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ネットで拡散「麻酔薬で誘拐」はありうるか?専門医に聞きました

市川衛医療の「翻訳家」
麻酔器イメージ(ペイレスイメージズ/アフロ)

 先週、SNSでひとつの情報が話題になりました。

 あるユーザーが「警察署に通う方から来たメール」として下記のような情報をツイッターで投稿しました。(当該の投稿は現在は削除されています)

※路上で乾燥海産物を販売する知らない人から『臭いをかいで』と言われることがあるので注意が必要

※エチルエーテルという麻酔薬をかがされて瞬時に意識を失い、臓器売買される

 この投稿は10000を超えるリツイートを得るなど広く拡散。ところがその後、2011年ごろに韓国で流れた都市伝説の焼き直しだとする指摘があり、現在はデマ情報とする反応が大勢を占めています。

 とはいえ、そういえば以前、テレビドラマや小説などで、麻酔薬をハンカチに浸してかがせ、意識を失わせて連れ去るというようなシーンって、良く見かけたようにも思います。

 実際に日常生活のなかで、悪意を持った誰かに麻酔薬をかがされ、意識を失うような危険性はあるのでしょうか?専門家に話を聞きました。

「麻酔をかがされて誘拐」はあり得るのか?専門医の意見

 取材に答えてくださったのは、麻酔科医の長瀬清さんです。

長瀬清さん(日本麻酔科学会指導医・岐阜大学医学部附属病院手術部(准教授))
長瀬清さん(日本麻酔科学会指導医・岐阜大学医学部附属病院手術部(准教授))

Q そもそもエチルエーテルとは何ですか?

 ここで言われているエチルエーテルとは、『ジエチルエーテル』のことを指しているように思います。

 ジエチルエーテル(以下エーテル)は、その成分を口や鼻から吸うことで作用する『吸入麻酔薬』というタイプの麻酔薬です。1846年にアメリカのボストンで用いられてから、急速に世界中に広がりました。その後(日本では1960年頃)に新しい吸入麻酔薬が登場してのち、徐々に使われないようになりました。

Q 昔のテレビドラマや小説などでは、エーテルをかがされて意識を失うシーンが出てきたように記憶しています。こうしたことは実際、ありえることなのでしょうか?

 実際には、考えにくいと思います。エーテルの成分は吸って血液に溶け込んでも、大量に血液中に溶け込まないと麻酔効果が出ないという特徴があります。つまり麻酔効果が出るまでにとても時間がかかります。

その昔、実際に手術の麻酔にエーテルが用いられた際も、エーテルだけで麻酔を始めるととても時間がかかるため、他の麻酔薬を補うことで時間を短縮していました。

 ですので、ハンカチを口に当てられたらすぐに意識がなくなるということは考えられません。

Q 現在、手術現場ではどのような麻酔薬が使われているのでしょうか?

 エーテルのような吸うタイプの薬(吸入麻酔)と点滴で血管に直接投与するタイプの薬(静脈麻酔)の2種類があります。どちらの麻酔方法も優れた方法です。

 いま手術現場で使用されている吸入麻酔薬は、エーテルより血液への取り込まれやすさが大幅に改善されています。さらに点滴タイプの麻酔薬も補うなどの工夫をすることで、麻酔にかかる時間も目を覚ますまでにかかる時間も短くなりました。手術が終われば数分から十分ほどで麻酔から覚めます。

Q 現状で、実際に麻酔薬が悪用されるケースがあるとしたら、どのようなことがありうるでしょうか?

 吸入麻酔薬は、成分を口や鼻から吸えるように気化させる必要があるのですが、そのためには特殊な機器を使う必要があります。また、血管に投与する麻酔薬は、注射する必要があります。ですので、例えば誘拐などを目的に、人に気づかれずに意識を失わせるには「使いにくいもの」と言えるかもしれません。その意味での悪用の可能性は少ないと思います。

 問題として考えられるのは「乱用」(社会的な常識、特に医学的な常識を逸脱して薬物を使うこと)です。麻酔薬のなかには幻覚作用などがあるものもあり、例えばケタミンという麻酔薬は、医薬品でないケタミンが出回り乱用される事例が多くなりました。そのため麻薬ではないのですが麻薬取締法の対象とされました。

 とても残念ですが、実は医療従事者も薬物乱用に陥ることがあります。日本麻酔科学会は、ホームページで医療従事者向けに薬物依存症対策を公開し、乱用防止を啓蒙しています。

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【取材協力】

長瀬清さん(日本麻酔科学会指導医・岐阜大学医学部附属病院手術部(准教授))

【11月18日追記】取材協力者からの依頼により、表現を一部修正しました。

医療の「翻訳家」

(いちかわ・まもる)医療の「翻訳家」/READYFOR(株)基金開発・公共政策責任者/(社)メディカルジャーナリズム勉強会代表/広島大学医学部客員准教授。00年東京大学医学部卒業後、NHK入局。医療・福祉・健康分野をメインに世界各地で取材を行う。16年スタンフォード大学客員研究員。19年Yahoo!ニュース個人オーサーアワード特別賞。21年よりREADYFOR(株)で新型コロナ対策・社会貢献活動の支援などに関わる。主な作品としてNHKスペシャル「睡眠負債が危ない」「医療ビッグデータ」(テレビ番組)、「教養としての健康情報」(書籍)など。

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