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【河内長野市】あの暴れん坊将軍が鷹狩時に利用したかも!?河内長野市最古の住宅は、小深の山本家住宅です

奥河内から情報発信奥河内地域文筆家(河内長野市・富田林市)

河内長野には重要文化財級の建物が点在していますが、川上地区の小深にある山本家住宅もそんな重要文化財に指定されている古民家です。

果たして、重要文化財の古民家はどんなものなのだろう?とても気になったので、山本家住宅の外観を見てきました。

地図で場所を確認しましょう。国道310号線沿い小深でも、さらに奥の南側に山本家住宅があります。公共交通で行くなら、河内長野駅から金剛山ロープウェイに乗って小深バス停で下車してください。

3月末まではもっと近くに上小深というバス停がありましたが、石見川行きのバスが廃止されたため、現在は利用できなくなりました。

国道沿いから、茅葺の山本家住宅の屋根が見えます。

国道からは急な坂道のため、登るのがちょっと大変でした。

少し息を切らせながら山本家住宅の前に来ました。山本家住宅は江戸中期ごろに建てられたとされますが、家に伝わる伝承ではそれよりも早く寛永年間(1624‐1644)の建立となっているとか。

しかし、個人所有のため、残念ながら内部は非公開。外側だけが見られます。

建物内部も見られる滝畑ふるさと文化財の森センターの茅葺古民家
建物内部も見られる滝畑ふるさと文化財の森センターの茅葺古民家

ただ類似のものとして、滝畑ふるさと文化財の森センターの茅葺古民家とか、富田林市の錦織公園内にある河内の里の里の家があります。そこに行けば建物の内部が見られるので、大よそのイメージがつかめるかと思います。

山本家住宅は庄屋だった旧家なので、格式が高く、徳川御三家でもある代々の紀州藩主が鷹狩をするときには本陣になったという伝承があります。

もし伝承が正しければ、暴れん坊将軍という時代劇で有名になった江戸幕府八代将軍になる徳川吉宗、彼も紀州藩主時代に、鷹狩りで山本家住宅を使用した可能性があるわけです。そう考えるとなかなかすごいことですね。

いろんな資料を基に確認すると、内部には土間と居室が左右にあるそうです。居室側は4間の部屋があり、土間側には内庭があるとか。

内庭には、馬屋(うまや)や釜屋(かまや)が設置。またその馬屋部分には2階が設置され、そこは物置になっています。

この配置は河内や大和の民家に共通する原則だそうで、この山本家住宅は後世に改築されていないため、非常に貴重な建物なのだそうです。1969(昭和44)年に国の重要文化財に指定されてました。

山本家住宅は河内長野市内で最も古いのはもちろん、全国的でも古い年代のものにあたるそうです。残念ながら外側しか見られませんが、八代将軍吉宗が来た可能性がある建物と考えると、いっそう興味がそそられますね。

山本家住宅
住所:大阪府河内長野市小深360番地の甲
アクセス:南海・近鉄河内長野駅からバス、小深バス停下車徒歩10分

奥河内地域文筆家(河内長野市・富田林市)

河内長野市の別名「奥河内」は、周囲を山に囲まれ3種類の日本遺産に登録されるほど、歴史文化的スポットがたくさんある地域です。それに加えて、都心である大阪市中心部に乗り換えなしで行ける複数の大手私鉄(南海・近鉄)と直結していることから、新興住宅団地が多数造成されており、地元にはおしゃれな名店や評判の良い店なども数多くあります。そして隣接する富田林市もまた、歴史文化が色濃く残る地域。また南河内地区の中核都市として、行政系施設が集まっています。これを機会に、奥河内(一部南河内含む)地域に住んでいる人たちのお役に立つ情報を提供していければと考えています。どうぞよろしくお願いします。

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