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「メジャー流出とCSは〇、引退試合と作られる記録は×」平成プロ野球〇と× その2

豊浦彰太郎Baseball Writer
「名球会入り」のため?2000本安打へのこだわりが高まったのも平成の傾向だ(写真:YUTAKA/アフロスポーツ)

「平成プロ野球の〇と×」前回は単発的な出来事を取り上げた。今回は、平成の30年間の球界の変化や傾向を取り上げたい。

〇 関東・関西集中から全国分散へ セ・パ格差解消

昭和の一時期、パ・リーグなどは大袈裟に言えば、東京圏と大阪圏だけでやっていた。大マーケットにフォーカスしていたとも言えるが、結果的にどこも閑古鳥だった。ダイエー/ソフトバンクは、かつては野球にソッポを向いたマーケット(福岡)も復活できることを、日本ハムは北海道でも東京よりもお客を呼べることを証明した。DeNAになってからのハマスタの大入りぶりは、横浜のような大市場でも何もしなければ客足は遠のくことを逆説的に教えてくれた。プロ野球は企業スポーツから地域スポーツへ。この転換は、セ・パの格差も解消した。

〇 選手のメジャー流出

張本勲は嘆いているが、スターが続々とメジャーに流出した現実は、NPBの衰退を招かなかった。「抜けた穴」を次なるスターが埋め、それに憧れ若手がしのぎを削る。停滞を許さない構造が、発展のサイクルをもたらした。やはり川は流れ続けねばならないのだ。

〇 投手分業の浸透

先発完投という理想像が崩壊したのも平成での大きな変化だ。一般的には「ミスター完投」の斎藤雅樹を最期の先発完投型エースとする向きもあるが、個人的には平成6年限りで野茂英雄がNPBを去ったのを先発完投時代の終焉と位置付けている。なにせ、野茂はとんでもない完投の鬼?で、日本での5年間で完投数は80もあり、勝利数(78)を上回っていたのだ。2年目の平成3年はなんとシーズン22完投で、「最後の20完投投手」だ。完投時代が終わると中継ぎ投手にもスポットライトが当たるようになった。阪神の「JFK(ジェフ・ウィリアムズ、藤川球児、久保田智之)」などはその典型だろう。江川卓が「100球肩」と揶揄された昭和後期は遠くなりにけり。

〇 日本シリーズを失墜させたが公式戦を盛り上げたCS

負け越している球団がポストシーズンに進出するのはよくあることで、平成22年のロッテのように、3位の球団が日本シリーズを制することもある。日本シリーズの権威は失墜した。しかし、これにより最後の最後までレギュラーシーズンの灯が消えにくくなったのも事実。ポストシーズンは、それ自体のため以上に、公式戦への関心をつなぎとめるためにあるのだと思う。そう考えると、現在のクライマックスシリーズ制度は問題なしとはしないが、不可欠なものだと思う。

× アメリカを20年遅れで追う球場トレンド

平成元年の前年の昭和63年にオープンした東京ドームは、メジャー級の「両翼100m」を実現した。それまで90mがスタンダードだった日本の球場はこれを機に「100m」時代に突入した。それ自体は歓迎すべきだが、同時にドーム化も進みプロ野球は半ば屋内娯楽になってしまった。雨の多い日本では屋根は必要という考えは否定しないが、芝生の甘い薫りやカクテル光線を浴び夜空に舞うホームランボールという情緒も失ってしまった。アイドルタレントのツアーと併用で稼働効率重視一辺倒だった球場のトレンドも、平成後半は転換期を迎えた。平成17年に参入した楽天はボールパーク化構想を打ち出し、古びた宮城県営球場に次々とリノベーションを加えた。平成21年オープンのマツダ・スタジアムは内野にも芝生を敷き詰めたメジャースタイルで、その後のチームの躍進もあり、今や最もチケットの取りにくい球場になった。その他の球場も、老若男女が楽しめるボールパーク化を進めている。それはそれで結構だが、アメリカの流行を20年遅れでトレースしていることも事実だ。

小さな〇と大きめの×  いびつなFA制度

ないよりマシか、という程度。導入の経緯が、選手達が戦って勝ち取った部分が半分、特定の球団がゴッソリ持っていくために出来た部分が半分だからだろう。「宣言」という踏み絵があるのも×。金銭補償や人的補償も活性化の足かせになっている。巨人が爆買いすることが槍玉に上がりがちだが、それに対抗する球団が出て来ないのも同じくらい残念。

× 野球中継が地上波から消えた

これは野球界というよりメディアそのものの変化だ。野球放送は見たい人が主体的にチョイスする時代になった。それ自体は当然だが、ファン層をより狭くより深く変化させているのも間違いない。昭和の時代は、夜帰宅してテレビを点けたらプロ野球をやっている、それがユルいファンを数多く生み出し、彼らが人気を支えていたのだが。

× 安っぽい引退試合花盛り

毎年恒例の終盤の茶番。敗退行為が公然と行われている異常。去りゆく男のダンディズムも失われた。多くのファンはこれを感動ドラマとして受け入れ、球団は有効なマーケティング策として活用している。しかし、冷静になって考えて欲しい。愛する球団、選手だけでなく、球界全体のあるべき姿、ベースボールという素晴らしい競技へのリスペクトまで視野に入れると、本当にこれで良いのか。

× 名球会の後塵を拝する野球殿堂

本来殿堂入りは野球人にとって究極のゴールのはずだが、その立場を完全に名球会に奪われている。これは選出において長年にわたり競技者以外を優先したこと、元選手に関しても不勉強な記者により不可解かつ不公平な選出が行われたことの報いだろう。改善へのアクションもほとんど見当たらない。殿堂入り選出も、殿堂博物館の運営もサラリーマンが惰性でやっている感じ。

× 目的化され、作られる記録

通算2000本安打などは、名球会の入会基準になっているため、活躍の結果としての記録ではなくそれ自体が目的になってしまった。とうに引退してしかるべき選手が、この記録のためだけに何年も現役を継続するケースが目に付くようになった。昨年のロッテ福浦和也のケースなどはその典型例だ。本末転倒。連続試合出場などもそうだ。本来この記録は、長期にわたり出場を続けられるほど健康体で実力を保持できた結果としてあるから意味がある。金本知憲にせよ、鳥谷敬にせよ、出場すべきではないほど重傷を負いながらも、不調に苦しみながらも、記録継続のためだけに出場を続けた。「全試合出場で規定打席未満」などは記録史の汚点と言うべき。

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Baseball Writer

福岡県出身で、少年時代は太平洋クラブ~クラウンライターのファン。1971年のオリオールズ来日以来のMLBマニアで、本業の合間を縫って北米48球場を訪れた。北京、台北、台中、シドニーでもメジャーを観戦。近年は渡米時に球場跡地や野球博物館巡りにも精を出す。『SLUGGER』『J SPORTS』『まぐまぐ』のポータルサイト『mine』でも執筆中で、03-08年はスカパー!で、16年からはDAZNでMLB中継の解説を担当。著書に『ビジネスマンの視点で見たMLBとNPB』(彩流社)

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