プロ化に猛反対した大企業社員が、2競技の改革を経験した今“次世代型プロ”のハンドボール人に伝えること
プロに近づく実業団
実業団からプロへ――。それは日本のあらゆるメジャースポーツで起きている現象だ。もっとも親会社から支援を受けずに経営的な自立を果たす「完全なプロ化」を実現したチームは皆無に近い。ただし契約社員、嘱託社員への雇用形態変更など“プロ的”な要素は実業団の強豪も既に取り入れている。
この1月に開幕したジャパンラグビーリーグワンはその一例だが、さらに踏み込んでチームの事業化を進めようという動きがいくつか進行している。ファンやスポンサーを増やせば、親会社の負担も減らせるからだ。様々な競技の様々なチームが「実業団とプロの中間地帯」に移ることで、バブル崩壊後の日本でサバイバルする努力を続けている。
ハンドボールはリーグが先行してプロ化
サッカーのJリーグ、バスケットボールのBリーグは“元実業団”が多く参加しているプロリーグだ。今年1月に開幕したジャパンラグビーリーグワンもヤマハ発動機と東芝の2社がラグビーチームを独立法人化し、プロと言い得る形態に切り替えた。
日本ハンドボールリーグ(JHL)は2021年4月、スポーツビジネスの専門家である葦原一正氏が代表理事に着任。チームの法人化までは要求していないものの、“リーグのプロ化”を打ち出した。そして昨年12月にはリーグ主導で集客やスポンサー開拓を進め、チームに分配する次世代型プロリーグの構想も提示している。条件を満たしたクラブについては、リーグへの新規参入も認める方針だ。
一方でプロリーグの経験がないJHLのオーナー企業、チームには戸惑いもあるはずだ。リスクを読み切ることは困難で、すぐアクセルを踏めないチームも少なくないだろう。
2競技の法人化に携わった荒木
企業スポーツの独立プロ化は相応に手間のかかるプロセスだが、それを2度も経験した人物がいる。荒木雅己は中央大、東芝府中で活躍した野球人だが、ビジネスパーソンとしてバスケットボールとラグビーの法人化に関わった。彼はBリーグ川崎ブレイブサンダースの初代社長を務め、DeNAへのスムーズな継承も成功させている。現在はジャパンラグビーリーグワンの参戦する東芝ブレイブルーパス東京株式会社で、事業プロモーション部の部長を任されている。
JHLの葦原代表理事はBリーグ創設時の事務局長で、荒木のようなクラブ経営者と向き合う立場だった。そんな二人の関係もあり、荒木は1月中旬のJHL実行委員会に招かれ、各クラブの代表者を前に講演を行った。この記事は講演と、直後のインタビューで語られた内容をもとに変化の必要性と意義を論じる内容だ。
「考え方が180度変わった」
そもそも東芝はバスケのプロ化を決して前向きに考えていた企業ではない。荒木はこう振り返る。
「東芝はプロ化反対の先陣を切っていたように報じられていました。浅い経験の中ですが、個人的にはプロ化への考え方が180度変わっています」
サッカーは別にして、多くの企業はどちらかと言えばプロ化に対して否定的な姿勢を見せてきた。荒木はこう説明する。
「そのときなぜ(東芝が)反対だったか私も具体的には分かりませんが、整理すると3つあると思います。一つは経営面です。もう一つは従業員選手のセカンドキャリアをどうするのか?という不安です。3つ目は“おらがチーム”としてかわいがってきたものをプロにして、企業から距離を置くのが正しいのか?というところでしょうか」
2015年の冬から春にかけて、バスケ界ではそれまで分裂していた二つのトップリーグを合流させる動きが強まった。トヨタ自動車、三菱電機といった他の実業団がプロ化を選択する中、結果的には東芝も流れに乗った。
「選手も私達も幸せに」
「私は当時、東芝のスポーツ推進室長で3つの競技を見ていました。バスケ部が残るためにはプロ化に入っていくしかない、やるしかないという感覚でした」
会社の立ち上げ、慣れない興行には大きな苦労もあったはずだが、川崎ブレイブサンダースのプロ化ははっきりとした成果が数字に出た。
「それまでの観客数がアベレージ1000人で、1年目は2500人です。2年目は3000人に増えました。DeNAさんに承継したあとは、4000人を超えました。自分たちでもできる、手を打てばお客さんが入るんだなと気づきました」
荒木はプロ化をこう総括する。
「選手が目立つ状態になって、そうするとまたプレーに力が入る。バスケットボール自体の評価が上がっていく様子は手に取るように分かりました。試合が終わると『グッズが沢山売れました』『集客目標達成です』と報告がくる。努力していい結果になることは喜びですし、選手も私達も幸せになりました」
多くの選手が望む競技への集中
荒木は会社として“プロ化反対”の方針を取っていた時期に、選手と面談して、実業団のメリットを丁寧に説明したことがある。
「『社員と同等の生涯年収を稼ぐためには、それなりにいい年俸をもらわないとできない。一度に沢山もらうと、それだけ税金も取られる。どっちが幸せなんだ』と図解して説明したんです」
荒木の説明が奏功したかどうかは別にして、Bリーグ初年度の川崎は“プロ”を選択した日本人選手が一人にとどまった。大半の選手は東芝に籍を残した出向選手としてコートに立っていた。しかし2年目からは全員がプロとなり、今に至っている。
「社員でいるよりプロの喜びなのかな……というところは正直驚きました。プロを望む理由は“競技への集中”が多かったですね。年収が社員とあまり変わらない、数百万円しか上がらない選手もいましたが、それでもプロの方が良かったみたいです」
JHLが行った選手アンケートでも会社に残ることを希望しない、プロを望む選手が多くて皆を驚かせた。アスリートには「まずは競技に全力を注ぎたい」という本能に近いマインドがある。
JHLが2024年上旬に発足させる次世代型プロリーグでは、各チームに11名以上のプロ契約を求めている。一方で“兼業”については各チームの判断に任せている。大切なのは競技の評価を切り分けること、事業化に向けて権利の帰属を明確にすることで、会社と選手の選択をリーグは縛っていない。プロ契約の専業選手が、引退後に会社へ戻ることも当然あり得る。
ハンデにならないプロ経験
近年はプロ野球でプレーした選手が過去に在籍していた企業に“出戻り”する例が増えている。東芝もプロを経て関連会社に戻った社員がおり、そもそもビジネスで活躍している元プロスポーツの選手は意外に多い。リーグワンでは2015年のラグビーワールドカップで活躍した五郎丸歩が、静岡ブルーレヴズの“社員”として営業活動に取り組んでいる。
荒木はアスリートのセカンドキャリアについてこう述べる。
「10年間はスポーツをやって、そこから職場に行っても、バランス感覚やチームワークを作る力が身についている人なら評価されます。地頭があって人間的にしっかりしている元選手は、社内でそれなりの地位も得ています。スポーツをやったことは、ハンデになっていないと思います」
ハンドボールに限らず強豪実業団の選手は「出勤が午前だけ」「遠征や合宿で頻繁にいなくなる」といったケースが大半だ。ビジネスパーソンとしては中途半端で、優秀な人材だとしても裁量を与えられず、仕事が単純な“作業”にとどまっている場合が多い。
もちろん仕事と競技を完全に両立できて、それを望む選手ならば兼業はいい選択肢だろう。しかし多くの選手にとってプロが現実な選択肢でもある。
次世代型プロへのメッセージは?
JHLはBリーグと違い、チームの「独立法人化」は要求していない。それでもまだ“新しい船”に乗り換える決断に踏み切れていない企業もあると聞く。これに対して荒木はこう言い切る。
「なぜ慎重になるのでしょうか。既に(ハンドボール部で)お金を使っていますよね。今回の新リーグは、それを少しでも回収しようとしています」
発足当初のJリーグはバブルの余韻が残る中で「実業団時代よりもコストが増えた」クラブも多かったようだ。しかし少なくとも東芝はブレイブサンダースのプロ化で、収支も改善させた。ファンが増えれば選手は喜び、その後の普及にも好影響が出る。もし企業、選手、未来のプロ選手が揃って幸せになるBリーグと同様のサイクルを実現できるなら、それを選択しない判断はありえない。
プロ化のプロセスを実際に経験し、反対派から賛成派に転向した荒木の言葉には、強い説得力が宿っていた。