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『ブラックペアン2』最後に見せたとんでもない「大逆転の悲劇」の意味

堀井憲一郎コラムニスト
(写真:Rodrigo Reyes Marin/アフロ)

『ブラックペアン2』の衝撃の終わり

(ドラマ『ブラックペアン2』のネタバレしています)

『ブラックペアン2』は衝撃的に終わった。

驚きの最後であった。

最終話は15分拡大版だった。

最初は公開手術のシーンから始まって、これは難しい手術である。

なにせ、あの、ダイレクトアナストモーシスを3カ所でおこなわなければならないという、大変な手術なのだ。

世界でたた一人しかできな手術

と書いてみても、実はよくわかっていない。

そういう人も多いとおもうのだが、「ダイレクトアナストモーシス」がどういう施術なのか、言葉だけは何度も聞いているし、毎週その手術もしっかり見ているはずなのだが、正直なところ内容はわかっておらず、とても申し訳ない。

とにかく大変な術式であり、世界でただ一人、このドラマの主人公・天城雪彦医師(二宮和也/シルバー髪)しか成功させられない手術ということだけがわかっている。

それ以外はわかっていない。申し訳ない。

ダイレクトアナストモーシスで何人もの患者を救う

シルバー髪の天城医師は、この技術で多くの人を救ってきた。

だいたい1話ごとに1人救っていく。それは天才医師がいたからこそ可能な施術であった。逆転の連続だった。

韓国の女性経営者(チェ・ジウ)、生活保護の老母(正司花江)、天城を訴えようとしていた医療訴訟の弁護士(花總まり)、敵対していた維新大の女性医師(瀧内公美)などなど、次々と治していった。

それぞれ、一筋縄ではいかない事情を抱えており、でも、それをいろんな手を使い、ときに悪辣に見えることもあるが、最後はしっかり人を救う医師であった。

言わば「悪い天才医師」の逆転の連続を見せられていたドラマである。

満足そうに見えない主人公

でも、主人公は満足そうには見えない。

手術は成功させて当然という態度を見せるからであり、何かどこか不満そうであった。

どうやら、それは最終話への伏線であったようだ。

彼は自分を(自分の生命力を)信じ切れなかったのだろう。

豪華な配役を不安定にするとドラマの魅力が増す

まわりの人間も、何を得ても、これでよし、ということがなさそうな人たちばかりであった。

佐伯医師(内野聖陽)や、「ジュノ」と小僧扱いされる世良医師(竹内涼真)、猫田看護師&医師(趣里)、菅井教授(段田安則)たちである。

なぜかみんな、途上の人、という気配しか出してこないのだ。

どこまでいっても何も満足しそうにない人たちの集まりという気配で満ちていた。

このぐらつきが、ドラマの魅力になっていたとおもう。

豪華俳優を不安定に配置すると、とても魅力的に見えてくる。

病院を去っても終わらない

最終話の大きな手術は成功する。

ただ、上司の佐伯の院長選敗北などあって、居場所がなくなり、主人公は去っていった。オーストラリアに戻ったようであった。

ふつうのドラマだったら、そこで終わる。

天才医師は去った。でも若者は成長していっている。

これで終わっていいんである。

衝撃的な結末

でも『ブラックペアン2』の終わりは衝撃であった。

天才天城が消えてしばらくして、弟子であった世良医師(竹内涼真)は彼から手紙(エアメイル)を受け取る。

「カジノの特別室まで ドン・キホーテを迎えにくるように 天城雪彦」

かつて出会ったオーストラリアのカジノのことを指している。

喜んで向かう世良。

そこで旧知の娘と父に迎えられる。

「天城先生はいつ来ますか?」

「世良先生、大切なことをお伝えしなければなりません……」

「天城先生は亡くなりました」

(娘と父の割りセリフになっていた)

二宮和也は主人公ではなかったのか?

世良医師はすぐには意味がわからない。

同時にドラマを見ているわれわれもただ驚く。混乱する。

すぐおもったのは、双子の渡海征司郎(二宮和也/黒髪)は、まだ生きてるんだよな、ということである。衝撃で、なんかバランスを取ろうとしたらしい。

ついで、このドラマの主人公は天城医師の二宮和也ではなく、世良医師の竹内涼真だったのかとおもってしまった。だから天城は死んで、世良がそれを聞いているのかと考えたのだ。

もちろん違う。

このドラマの主人公はシルバー二宮和也の天城医師である。メインは彼だ。

主人公の医師が最後に亡くなる大逆転

医師の主人公が最終話のラストで死ぬというドラマだった。

たしかにいままでそういうドラマもあった。田宮二郎や唐沢寿明や織田裕二。

でも珍しい。

いわば最後の最後にとんでもない大逆転があったのだ。

AIの技術発展によって医療が変わる風景

彼が死んだから、ダイレクトアナストモーシスがおこなえる医師が地上から消えたことになる。

ただ、それはAIの技術発展によって普通の医師でもできるように改善されていってるのだ、という近未来が描かれる。

天城医師の遺志も、その弟子である世良が「次の凄腕の天才医師」として継いでいきそうだ。

最後のシーンでは、天城が植えたソメイヨシノも満開の花をつけており、新しい病院も出来上がっていた。

双子の弟の渡海征司郎(二宮和也/黒髪)がその桜を見つつ、猫田(まったくブギウギしない趣里)から白衣を手渡され、それを着て病院に向かう。

そこからの遠景でドラマは終わる。

人は死んでも受け継がれていく

主人公が死んでも、彼の意志は継がれている。

人の営みは途切れることがない。

そういうことを訴えて終わっているように見える。

それがテーマだとおもうこともできる。

天城医師の最後のセリフは「いやだなあ」

でも、私はそれがドラマがもっとも伝えたいことには見えなかった。

受けたメッセージは逆だ。

人は死ぬ。

天才医師であろうと、突然、海岸で倒れて心臓が止まって、死ぬ。

そのメッセージしか伝わってこない。

死の衝撃があまりに大きすぎるからだ。

ラストシーンより前、桜の苗木を植えたあと、天城がこぼした言葉は「いやだなあ」であった。

生前のリアルタイムなセリフはこれが最後であった。

やはり、死ぬのは、であろうか。

桜の花言葉「私を忘れないで」

ラストシーンの一連で、世良医師(竹内涼真)のオペを受ける患者が運ばれるとき、天城(シルバーの二宮和也)が触れていた絵画のタイトルが映される。

「私を忘れないで」

フランス語で桜の花言葉である、との説明もある。

これがドラマのメインテーマだったとはおもわない。

でも大きなメッセージだ。

10話を通して最後にこの言葉ととても明るい絵を見ていると、とても心に残る。

天才医師も死ぬ

天才医師も死ぬときは死ぬ。

そして、ひょっとしたら、私を忘れないで、とおもっていた可能性がある(本当のところは誰もわからないが)と、ただ、想像してしまう。

その想像を(想像の余地を)持ってもらうことがねらいだったのかもしれない。

喪失感を強く抱かせるドラマ

ドラマを見終わり、強い喪失感に包まれる。

未来を見せられても、いなくなった衝撃のほうが大きい。

ここまで喪失感を抱かせる日曜劇場ドラマも珍しい。

喪失感だけ強く抱かせるドラマがあっても、それはそれでいい。

最後の最後に、いろんなものをぶっ込んできたドラマだったなと、その衝撃だけが残っている。

コラムニスト

1958年生まれ。京都市出身。1984年早稲田大学卒業後より文筆業に入る。落語、ディズニーランド、テレビ番組などのポップカルチャーから社会現象の分析を行う。著書に、1970年代の世相と現代のつながりを解く『1971年の悪霊』(2019年)、日本のクリスマスの詳細な歴史『愛と狂瀾のメリークリスマス』(2017年)、落語や江戸風俗について『落語の国からのぞいてみれば』(2009年)、『落語論』(2009年)、いろんな疑問を徹底的に調べた『ホリイのずんずん調査 誰も調べなかった100の謎』(2013年)、ディズニーランドカルチャーに関して『恋するディズニー、別れるディズニー』(2017年)など。

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