逃げ得を許さず!埼玉の強姦事件で時効寸前に検挙 アメリカだとDNA型だけで「名無しの権兵衛」の起訴も
あと27時間余りで時効が完成するところだった埼玉の強姦事件で、急転直下、指名手配中の被疑者が逮捕、起訴された。映画やドラマ、小説のテーマになることも多い時効制度。この機会に取り上げてみたい。
【公訴時効と刑の時効】
刑事事件の時効には、次の2種類がある。
公訴時効
犯罪行為が終わった後、一定の期間が過ぎると、その犯罪で起訴することができなくなるもの。
刑の時効
裁判で有罪が確定した後、言い渡された刑の執行を受けないまま一定の期間が過ぎると、その刑を執行できなくなるもの。死刑は除く。
前者は証拠が乏しかったり、犯人が逃走中で発見に至らないなど、数々の未解決事件を思い浮かべると理解しやすいだろう。これに対し、後者は皆無に等しい。
一般に時効といえば前者を意味しており、冒頭で挙げた強姦事件も同様だ。以下でも、これを前提としてお話ししたい。
【時効期間とその効果】
まず、犯罪行為が終わった後、どの程度の期間で時効となるのか。人を死亡させたか否かや、法律が定める刑罰の内容により、次のような違いがある。
なし:殺人、強盗殺人、強盗・強制性交等致死など
30年:強制性交等致死、強制わいせつ致死など
25年:現住建造物等放火など
20年:傷害致死、危険運転致死など
15年:身の代金目的略取、通貨偽造など
10年:強盗、強制性交等、傷害、業務上過失致死など
7年:強制わいせつ、窃盗、詐欺、恐喝、業務上横領など
5年:未成年者略取、受託収賄など
3年:暴行、死体遺棄、器物損壊、名誉毀損、過失致死など
1年:侮辱、軽犯罪法違反など
※ 強制性交等罪は2017年の刑法改正で旧強姦罪の成立要件を緩和したもの
2016年の統計でも、検察庁が1年間に処理した刑法犯全体の1.5%、実に3871件が「時効完成」を理由とした不起訴だった。
性犯罪に限っても、強姦が39件、強姦致死傷が23件、集団強姦致死傷が16件、強制わいせつが91件、強制わいせつ致死傷が3件に上る。
なお、時効完成済みの事件が起訴されれば、裁判所は「免訴」という判決で手続を打ち切る。
これには、検察が時効完成をうっかり見過ごして起訴した場合だけでなく、時効未完成だと考える検察側と時効完成済みだと考える裁判所の見解に食い違いが生じた場合も含まれる。
例えば、殺人罪で起訴したものの、裁判所が被告人の殺意を否定し、傷害致死罪にとどまるとした上で既に時効が完成していると認定したようなケースだ。
【時効停止と実例】
ただ、次のような事実があれば、時効は進行を停止する。
(a) その事件について起訴した場合
共犯事件では、1人を起訴すれば共犯者全員の時効進行が停止する。
(b) 犯人が国外にいる場合
外国に逃亡した場合に限らず、一時的な海外旅行も含まれ、国外にいる期間分だけ時効進行が停止する。
(c) 犯人が逃げ隠れているため有効に起訴状謄本の送達や略式命令の告知ができなかった場合
(a)の後、もし被告人に起訴状謄本の送達などができなければ、裁判所が公訴棄却をし、再び時効が進行する。そこで、犯人が逃げ隠れている場合に限り、なお停止するとした。
(a)について注意すべきは、あくまで起訴が絶対不可欠であり、逮捕や勾留だけだと時効の進行が止まらないという点だ。
冒頭で挙げた強姦事件も、まず、警察は、時効完成まで27時間余りに迫った6月13日夜、遺留物のDNA型鑑定を決め手として、指名手配中の被疑者を容疑否認のまま逮捕した。
通常であれば、送検後、勾留の上、被疑者の取調べなどが進められ、起訴・不起訴が決せられる。
しかし、6月15日午前零時の時効まで残された時間はわずかであり、検察も14日夜に異例のスピード起訴に至った。
過去にも、時効寸前に起訴されたケースはいくつかある。
中でも、1982年に松山市で同僚のホステスを殺害し、金品を奪った後、整形手術までして各地を転々と逃亡した末、未解決事件に関するテレビ特番がきっかけとなって1997年に逮捕され、時効完成の11時間前に起訴されて無期懲役に処された事件が有名だ。
ただ、時効完成の1か月前である1998年に起訴された札幌男児失踪事件や、同じく時効完成の6時間前である2002年に起訴された佐賀北方町連続女性殺害事件など、証拠不足のため、裁判で無罪となったケースも見られる。
検挙まで時間を要しているのは、もともと真犯人に結びつく客観的な証拠が乏しく、自白頼りだったからであり、全面否認や黙秘によって供述が得られなければ、振り出しに戻るだけだからだ。
その結果、逮捕勾留に伴う身柄拘束の補償として、無罪判決が確定した元被告人に対し、前者では580万円、後者では928万円が国庫から支払われている。
【時効の撤廃や期間延長】
もっとも、科学捜査は日々進歩している。
真犯人が新たな罪を犯したり、逆に何らかの事件に巻き込まれることで、DNA型や指紋などの捜査情報を得られ、派生的に検挙に至る可能性もありうる。
時効寸前に逮捕勾留し、無理に起訴し、証拠不足で無罪判決が確定してしまえば、身柄を拘束した日数分の補償金を国庫から支払わなければならなくなる。
そればかりか、たとえ後になって新たな証拠が発見されたとしても、「何人も…既に無罪とされた行為については、刑事上の責任を問はれない」という憲法の規定があるから、二度と罪に問えなくなる。
そこで、捜査当局が期限を気にせず、じっくりと腰を据えて確実な捜査を行えるようにするためにも、時効を撤廃すべきだし、少なくとも時効期間を伸ばすべきではないか、といった話になるわけだ。
時効は処罰の必要性と時の経過に伴う法的安定性の調和を図るための制度だが、苦しみや悲しみを一生背負わされる被害者、遺族からすると、到底納得できないだろう。
こうした経緯から、2004年には、それまで15年だった殺人や強盗殺人などの時効期間が25年になるなど、時効期間が延長された。
ただ、改正前の事件には遡って適用しないとされており、中途半端なものだった。
そのため、2010年には、「逃げ得を許さず」という姿勢をより強く示すため、殺人や強盗殺人など凶悪犯罪の時効が撤廃されるとともに、他の犯罪の時効期間も軒並み2倍程度まで延長された。
その上で、殺人や強盗殺人などのほか、強制性交等致死、強制わいせつ致死、傷害致死、危険運転致死など、人を死亡させて禁錮以上の刑に当たる罪については、時効未完成の過去の事件にも遡って適用されることとなった。
これを受け、全国の警察本部には、時効が撤廃された未解決事件に関する専従捜査班が設置され、情報の収集や証拠の再鑑定などが行われている。
【性犯罪の時効撤廃論】
では、冒頭で挙げた事件のように、性犯罪でも人の死亡が伴わない場合はどうか。
法務省が実施した犯罪被害の実態調査では、被害者の多くが泣き寝入りをしている事実が明らかとなった。
幼少期の近親者による性被害の場合、訴え出ること自体が困難だ。
そこで、性犯罪の厳罰化が図られた2017年の刑法改正の際、時効撤廃や時効期間の延長のほか、被害者が成人するまで時効を停止することなどが議論されたものの、最終的には見送られた。
時が経つと、プラス・マイナスを問わず証拠が失われていき、関係者の記憶も薄れ、公正な裁判の実現が困難になることから、どこかで線を引く必要があるからだ。
また、捜査人員や捜査費用が限られる中、検挙率を上げるためにどの事件の捜査に重点を置くかとなった時、やはり手がかりが残っている可能性が最も高い直近の事案を選択すべきだろう。
【「ジョン・ドウ起訴」】
この点、アメリカのシステムが参考となる。
すなわち、アメリカの連邦法では、死刑に当たる犯罪には時効がない。
他方、それ以外には時効があり、特則がない限り、時効期間は5年とされている。
そこで、レイプや強制わいせつといった性的虐待に関する犯罪については、たとえ被疑者の氏名などその身元が特定できていなくても、現場の遺留物などのDNA型鑑定に基づき、特定のDNAプロファイルを持つ者を犯人として起訴することが認められている。
これにより、時効の進行が止まる。
デラウエア州やアーカンソー州などでは、性犯罪に限定せず、広くそうした取扱いを認めている。
わが国の「名無しの権兵衛」に当たる用語がアメリカだと「ジョン・ドウ」であることから、「ジョン・ドウ起訴」と呼ばれているやり方だ。
とりあえず時効を止めておきさえすれば、何年、何十年後であっても、再犯による逮捕などを契機として犯人のDNA型を採取でき、照合によって起訴済みの事件の被告人と同一だと分かれば、処罰が可能となる。
卑劣な犯人よ、ふるえて眠れ、というわけだ。(了)