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ケンブリッジ大学「女性博士号取得者」への誹謗中傷、なぜ「X」はミソジニーが跋扈するのか

石田雅彦科学ジャーナリスト
(写真:ロイター/アフロ)

 英国ケンブリッジ大学で博士号を取得し、学位記と一緒の写真をX(旧Twitter)上にアップした女性研究者がいわれのない誹謗中傷の攻撃にさらされ、問題になっている。彼女は、自らへの攻撃をユーモアを交えてかわしているが、Xはすでにアカデミアが自由に議論できるようなプラットフォームではないとも指摘。Xに限らず、ネット上には根拠のない妬みや嫉み、憎悪、ミソジニー(女性蔑視、女性嫌悪)、差別が蔓延している。日本の学術研究環境にも通底するこの問題を考える。

博士号取得した女性へのバッシング

 SNS(ソーシャル・ネットワーク・サービス)上での人種差別を含むヘイトスピーチ、ミソジニー、誹謗中傷などが問題になって久しい。スマートフォンの普及により、この問題は日々、増大し続け、複雑化している。

 英国ケンブリッジ大学で博士号(哲学)を授与された女性が、学位記と一緒の写真をX上にアップしたところ、世界中からバッシングが寄せられ、ちょっとした騒動になっている。

 彼女の論文のタイトルは「Olfactory Ethics: The Politics of Smell in Modern and Contemporary Prose(嗅覚の倫理:近現代の小説における臭いの政治学)」で、この論文のアブストラクト(概略)によれば、近現代の散文小説(フィクション)を分析し、その中の臭い(匂い)と嗅覚に関連する表現が、性別、階級、人種などによる階層構造とどう関連しているか、嗅覚的な嫌悪が人間関係にどう影響するのかを明らかにすることを目的にしたものという。

ケンブリッジ大学の博士号(哲学)の学位記を掲げる本人のツイート。@DrAllyLouksより
ケンブリッジ大学の博士号(哲学)の学位記を掲げる本人のツイート。@DrAllyLouksより

 著者は、嗅覚を含む五感はプリミティブな情動反応とつながっていて、特に嗅覚は理性より先に強く感情を揺り動かすとし、ジョージ・オーウェルやヴァージニア・ウルフ、ウラジミール・ナボコフなどの小説に登場する臭い(匂い)と登場人物の描写、それが意図する意味、暗喩などを読み解き、それが政治的社会的な文脈とどう関係するのかを論じている。

 この論文(アブストラクト)を読んだ、もしくは読んでいないと思われるXのユーザーが、彼女のX上に論文の内容を否定したり嘲笑したり、彼女に学位を与えたケンブリッジ大学を批難したり、挙げ句の果ては罵詈雑言を浴びせたり、脅迫的なメッセージが送られるなどし、ケンブリッジ大学の地元警察が事件として捜査する事態にもなっている。

 彼女は、自身のXにこうした反応を意に介さず、ごく少数の不満を抱いた人の言動とし、その多くは知的好奇心を持ち、自身への親切心からコメントしたりリツイートしたりしていると書き込んでいる。一方、彼女はこうした状況に手をこまねいているXの運営について批判し、Xはすでにアカデミックな議論ができるプラットフォームではないという書き込みもした。

 また、一連の騒動に、彼女を擁護するコメントも多く寄せられ、特にアカデミアの中から彼女の態度を賞賛する人も増えている。実際、ミソジニーや憎悪などのXでのコメントに対し、彼女はブルースカイやマストドンなどへ移らず、Xにとどまり続けると冷静に語り、寄せられたコメントに丁寧に返し、むしろ自身に対するX上の反応と自分の論文への誤解を研究対象にするくらいの勢いで軽々といなしている。

X上で攻撃を受けた本人のツイート。@DrAllyLouksより
X上で攻撃を受けた本人のツイート。@DrAllyLouksより

 

Xからアカデミアが逃げ出した

 ケンブリッジ大学の女性研究者に対するX上のネガティブな反応は、ほとんどが男性(と思われるアカウント)によるものだが、その動機を大きく分けると、家父長的なミソジニー、恵まれた高学歴エリートへの妬み嫉み、男性誇示と支配欲(所有欲)といったようになりそうだ。では、こうした言動が横行する素地がXにあるのだろうか。

 イーロン・マスク氏がXを買収したのは2022年10月だ。その後、大量の社員を解雇し、凍結されていたドナルド・トランプ氏のアカウントを復活させた。また、サブスクリプション機能を付加し、API(別のソフトウェアとの連携)を有料化し、広告収益の分配プログラムを導入した。一方で、広告収入や企業価値が大幅に下落するなどしている。

 こうした変化を受け、世界中の研究者がXから距離を置くようになっているのは事実だ。マスク氏によるTwitter買収直後には100人以上のユーザーが離れたとされ、特にマスク氏がトランプ氏を支援してからはユーザーは急速に減っている。

 実際、別のケンブリッジ大学の研究グループによる分析によれば、トランプ氏が復活したように右派系のユーザーも再活動を始め、Xでのアカデミア・ユーザーの態度は確実に変化し、マスク氏が買収した直後の2022年11月に社会科学系アカデミアのツイート数が劇的に減った(※1)。そしてXから去ったのは、認証済みアカウントを持つような著名で有力な研究者が多かったという。

 Twitterは、研究者や教育者、学生にとって、アカデミックなコミュニケーションを保つ上で重要なプラットフォームだった。そして、論文の引用数はTwitterのリツイート数と正の相関があり、アカデミアのジェンダー・ギャップに影響されないプラットフォームでもあったし、アカデミアと社会との接点にもなっていた(※2)。

Xで横行するミソジニー

 一方、Twitter上にもジェンダー・ギャップがある。例えば、米国のワシントンDCで活動するジャーナリストのTwitterアカウントの分析では、男性記者は男性記者同士で相互フォローしたりコミュニケーションを取るなどのジェンダー・バイアスが明らかに見られたという(※3)。

 そもそもTwitter上には、ミソジニーやセクシャル・ハラスメント、暴言などのハッシュタグが氾濫し、ミソジニーのツイートは人種差別的なツイートよりも対象とのやり取りに過激に反応し、より能動的だ(※4)。実際、ミソジニー的なツイートが、性犯罪や家庭内暴力などと関連していることを示す研究は多い(※5)。

 つまり、Xからはすでに多くのアカデミアのアカウントが逃げ去っていて、残っているのは高学歴や恵まれた人に嫉妬を抱き、過敏に反応する匿名ユーザーが多い可能性があるということだ。Twitterの頃からミソジニーやセクシャル・ハラスメント的なツブヤキが横行し、それは性犯罪や家庭内暴力などの指標になるほどだった。

 一方、Me Too運動に示される通り、フェミニズムの新たな動きが勃興し始め、従来の男性優位や男性の存在理由が危機に瀕している。グローバル化や格差社会、近代化に適応できない男性の焦燥感が増大していることなどを背景に、SNSでの女性への攻撃が常態化する。

 これは現状を俯瞰的に客観視できない一種のルサンチマン(他者へ向ける劣等感や怨恨、嫉妬など)であり、格差が広がった社会で下層に属するが、それを自認したくない層が抱きがちな感情だ。

 そうした状況で、ケンブリッジ大学で博士号の学位を取った女性が、学位記を誇らしげに掲げた写真をアップした。彼女の論文は、臭いに関するもので、身に覚えのある(と被害妄想している)ユーザーが自分のことかと過剰に反応し、罵詈雑言を投げつけ、それが男性自身のジェンダーの再構築(男らしさの再確認)と考えた。そんなところだろう。

埋まらないジェンダー・ギャップ

 依然として女性差別やミソジニーは根強い。アカデミアの世界も依然としてジェンダー・ギャップが大きく、日本は特に目立つ。日本の女性研究者の割合は、欧米が3割以上なのに比べ、1/5以下とかなり低い。

 2013年の労働契約法の改正で、一般の有期雇用の労働者は5年、研究者や大学教員などの有期雇用の期間は10年となり、5年や10年を超えた場合は無期契約に転換できることになった。逆にいえば、5年10年を経ずに雇い止めし、無期転換を阻む動機が雇用側に生じることになった。

 こうした断片的な雇用条件で、さらにパートナーの家事労働や育児への参加がなかなか進まない中、出産や育児で仕事の中断のある女性の労働者や研究者らが安定した仕事についたり持続的な研究をすることは難しい。また、無期転換を期待して仕事や研究をすることと、結婚や出産の二者択一を迫られることにもなりかねない。

 一部の医学部入試では、成績上位から合格させると女性ばかりになってしまうため、男子受験生に下駄を履かせていたことが問題視された。男性医師の過剰な労働環境のほうがむしろ問題なのに、なぜ下合わせをして女性医師の門戸を狭めるのか理解できない。

 今回のケンブリッジ大学の女性研究者のバッシング騒動は示唆的だ。SNSにおけるミソジニーだけでなく、世界中にルサンチマンを抱えた人が増えることで、社会を分断させ、科学技術の発展を阻み、争いの火種になる危険な徴候を示している。

※1:James Bisbee, Kevin Munger, "The Vibes Are Off: Did Elon Musk Push Academics Off Twitter?" Political Science & Politics, 1-8, 15, October, 2024

※2-1:Jakob Junger, et al., "Does really no one care? Analyzing the public engagement of communication scientists on Twitter" New Media & Society, Vol.22, Issue3, 27, July, 2019

※2-2:Samara Klar, et al., "Using social media to promote academic research: Identifying the benefits of Twitter for sharing academic work" PLOS ONE, doi.org/10.1371/journal.pone.0229446, 6, April, 2020

※3:Mikki Usher, et al., "Twitter Makes It Worse: Political Journalists, Gendered Echo Chambers, and the Amplification of Gender Bias" The International Journal of Press/Politics, Vol.23, Issue3, 24, June, 2018

※4:Zeerak Waseem, et al., "Dimensions of Abusive Language on Twitter" Proceedings of the First Workshop on Abusive Language Online, 1-10, August, 2017

※5-1:Apart Khatua, et al., "Sounds of Silence Breakers: Exploging Sexual Violence on Twitter" IEEE Explore, DOI: 10.1109/ASONAM.2018.8508576, 25, October, 2018

※5-2:Khandis R. Blake, et al., "Misogynistic Tweets Correlate With Violence Against Women" Psychological Science, Vol.32, Issue3, 16, February, 2021

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ありがとうございます。
科学ジャーナリスト

いしだまさひこ:北海道出身。法政大学経済学部卒業、横浜市立大学大学院医学研究科修士課程修了、医科学修士。近代映画社から独立後、醍醐味エンタープライズ(出版企画制作)設立。紙媒体の商業誌編集長などを経験。日本医学ジャーナリスト協会会員。水中遺物探索学会主宰。サイエンス系の単著に『恐竜大接近』(監修:小畠郁生)『遺伝子・ゲノム最前線』(監修:和田昭允)『ロボット・テクノロジーよ、日本を救え』など、人文系単著に『季節の実用語』『沈船「お宝」伝説』『おんな城主 井伊直虎』など、出版プロデュースに『料理の鉄人』『お化け屋敷で科学する!』『新型タバコの本当のリスク』(著者:田淵貴大)などがある。

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