ソチとアーリントン
ソチ・オリンピックでの日本選手の活躍の様子に励まされる。努力の成果に拍手を送りたい。同時に期待されながらメダルを取れなかった選手に対しても、「ご苦労様」との言葉を送りたい。「プレッシャーに弱いんだよな!」などとの声を聞くと、過去4年間以上の期間にわたって努力を重ねてきた選手を、そんな風に評して良いものだろうかと思う。ましてや毎晩テレビの前で寝っ転がってビールを飲んでいるだけの人々が口にすべき言葉ではない。一番悔しいのは敗れた選手たちだからである。必要なのは、そうした上から視点の評論ではなく、必死に努力したものの及ばなかった選手たちへの、ねぎらいの言葉ではないだろうか。
最近のアメリカの中東政策に関する日本での評論を見聞していて同じような感想を抱いた。「オバマは世界を失望させた」、「アメリカに対する信頼感が揺らいだ」、「もはや強いアメリカではない」などと最近のオバマ政権の中東政策に関する日本の識者のコメントは、決してやさしくない。イランと交渉しシリアを爆撃しなかったオバマ大統領への、一部の評論家の先生方の評価は厳しい。そうした評論に空虚感と無責任さを覚える。シリア爆撃にもイランとの戦争にも日本人は参加しないし血を流すこともないとの安心感が、こうした発言の背後にはないだろうか。死ぬのは傷つくのは現地の人々とアメリカ将兵であって日本人ではない。そうした安全な距離感からの発言ではないだろうか。
忘れているのであろうか。アメリカは、2011年末までイラクで戦争をしていた。そしてアフガニスタンでは、依然としてアメリカ史上最長の戦争の最中にある。2001年に始まったアフガニスタンの戦争は、今年で14年目である。大日本帝国を破滅させた太平洋戦争だって4年も続かなかった。今でもアフガニスタンでは死傷者を出しているのである。これで、シリアの介入に積極的であったり、イランとの戦争に踏み切ったりしたら、それこそ常軌を逸している。
新たな戦争で戦死するのはアメリカ兵である。そして、その多くがワシントン近郊のアーリントン国立墓地に埋葬される。ケネディ大統領の墓で有名な場所である。アメリカの外交を弱腰だと批判する方々は、このアーリントン墓地の第60区画をぜひとも訪れてほしい。ここに、イラクでの4486名そしてアフガニスタンでの2313名の戦死者の多くが、葬られている。訪れてみると延々と続く墓石の列が迎えてくれる。墓石の新しさが目に刺さる。涙にくれる遺族や戦友の姿が心にしみる。
アーリントン墓地 2012年7月 筆者撮影
延々と続く墓石の列 2009年9月 筆者撮影
アメリカの軍事力の行使は究極的には、ここに新しい墓をつくることを意味する。慎重であった当然である。熟慮するのが自然である。慎重さは、弱さではなく英知の反映である。抑制は力を削ぐのではなく、将来の動きへのエネルギーを蓄積する。アメリカは、シリアやイランに軍事介入しないことで、余力を維持したのである。これは朝鮮半島情勢の不透明な現状では、決して日本にとっても悪いことではないだろう。アメリカが慎重になったことを批難する理由はない。ましてや自国民の血を流す用意のない人々には。
2014年2月16日(日)記