来日以来のMLBマニアで、本業の合間を縫って北米48球場を訪れた。北京、台北、台中、シドニーでもメジャーを観戦。近年は渡米時に球場跡地や野球博物館巡りにも精を出す。『SLUGGER』『J SPORTS』『まぐまぐ』のポータルサイト『mine』でも執筆中で、03-08年はスカパー!で、16年からはDAZNでMLB中継の解説を担当。著書に『ビジネスマンの視点で見たMLBとNPB』(彩流社)

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