正社員と非正規雇用労働者の賃金が逆転する日
春闘シーズンになりましたが、空前の人手不足にも関わらず、賃上げペースが昨年割れする企業が目立っています。
一方で、派遣やパートといった非正規雇用労働者の方は、じりじりと賃上げが浸透しつつあります。昨年の所定内給与月額は、正社員0.2%増に対し非正規雇用は3.3%増となり、比較可能な05年以降では両者の賃金格差は過去最少となっています(賃金構造基本統計調査より)。
従来「不景気の時には非正規雇用が切られ、好況になれば正社員にベアを持っていかれる」という具合に、とかく非正規雇用は正社員の踏み台にされているという風潮がありました。ところが、現在発生しているトレンドはそれとは真逆のようにも見えます。
なぜ、交渉力の強いはずの正社員の賃金が据え置かれる一方、立場の弱いはずの非正規雇用の賃上げがじりじり続いているのでしょうか。その原因を理解すれば、これから先の日本経済の行く末もうっすらと見えてくるはずです。
労使は10年先を見越して今年の賃金を決めている
なぜ正社員の賃金は上がらないのか。それは終身雇用を前提とする以上、将来的なリスクも織り込まねばならないからです。もうちょっとわかりやすく言えば、たとえば10年先20年先に会社の経営状況がどうなっていようと、従業員に滞りなく給料が払えるような水準にしておくということです。日本はいったん賃上げしてしまえば賃下げも解雇もきわめて難しいため、少々景気が良くてもそう簡単には賃上げできません。下手に欲張って賃上げしすぎるとあとでリストラされかねないわけですから、こういうスタンスに労組も協力的です。
「釣った魚に餌はやらない」ということわざがあります。よく夫婦間で使われる言葉ですけど、正社員も同じですね。ただこれは愛情の裏返しでもあって、要するにこれからもずっと養っていけないといけないのだから無計画に大盤振る舞いはしませんよということですね。
一方、そんな将来の心配なんてしなくてよい非正規雇用労働者には、労働市場の需給に応じた賃金が支払われることになります。慢性的な人手不足でどの業界でも需要はタイトですから、彼らについてはじりじりと時給が伸び続けているわけです。
というと、たぶんこんな疑問を持つ人もいるでしょう。
「でも90年代までは、今と違って正社員はガンガン昇給してたぞ」
確かに90年代後半までは毎年ベースアップ分だけで1%以上、定期昇給と合わせると3%以上の賃上げが普通でした。当時と現在でいったい何が違うんでしょうか。
それは、将来に対する見通しです。これから日本経済がどんどん成長し、売上げも安定的に伸びていくだろうと多くの企業が予想すれば、賃上げをためらう理由はありません。むしろ今のうちから賃上げしておいた方がより優秀な人材を囲い込めるメリットもあります。90年代半ばまでは、多くの日本企業がそういう未来像をイメージし、賃上げし、実際に消費も増えるという“良い循環”が存在したわけです。
ところが、少なくとも2000年代以降、多くの企業において、この見通しはまったく逆になってしまっています。人口は減り続け、生産性も上がらず、日本経済はよくて横ばい、下手をすればマイナス成長に陥るのではないか……だとすれば、たとえ現在多少の余裕があったとしても、将来に備えて賃金を抑制しておいた方が合理的ということになります。そして、多くの企業がそうすることで現実に消費も抑制され、予想は現実化することになります。そう、昔と逆の“悪い循環”ですね。
交渉力の強いはずの正社員の賃上げが進まない背景には、こうした労働市場の構造的問題があるというのが筆者の意見です。実はこの問題は、2013年に出版された「デフレーション―“日本の慢性病"の全貌を解明する」という書籍にて正面から取り上げられていたテーマでもあります。デフレの原因は金融政策でも人口減でもなく、賃上げより雇用を優先する日本の特殊な労使関係にあるとした同書は、2013年の週刊東洋経済・年間経済書ランキング第一位にも選ばれ、大きな話題となりました。
その後に成立した安倍政権はアベノミクスの名のもとに大規模な金融緩和でデフレ脱却を試みましたが、結果、非正規の賃金が上がる一方で正社員の賃金は停滞を続けるという現状は、見事に日本の労働市場の特殊性を証明したと言えるでしょう。
本来、長期雇用の保証の無い非正規雇用の方が正社員より高賃金となるのは当然のことです。業種にもよるでしょうが、有期雇用の上限規制等の撤廃を進めれば、非正規の賃金が正社員を上回ることも十分起こり得るというのが筆者の見方です。