仙台藩の伝統的な門松を知っていますか? 巨大で豪壮な仙台門松、復活の動き
コロナ禍で2度目となる2022年の正月は、少しずつ日常を取り戻し、オミクロン株を警戒しながらも、初詣や初売など正月らしい行事を取り戻せた年明けとなった(その後、感染者が増えてしまったが……)。特に仙台では伝統的な門松復活の動きが広がり、注目を集めている。
上の写真を見ていただきたい。門松というと、斜めに切った三本の竹を立て、周囲に若松を配し、下部を藁や竹で巻く形が一般的だが、実は仙台の伝統的な門松は様相が異なっていた。
人の背丈を超える巨大な門松
元仙台市史編さん室長で、郷土史家の菅野正道さんは、著書『せんだい歴史の窓』(河北選書)の中で、「仙台近辺の伝統的な門松は、栗の木の柱を二本立てて、松や笹竹を添え、柱の根元には『鬼打木(おにうちぎ)』と呼ばれる割り板を何枚か巻き、二本の柱の間に昆布や柚子・柿・炭などを用いた正月飾りを渡すというものだった。笹竹は、正月飾りとともに柱の間に渡される場合もあった」と記している。
文章だとなかなか伝わり難いので、江戸時代に描かれた上の絵をご覧いただきたい。まず心柱(しんばしら)と呼ばれる柱が二本ある。支えるのは鬼打木と呼ばれる土台。心柱に取り付ける松は、三階松(枝葉が三層になった松)が多く、人の背丈を容易に超える高さだ。文献によれば、仙台城に飾られた門松は、五階松を使い、高さ3~4mの規模を誇っていたという。松の上方には枝葉がついた笹竹が取り付けられる。しめ飾りは「ケンダイ」と呼ばれ、藁で作ったしめ飾りを交差。そこに紙で作った梵天状の飾りを付け、炭や昆布、かんきつ類などを添える。
こうして書いていても世間一般に知られている門松とは全く異なるものであり、全国的にも珍しいスタイルと言えるのがお分かりいただけるだろうか。だが近代になり、材料の入手困難さなどが原因で、仙台藩特有の門松は次第に減りはじめ、戦後にはほとんど失われてしまっていた。
被災した資料を救出する活動で見つかった伝統門松
菅野さんの紹介文に触発されて、仙台市秋保温泉の『伝承千年の宿 佐勘』で復元・展示が行われるようになるが、この門松の復元が注目を浴びるようになるのは、東日本大震災が大きな契機になっている。仙台市博物館は、被災した地域の歴史資料や文化財を救出し、応急処置や一時保管などを行う資料レスキュー活動を実施、その際仙台城に門松の材料を献上していた仙台市北部の根白石地区の旧家に藩政時代の伝統的な門松やしめ飾りを飾る習慣があることを知り、復元に向けて動きだす。さらに2012年度から、仙台市内の歴史系ミュージアムが連携し(歴ネット)、せんだいメディアテーク、瑞鳳殿、地底の森ミュージアム、史跡陸奥国分寺・尼寺跡ガイダンス施設、仙台文学館、仙台市縄文の森広場、仙台市歴史民俗資料館などの施設で、伝統的な門松が復元・展示されるようになり、徐々に市民に知られていった。(このあたりの経緯は、前述した菅野正道さんの「震災をきっかけに進んだ仙台藩の伝統的な『松』の門松復元」が詳しい)。
市内の民間施設で広がる設置の動き
さらに民間でも「仙台門松を市内に飾ろうプロジェクト」がスタートする。発起人である一般社団法人心のふるさと創生会議理事長の田中克人さんは、「以前から仙台は城下町の香りがしない街だと思っていました。藩祖伊達政宗公の偉大さを市民のみなさんにより身近に感じてもらうためにも、毎年仙台伝統門松を飾り、歴史に触れる機会を増やしたいと考えています」と語る。
2019年度からスタートしたこの活動には、徐々に協力する企業や団体が増え、2022年には、青葉神社、菓匠三全 広瀬通り大町本店、ホテルメトロポリタン仙台『日本料理 はや瀬』、第三志ら梅ビル入口、東北福祉大学 国見本校正門内、仙台うみの杜水族館、鐘崎 笹かま館入口、八幡の杜館前、秋保・里センター入口、東北福祉大学仙台駅東口キャンパス西側(高惣木工ビル)、きものゝ老舗にしむら、三井ガーデンホテル仙台が参加、12基を設置するまでになった。
「古文書には、根白石村の農家から『仙台門松』用に資材42組が仙台城に献上されたとありますので、最終的には42箇所設置するのが目標です」と田中さんは意気込む。設置の期限は場所によって異なるが、どんと祭(1月14日)までを区切りにするところが多く、1月末まで展示している施設もある(仙台文学館は2月中旬まで)。仙台市内に限らず、丸森や名取、一関などでも復元・展示が行われ、じわじわと広がりを見せている今、ぜひこの仙台藩の伝統的門松をリアルに感じてほしい。地域の文化を再発見し、歴史を知ることで、仙台がより素敵な街に変わっていくのではないかと思う。設置各施設の詳細は、下記を参照されたい。