大阪地検トップの性暴力と副検事の妨害で絶望 女性検事が6年間の苦痛を記者会見で吐露(全文、後半)
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https://news.yahoo.co.jp/expert/articles/35544b1da63e850583c71ec6f7f437afb90d8b91
上司と私的な付き合いはしていない
次に、事件の真相を知っていただくためにお話ししたいと思います。公判でお話を聞いていただいた方には、ある程度ご理解いただけていると思いますが、聞かれていない方もいらっしゃると思いますので、再度お話しさせていただきます。
被告人は本件当時、59歳で既婚者でした。平成29年には最高検察庁の監察指導部長や刑事部長を歴任し、平成30年2月に大阪地検検事正に就任しています。一方で、私は既婚者であり、夫と子どもがいます。私は検事になって間もない頃、被告人の部下として直接指導を受けて職務に従事していた時期がありました。当時は被告人に対して尊敬の念を持っていましたが、以後は勤務場所が異なることもあり、次第に疎遠になっていました。
被告人と私は業務以外で個人的に2人で会ったことはなく、私的な付き合いもありませんでした。また、私が被告人と私的な懇親会に参加したのは数回程度です。捜査中、被告人は「30回以上飲んでいた」と証言していましたが、それは虚偽で、実際には数回程度しかありません。私は被告人に対して恋愛感情を持ったことはなく、被告人から恋愛感情を示されたこともありませんでした。
次に、本件当日の懇親会開催の経緯について説明します。本件当時、被告人は大阪地検の検事正であり、私は大阪地検に勤務していました。性犯罪事件や虐待事件など、多数の事件を担当しており、非常に多忙な中、被告人の大阪地検検事正就任を祝うため、懇親会を開くことにしました。しかし、私は当時、仕事に加え子育てに追われ、懇親会に行く余裕もないほど忙しい状況でした。トイレに行く時間さえ我慢し、昼食を取らずに業務をこなす日々で、夜も子供の迎えがない日は残業をし、土日も仕事をしていました。
そのため、懇親会に参加する時間はほとんどありませんでしたが、どうしても行きたい会や警察関係者との打ち上げなど、特に重要な飲み会には参加していました。被告人の就任祝いの飲み会は私の中で優先順位が低く、4月から8月の間に機会はあったものの、私の優先する飲み会を優先した結果、被告人の飲み会は後回しになってしまいました。
その後、9月に入って少し業務が落ち着いた時期があり、そこで被告人に「今なら飲み会を開けますか」と尋ね、被告人も承諾しました。当時、被告人は頻繁に飲み歩いていたようで、参加者の選定は私に任されました。そこで、私と親しくしていた後輩の検事や、かつて被告人の秘書を務めていた検察事務官2名を誘い、平成30年9月12日に被告人を招いた懇親会を開くことが決まりました。
就任祝いの懇親会で泥酔状態に
その懇親会に参加していた検察事務官のうちの1人が、先ほど述べた女性副検事です。本件当日の懇親会において、私が泥酔してしまい、被告人がその状態を認識し、私に対して性的行為を行った経緯についてご説明します。
当日は午後6時頃、大阪市内の飲食店に集まり、懇親会が開かれました。座席は1つのテーブルに3人ずつ向かい合って座り、被告人と私はテーブルを挟んで向かい合って座っていました。懇親会では、後輩の検事が手品を披露したり、たわいもない話をしながら和やかに過ごしていました。途中で私が担当していた刑事事件に関して、上司の決裁に関する問題点を被告人に指摘しましたが、被告人は耳を傾けず私を叱責し、その場の雰囲気が悪くなる一幕もありました。私がはっきり覚えているのは、このことだけです。
当時、私は育児や仕事に追われており、普段は週末にアルコール度数の低いチューハイを1〜2本飲む程度で、あまりお酒に強い方ではありませんでした。しかし、懇親会では被告人が注文した焼酎を水割りにして皆に振る舞っており、その水割りを作っていた職員が不慣れだったため、焼酎がかなり濃くなっていたこともあり、普段飲み慣れない焼酎の水割りを飲んだ私は、あっという間に酔いが回りました。
午後6時から10時半まで、約4時間半も飲み続けていたため、私は次第に泥酔状態となり、懇親会終了直前には、席で突っ伏し、顔が赤くなり、まるで意識がもうろうとしているような状態になっていました。この時点で、私は既に記憶がなく、後で同僚が話してくれたところによると、泥酔状態で自分の名前さえまともに書けないほどの署名をして会計を行ったとのことです。
その後、同僚たちは私が泥酔状態であることを心配し、一人で帰宅させるのは危険だと考え、私をタクシーに乗せて帰宅させることにしました。通りかかったタクシーを呼び止め、私は後部座席に乗せられましたが、その際、私は「一人で帰れます」と口にしていたようです。しかし、その実、目はうつろで、まるで今にも意識を失いそうな状態だったといいます。
気づいた時には性行為をされていて恐怖と絶望
同僚たちは被告人が乗る別のタクシーも呼び止めようとしていましたが、被告人は泥酔状態の私を見て、私が飲酒で判断能力を失っていることを認識しながら、私と性的行為を行おうと考え、後部座席の運転席側に私を押し込むようにして自らも後部座席に乗り込みました。そのまま被告人の指示でタクシーを発進させ、彼の自宅まで私を連れ込みました。
私の記憶は、懇親会の途中から被告人に性的行為をされているところまで完全に途切れています。性的行為の途中で意識が戻りましたが、それまでは全く記憶がありません。ですので、今お話ししているのは、当時同僚たちが教えてくれた内容に基づいています。
この性被害の状況についてお話しするのは非常に辛いですが、私だけでなく、被害を受けた人に話を聞く際には、再度その被害を追体験する苦しみが伴うことを理解していただきたいです。検察官やその他の捜査機関が被害者の話を聞く際には、この点に配慮が必要だと強く思っています。
被告人は、泥酔して判断能力を失った私の服や下着を脱がせ、全裸にした上で私に覆いかぶさり、避妊具も使用せずに性的行為を行いました。私は飲酒による酩酊状態で眠っていましたが、徐々に意識が戻った時点で、見知らぬ場所で全裸で寝かされ、被告人に性的行為をされているという状況に直面し、強い恐怖と絶望を感じました。
帰りたいと懇願したが無視され「これでお前も俺の女だ」
このような状況にあって、私は物理的にも心理的にも抵抗することができず、ただ一刻も早くこの行為が終わることを祈るしかありませんでした。恐怖の中で、夫が心配しているから帰りたいと懇願しましたが、被告人はそれを無視し、「これでお前も俺の女だ」などと言い、行為を続けました。
被告人が一旦行為を中断した際、私は逃げようと試みました。下着を手に取り身につけたものの、酩酊状態で立つことも難しく、逃げることができませんでした。そこで「気持ちが悪いので水を飲みたい」と言って水を求めました。被告人は私を台所に連れて行き、水道水を飲ませましたが、その後再び下着を脱がされ、布団に連れ戻されて再び性的行為を受けました。
私は帰宅できると思っていたのに、再び被告人に性的行為を強要されました。この間も「家に帰りたい」「家族が心配している」と繰り返し訴えましたが、被告人は無視し、自らが疲れるまで行為を続けました。そして9月13日の午前2時頃、ようやく被告人の家を出て帰宅しました。
検察庁のトップから受けた性被害の影響力は絶大であり、検察庁の職員に相談することもできず、検察庁の職員ではない唯一の友人である警察官Dさんに連絡しようとしましたが、連絡がつかず、泣きながら帰宅しました。夫には知らせたくないという気持ちもありました。夫は優しい人で、私が検事の仕事に追われる中、家事や育児を手伝ってくれ、私の仕事を応援してくれていたため、このような被害を打ち明けることはできませんでした。
3時間の被害で体が痛み、混乱と怒り、悲しみ
帰宅してから、私は汚された自分の体を何度も洗い流しました。約3時間にわたる被害で体が痛み、特に子宮の辺りがひどく痛みました。子供を抱きしめながら泣き寝入りし、その夜はまともに眠ることができませんでした。翌朝、改めて警察官のDさんに連絡をし、泣きながら被害を打ち明けました。2日酔いがひどかったため、午前中に休暇を取り、昼前にようやく出勤しました。
懇親会の途中以降の記憶が曖昧で、なぜこんなことになったのかわからず、同僚のC君に懇親会での様子を尋ねました。C君は、懇親会での状況について私に教えてくれ、その話を聞いてようやく自分が被害に至る経緯を理解することができました。検事という立場にあった被告人が、泥酔していた部下を自宅に送り届けることもなく、自分の家に連れ込んで性的行為を強要したという事実を知り、私は混乱し、怒りと悲しみに襲われました。
一方で、私は泥酔してしまった自分を責める気持ちが強く、被害を夫や検察庁の職員に知られて家庭や職を失いたくないと考えました。また、検察幹部として優秀で人望もあるとされる被告人を辞職させることが、検察組織全体に悪影響を与えるかもしれないと考え、ますます全てを忘れたいと思うようになりました。
上司は謝罪したが真摯な反省はなし
私はこれらの胸の内を被告人に直接伝えたり、メールで伝えたりしました。被告人は、私が被害を受けたことに対し謝罪の言葉を述べ、「警察に突き出してほしい」とも言いましたが、それは表面的なもので、真摯な反省は感じられませんでした。被告人は、私が自己を責めている心理状態をよく理解しており、その状態に安堵している様子さえ感じられました。
私は被告人に、「もう放っておいてほしい」と伝え、仕事に没頭することで何とか自分を支えていましたが、やがてPTSDの症状が悪化し、頭痛や胸の痛み、不眠、フラッシュバックなどが頻発するようになり、心身ともに衰弱していきました。さらに、正犯罪事件の決裁を受けるために被告人と接点を持たざるを得ず、被告人は私が嫌がっているにもかかわらず決裁の際にドアを閉め、私と二人きりの状況を作り、私の様子を窺い、私が被害を訴えないことを確認するかのような行動を取っていました。
次第に、被告人が重大な罪を犯したにもかかわらず、何事もなかったかのように検事の職にとどまっていることに対して、怒りが抑えられなくなりました。令和元年6月、被告人に呼び出され、「そろそろ退職しようと思うけれど、退職しても訴えないか」と言われました。この日は病気休暇明け初日で体調も優れなかったため、被告人の自分勝手な態度に対する怒りがさらに募りました。
そこで私は被告人に、絶望や苦しみを訴え、「罪を犯した被告人はすぐに辞職すべきだ」と求めましたが、被告人は「死にたい」などと言い、自己保身しか考えていない様子でした。加害者が被害者に対して「死にたい」などという言葉を使うことは脅迫に等しく、私は一人で抱えきれなくなり、信頼していた友人であるEさんに連絡し、泣きながら被害を訴え、証拠を保全するために被告人とのメールのやり取りを転送しました。
「検察組織を守るため秘密にしてほしい」
その後、被告人が辞職の時期を決めた際、「会いたい」とメールを送ってきたので、私は何度も拒否しましたが、被告人はしつこく会おうとしていました。その際、被告人が「酔っていて何も覚えていない」という主張が虚偽であると確信したため、メールで当時の認識や泥酔した部下に対する行為についての説明を求めました。被告人は回答を直筆で書き、「この被害が表に出れば私は生きていられない」と脅迫めいたことを記し、検察組織の批判を避けるためにこの件を胸に秘めてほしいと訴えてきました。
被告人は、「以前からあなたのことが好きだった」「性的行為を行ったのはあなたの同意があると誤解していた」などと弁解し、さらに、これまでにも複数の女性と性的関係を持ったことがあると告白しました。私は、このように性的な道徳心の欠片もない人間が検事正を務めていたことに絶望し、強い怒りを抑えきれず、夫に被害を打ち明けました。そして、当時の状況を確認するためにCさんにも事情を話しました。
検察庁が批判されることを恐れて被害申告できず
私は、自分の被害が公になった場合、検察庁全体が誹謗中傷の対象になるのではないかと考え、検察組織に迷惑をかけたくないという思いから、なかなか被害申告に踏み切ることができませんでした。しかし、被告人が辞職後も、私が知り得ないところで検察庁の職員と飲み歩いたり、影響力を保ち続けていることを知り、ますます被害の苦しみを押し込めるしかありませんでした。
私は、それでも性被害事件や虐待事件の被害者に寄り添い、彼らの被害を少しでも軽減するために全力を尽くし、事件の余罪を掘り起こして加害者を訴追することで、被害者が少しでも安心して暮らせるようにと努めました。そうして懸命に働き続けることで、自分が声を上げたことが無駄ではなかったと信じ、自分も生きていけると感じていました。私にとって、被害者を支え、犯罪者を適正に処罰することは自らの信念であり、職務でもありました。
検察庁で影響力を持ち続けると被害者が増えると考え決断
最終的に、被告人の処罰を求めるために被害申告に至ったのは、被告人が「黙っていれば喜んで死ぬ」などと発言していたにもかかわらず、辞職後も弁護士としての活動を続け、検察庁職員と頻繁に接触していることを知ったからです。私は、被告人が検察庁での地位や影響力を活かしてさらに被害者を増やし続けることを恐れ、自分が泣き寝入りせずに声を上げることが、他の被害者を守るための一歩になると信じて、勇気を振り絞って被害申告を行いました。
被告人は辞職時に、「一身上の都合による退官」として事件のことを伏せ、多額の退職金を受け取り、弁護士として活動を始めました。その後も多くの検察職員が集まる場で盛大に退官記念パーティーを開き、現役の検察職員たちと飲み歩いていると聞き、私は深い絶望と怒りを感じました。私は、被告人の退職後もさらに苦しみに蓋をして同様に苦しむ被害者を一人でも救うため、力を尽くしてきました。
自分が担当する性被害や虐待事件の被害者に寄り添い、彼らと共に泣き、余罪を掘り起こし、加害者を厳正に起訴し続けることで、被害者の方々が安全に暮らせる時間を少しでも確保し、彼らが回復する手助けをしてきました。私自身も、被害者を救うことで自分も生きていけると思い、仕事に没頭していました。私にとって、被害者と寄り添い、犯罪者を適正に処罰することは、自分の信念であり、職務に対する責任でもありました。
多くの検事や警察官も同じ思いで仕事に取り組んでいると思います。しかし、残念ながら、そうではない人も少なからず存在します。客観的な証拠が乏しい事件では、証拠が不十分だと判断して不起訴にしてしまう検事もおり、被害者が声を上げても寄り添わない人もいるのが現状です。私は、検察庁や警察でこれまで培ってきた経験や知識を共有し、一人でも多くの被害者を救いたいと考え、活動を続けてきました。
それでも、被告人が私の存在を無視し、自分が犯した罪をまるで無かったかのように振る舞い続けたため、私の怒りや自己嫌悪が強まり、症状がさらに悪化しました。そして昨年の12月、病院でPTSDと診断され、仕事を続けるのは難しいと言われましたが、1月から2月にかけて力を入れていた事件を最後までやり遂げ、3月と4月に被告人の処罰を求めるための被害申告を行いました。
検察組織は加害者を適正に捜査・処罰する体制の確立を
今回の被害申告に至るまでの経緯を皆様にお話しすることで、性被害の実態やその過酷な状況について理解していただき、私のように被害を受けながらも声を上げられない方々が少しでも救われることを望んでいます。そして、検察組織が被害者に寄り添い、適切な捜査を行い、加害者を適正に処罰する体制が確立されることを強く求めています。
最後になりますが、この場を借りて、私を支えてくださったすべての方々に心より感謝を申し上げます。家族、友人、同僚、そして医療関係者の皆様に支えられて、私は今日こうしてここに立つことができました。本当にありがとうございます。今後も、性被害者のために、そして性犯罪が根絶される社会の実現のために、自分ができることを続けていきたいと思っています。
私の話が少しでも皆様の心に届き、性被害者が孤立することなく支援を受けられる社会が築かれることを切に願っています。本日は、お忙しい中お集まりいただき、本当にありがとうございました。
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■全文書き起こしをした女性検事の会見動画
https://www.youtube.com/watch?v=Ye_vmJAfpD4
■村上康聡弁護士による解説(日本リスクマネジャー&コンサルタント協会提供「リスクマネジメント・ジャーナル」)
「大阪地検トップの性加害、検察組織は徹底追及できるか」