コートジボワールの作家の絵本を翻訳した富山在住・村田さん アフリカ文学への思いとは?
日本人の子どもたちが、『桃太郎』や『鶴の恩返し』などの昔話を知らず、与えられる絵本が西洋を舞台にした外国人の物語だけだったら、どうだろう。絵本から自国の風土や昔の人の生活を知る機会はなくなってしまうのではないだろうか。
富山県立山町在住のアフリカ文学研究者・村田はるせさん(54)によると、西アフリカの絵本はかつて、「フランス語で書かれたフランス人の話」ばかりだった。フランスの植民地だった西アフリカ諸国の公用語はフランス語。そこで、コートジボワール人の父とフランス人の母の間に生まれたヴェロニク・タジョさんという作家が1990年代にアフリカを題材とした絵本を制作し、現地の出版社から発行するようになった。
村田さんは、タジョさんの考えに共鳴し、代表作の一つである『アヤンダ/おおきくなりたくなかったおんなのこ』(ベルトラン・デュボア絵、風濤社)を日本語に翻訳。この4月に日本で出版した。
『アヤンダ』のあらすじはこうだ。
アヤンダは両親、祖母、弟の5人家族。しかし、父が戦死した。悲しみの中で、成長を止めてしまう。ある日、村は強盗に襲われる。すると突然、家よりも大きくなって強盗を撃退し、村人から感謝されるようになった。とはいえ、バオバブの木のように大きくなり過ぎて平凡に暮らすことができず、孤独を感じる。しかし、不思議なことに夜が明けると、普通の大きさに戻っており、村人は感謝を込めてプレゼントを持ってやってくる。アヤンダは、やっと穏やかに暮らすことができた。めでたし、めでたし。
『アヤンダ』父の死を乗り越え、再生する物語
身体が大きくなったり、小さくなったりするのは、何の比喩だろうか。荒唐無稽なストーリーに村田さんは頭を抱え、ロンドンに住むタジョさんを訪ねた。質疑応答を繰り返し、やっと作品のテーマを理解することができたという。
「大きくなって強盗を撃退した時、アヤンダは村人に感謝されますが、暴力に暴力で対抗して英雄になっても、村人とともに生きるのは難しい。身体が元の大きさに戻り、やっと村人に受け入れられます。アヤンダには『二段階の感謝』が必要だったのです」
タジョさんが日本語版の発刊に寄せて送ったメッセージが、絵本の「帯」に書かれている。
「大切な、だれかを亡くした時、その人の心がいやされ、ふたたび社会の中で生きられるようになるにはいくつかの段階を経る必要があると、この絵本で描きたかった」
戦争に対する怒りや悲しみが、徐々に軽減されていくことこそ、タジョさんが一番伝えたかったことである。コートジボワールでは1999年にクーデター、2003年に第一次内戦、10年に第二次内戦と、激動の歴史が続いた。アヤンダのように父を亡くした子どもは多いはずだ。
「タジョさんは反戦の思いを込めて書いたそうです。しかし、私は東日本大震災などの自然災害から立ち直ることも想定して訳していました。日本なら、そういう感覚で読む人も少なくないでしょう」
村田さんが訳した絵本は、読み手によってさまざまに受け止められる。
読者が抱えるトラウマや困難を重ねて読む
フェミニズムの視点で読む人もいるそうだ。例えば、職場でセクハラ・パワハラなどを受けていた女性が攻撃的な手段によって自分に害を及ぼした上司をやり込める。その方法が間違っていなくても、周囲の人と隔たりが生まれることもあるかもしれない。アヤンダにとっての「父の死」と「強盗撃退」を、読者が抱えるトラウマや困難に置き換えて読むことができる。
村田さんは31歳の時に1995年から2年間、海外協力隊員としてニジェールで保育士として働いた。帰国後は富山大に社会人入学し、卒業後は東京外国語大の大学院へ。アフリカ文学を専攻し、博士号を取得した。2012年からは「アフリカについて学ぶ」と題して、富山市内で「クスクス読書会」を主宰。研究の成果や報道、映画など、アフリカに関する情報を提供し、アフリカ出身の留学生・研修生を招いての交流会も開いている。
15年からは東京、大阪、広島など全国7都府県で8度、西アフリカ諸国の絵本展「アフリカの絵本ってどんなの?」を開催した。タジョさんの作品を中心に81冊の本について解説した冊子を作って配布し、講演や読み聞かせを実施している。
一貫して「アフリカの文学」に取り組んできた思いとは?
「ニジェールにいたころ、同僚のアフリカ人女性の考えや行動を、なかなか理解できませんでした。夫の都合で離婚されたり、シングルマザーになったりと、いろんな問題を抱えていたのに……。だから、心の中が表現されている文学を勉強すれば、彼女らの気持ちが分かると思いました」
筆者も村田さんが主宰する読書会に参加したことがある。その回は、日本の研究者が集めたアフリカ伝承の物語を読み深めるという内容だった。「つじつまが合わない話ばかりですね」と率直な感想を村田さんにぶつけると、こんな答えが返ってきた。
アフリカの独自の思考法や、価値観
「時系列に沿って事実を把握するとか、論理的な思考はヨーロッパ的な考え方。日本もそうですが、アフリカには独自の思考法や、価値観、文化が継承されています。それこそが本来、アフリカが持っている文化なのです。アフリカの子は、勉強すればするほど母国語や文化とかけ離れていきます。学ぶことによって、自己肯定感が低くなってしまう矛盾を抱えているのです」
西アフリカの子どもたちにとって絵本は、近代化によってこぼれ落ちた文化や独自性を拾い上げ、継承していくために読む必要があるのだ。また、「翻訳した本は、日本に住むアフリカにルーツを持つ子どもたちにぜひ読んでほしい」と期待を込める。「ハーフ」のアスリートが活躍するなどしているが、日本で悩みを抱えて生きている子ども・若者は少なくないという。
ちなみに村田さんには、タジョさんの著書の中で翻訳したい作品がもう一つある。小説『女王ポクー』という。ガーナで生まれ、隣接するコートジボワールへ逃げてきた女王・ポクーは、家来を引き連れて国境沿いの河を渡る際、氾濫を鎮めるために人身御供として我が子を犠牲にする。1700年代に実在したといわれる伝説の女性リーダーの苦悩を、タジョさんなりの見解を加えて描いた内容である。
日本の戦国時代を生き抜いた姫君の一代記と似ているような気が……。日本とアフリカは、遠く離れている。しかし、文学をじっくりと読み深めれば、共感できる部分は少なくないだろう。
※写真/筆者撮影、アフリカで撮影したものは村田さん提供
※以下の写真はアフリカの絵本
※以下の写真は、村田さんが現地で撮影したアフリカの子どもや女性など。キャプションも村田さんによる
※村田はるせさんの活動を紹介するウェブサイト
http://ehonmurata.septidi.com/aboutme#container
※英訳版はこちら
https://yjcorpbyline.tumblr.com/post/178905934938/murata-a-resident-of-toyama-translated-a-picture