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拷問は正当化されるかをあなたに問う番組 -英チャンネル4のドラマ「Complicit」(共謀)

小林恭子ジャーナリスト
英チャンネル4のドラマ「Complicit」(共謀)のウェブサイトより

今月17日、「もう1つの視点」を出すことを特徴とする英チャンネル4が、「Complicit(コンプリシット)」(共謀)と題するドラマを放映した。 

英国内でのみ視聴できるドラマなのだけれども、いつか日本で放映されることを願い、内容を紹介してみたい。

テロネットワーク、アルカイダの首謀者オサマ・ビンラディンの捕獲・殺害までを、CIA局員の視点でドラマ化した米映画「ゼロ・ダーク・サーティ」が今日本で公開中だが、「コンプリシット」は、英テレビ界の「ゼロ・ダーク・サーティ」とも言われている。

テロを防ぐために、拷問を使ってよいのかどうかを観客に問いかけるという部分で、似ているのだ。

プロデューサーによれば、ドラマはもともと、ゴードン・ブラウン前英首相が「英国はテロ容疑者に拷問を行わない」と発言したことが発案のヒントになったという。「現実には拷問を行っているのではないか、直接には手を下していなくても、拷問が行われている国に容疑者を運び、拷問で得られた情報を使っているという意味では、英国は『共謀者』なのではないか」と、感じたという(番組のウェブサイト上のインタビューより)。

ドラマの主人公は、国内の諜報活動に従事するMI5に勤める、黒人の若い男性エドワード。毎日の地道な情報収集作業の後で、アジア系英国人ワリードが、猛毒リシンを使ってテロ攻撃をする可能性を察知する。

ワリードが中東に出かけ、リシンの手配をすることを知ったエドワードは、上司にワリードを追跡する手配を頼む。

ワリードはエジプト・カイロで拘束され、エドワードもカイロに入る。十分な情報を握っていることで自信を持っていたエドワードは、現地でワリードを尋問するが、ワリードはなかなか口を開かない。

リシン・テロ計画についての確固とした証拠が取れないまま、ある日、エドワードは、2日前に既にリシンが入った容器が英国に渡ったことを知る。

上司や同僚からの支援は少なく、カイロの英国大使館員も官僚主義が強く、思うようにことが運ばない。何とかしてリシン・テロの英国での発生を防ごうと必死のエドワード。自らが拷問を手がけるというエジプトの治安担当者に連絡を取り、ワリードからテロの攻撃地についての住所を聞き出すべきか、それとも、非合法な手段は一切使わずに、テロが起きるのを座して待つべきかという選択を迫られる。

このテレビ・ドラマの見所の1つは、諜報活動が、ジェームズ・ボンドの映画のような、スタントがいっぱいの派手な行為ではないことを見せていることだろう。

机がずらりと並ぶ広い部屋で、黙々とコンピューターの前に座って作業を続けるMI5のスタッフ。無機質な廊下にはドアが複数あり、エレベーターが上下する。その冷ややかさに、ちょっとぞっとする。

エドワードを演じる黒人俳優のデヴィッド・オイェロウォ。大きな瞳が非常に印象的だ。目で語る・・という感じである。

MI5のオフィスは冷たい感じだが、テロリスト予備軍の電子メールの記録を画面で見ながら、鉛筆でノートに書き留めてゆくエドワードは、パートナーとの間に子供がいて、時には同僚の女性と一晩の冒険を楽しむこともある、一人の生身の人間だ。

黒人であるがゆえに、昇進が遅いのではないか、自分の分析に十分に信頼が置かれていないのではないか、と気にしたりする。

圧巻は、テロについて口をつぐむワリードと、真実を解き明かそうとするエドワードの対決場面だ。ワリードを演じるのは、聖戦のためにテロを行おうとする英国の地方都市の若者たちを描いた映画「フォー・ライオンズ」にも出演した、アーシャー・アリ。

ワリードとエドワードがぶつかるのは取調室の中だ。カイロで拘束され、警察の管理下に置かれているワリードが、手錠をつけられた格好で取調室に連れられてくる。護衛の警察官が外に出て、2人だけの勝負になる。

どうやってワリードにリシン・テロのことを話させるのか?

「何も知らない」と言い張るワリードに、エドワードは次第に怒りを募らせる。「お前は英国で生まれ、学校に行かせてもらい、機会を与えられたはずだ。なぜ、英国を攻撃したいんだ?」、「なぜ俺たち(非イスラム教徒)をそんなに憎むんだ?」と、エドワードがワリードに聞く。

「どこから説明したらいいかだよ(=いっぱいありすぎて話せない)」と言い返すワリード。「(英国を)平和な国にしたいからだよ」と言う場面も。

ワリードはエドワードに「ニガー(黒人)」という言葉を放ち、エドワードは我を忘れて、ワリードに飛び掛る。

ワリードは、英国人としての権利を主張し、「ノーコメント」を最後に繰り返す。

2人の対決場面の緊張感は、まるでドキュメンタリーのようでもあり、芝居の1場面のようでもあった。

「なぜ、英国を攻撃したいんだ?」、「なぜ俺たち(非イスラム教徒)をそんなに憎むんだ?」―英国に住む、少なからぬ人数の人が思っていることでもある。

自分の隣人、友人、知人、あるいは家族や親戚かもしれないが、そのうちの誰かが、「テロリスト」になって、2005年7月7日のロンドン・テロのようなことが起きるかもしれないー英国に住んでいるとそんな思いが心のどこかにある。

別に、毎日びくびくして生活しているわけではない。ただ、いろいろな人種の人がいて、いろいろな宗教を信じたり、政治的信条を持っている人が同じ社会の中にいる、これが現実だということ。

21日には、英中部バーミンガム出身の男性3人が、テロ容疑で有罪という判決が出た。もし実行されていれば、7・7ロンドン・テロ以上の被害が出ていたかもしれない、という。

バーミンガムのケースのように実際に有罪までいくことは多くはないが、イスラム教徒の若い男性で、警察にテロリスト予備軍として逮捕されること自体は珍しくない。

あるいは、このテレビドラマのように、実際にテロ計画に参画していたのかもしれない人が、後で、不当な取調べであったとメディアの前で訴え、そのことで、「自分はテロには一切関係していなかった」というイメージを作ってしまう場合もあるだろう(ドラマは、ワリードが本当にテロに関連していたかどうかを明示していない)。

拷問は非人間的だ、拷問を使った尋問からは真実が得られないという理由で、拷問を否定するのはいいが(私のように)、その一方では、この映画のエドワードのように、テロから市民の命を守るために、二者択一の選択肢を迫られる人もいる。現実は白か黒かでは割り切れない。

そんなもろもろの事情を、抑えたトーンで(エドワードとワリードの数回の対決の場面は違うが)このドラマは描く。

エドワードの「大きな瞳」のことを書いたが、映画の中で、エドワードはよく、自分の周囲のものや風景などを、じっと見ている。ややぼうっとしながら、眺めている。ドラマの展開の間に、こういう、「ぼうっと眺める」場面がよく挿入されるので、展開がややゆっくりする。

監督ニール・マコーミックによると、これはわざとなのだそうだ。一つ一つの出来事を、視聴者がきちんと咀嚼するよう、故意に時間をあけてあるのだという。だから心に染み入るように感じたのだなあと思った。

最後に、エドワードの視線が、ある方向に向かう。ここにも深い意味がありそうだ。

脚本が映画作家でもあるガイ・ヒバート。プロデューサーから企画をもらったあと、主人公には黒人を設定しようと思い、オイェロウォを想定して書いたという。

日本の放送局が買ってくれるといいのだがー。

ジャーナリスト

英国を中心に欧州各国の社会・経済・政治事情を執筆。最新刊『なぜBBCだけが伝えられるのか 民意、戦争、王室からジャニーズまで』(光文社新書)、既刊中公新書ラクレ『英国公文書の世界史 -一次資料の宝石箱』。本連載「英国メディアを読み解く」(「英国ニュースダイジェスト」)、「欧州事情」(「メディア展望」)、「最新メディア事情」(「GALAC])ほか多数。著書『フィナンシャル・タイムズの実力』(洋泉社)、『英国メディア史』(中央公論新社)、『日本人が知らないウィキリークス』(洋泉社)、共訳書『チャーチル・ファクター』(プレジデント社)。

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