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アカデミー賞:今度は「ムーンライト」。隠れた才能を発掘し続ける“プロデューサー”ブラッド・ピット

猿渡由紀L.A.在住映画ジャーナリスト
ブラッド・ピットは「ムーンライト」の実現に多大なる貢献をしている(写真:ロイター/アフロ)

「ムーンライト」が作品賞に選ばれた今年のアカデミー賞に、ブラッド・ピットは出席しなかった。

この日、ピットは、イギリスの彫刻家トーマス・ハウシーゴとのプロジェクトに取り組んでいたらしい。それがどんなプロジェクトなのかは明らかではないが、ピットは昔から建築やデザインに大きな情熱を持っており、これまでにも、フランク・ゲーリーをはじめとする多くの著名人と関わってきている。

いずれにしても、アカデミーに提出された「ムーンライト」のプロデューサーの名前は、ピットの会社プランBのデデ・ガードナー、ジェレミー・クライナー、アデル・ロマンスキーで、もしピットが出席していたとしても、舞台に上がってオスカー像を受け取ることはなかった。お金を出しただけで“プロデューサー”“エクゼクティブ・プロデューサー”の肩書きを得る人や、主演する条件としてその肩書きを求めるスターもいる中、ハリウッド映画には、野球のチームを作れるくらいプロデューサーの名前が並ぶ作品も、多々ある。そういう人たちがオスカー像を受け取ることにならないよう、アカデミーは、かなり厳格なルールをもうけているのである。

だが、彼自身もオスカー像を受け取った「それでも夜は明ける」同様、「ムーンライト」がピットなしで実現しなかったのは、揺るぎない事実だ。

バリー・ジェンキンス監督には2008年に声をかけていた

小さな映画にも常に注意を払い、「この人はおもしろいかもしれない」と思ったら、無名であれ、外国在住であれ、自分のほうから「次は一緒に作りませんか」と声をかけるのが、ピット。

「ムーンライト」のバリー・ジェンキンス監督も、そんなふうにピットと出会った。ジェンキンスの監督デビュー作「Medicine for Melancholy(日本未公開)」(2008)を見たピットらが、ジェンキンスに会いたいと言ってきたのだ。

双方はミーティングをもち、いろいろなアイデアを話し合ったが、実際には何も生まれないまま、コミュニケーションは途絶えた。彼らが再会したのは2013年。ジェンキンスは、小規模ながら近年ますます重要視されているテリュライド映画祭のプログラミングを担当している。テリュライドでプレミアし、その直後のトロントで絶賛を得る、というのは、近年、オスカー作品賞の王道になってきているのだが、この年、ピットらも、「それでも夜は明ける」を引っさげて、テリュライドにやってきた。

ジェンキンスは舞台に立って作品の紹介をし、上映後の質疑応答にも登壇。その時について、ジェンキンスは、筆者とのインタビューで、「ブラッドも、その質疑応答に出たよ。デデ(・ガードナー)とジェレミー(・クライナー)もだ。僕は、彼らに、『すっかりごぶさたしているよね。君は今、何か作ろうとしているの?』と聞かれ、『実は、ある舞台劇の脚本があって、それを映画にしようとしているところなんです』と言った。『ムーンライト』のことだ。そして3年後、僕はテリュライドで『ムーンライト』をプレミアすることになったというわけさ」と語っている。

「ムーンライト」の予算は、わずか150万ドル。今年のオスカー作品部門に候補入りした中で、最低の予算だ。ちなみに「ラ・ラ・ランド」は3,000万ドル、「マンチェスター・バイ・ザ・シー」は850万ドル。スーパーヒーロー映画に2億ドルが使われることを考えれば、それらも決して高くはないが、無名の黒人俳優3人が主演する「ムーンライト」は、ピットの名前、実績、コネクションがなかったら、おそらくその150万ドルも集められなかったはずだ。

「それでも夜は明ける」の場合も似ている。スティーブ・マックイーンのデビュー作「HUNGER/ハンガー」(2008)を見た後、「彼のところに押しかけて、ドアをノックし、次の作品はぜひ一緒にやらせてくださいと言ったんだ」と、ピットは語っている。だが、マックイーンは、次の「SHAME-シェイム- 」(2011)の準備をすでに進めていると言った。そして、「その次には奴隷についての映画を作ってみたいと思っている」と伝える。白人が仕切るハリウッドで、奴隷についての映画など、今日、まず作られない。「でも、『だからこそ作りたいんです』と僕が言うと、ブラッドは『たしかにそうだね。ホロコーストの映画はたくさんあるのに、奴隷の映画はないよね。ぜひ、作ろうよ』と言ったんだよ。ブラッドがいたから、この映画は実現したんだ。彼はこの映画のために全力を尽くしてくれたんだ」と、筆者とのインタビューで、マックイーンは、彼への感謝の気持ちを語っている。

「ジェシー・ジェームズの暗殺」(2007)、「ジャッキー・コーガン」(2012)のニュージーランド人監督アンドリュー・ドミニク監督も、オーストラリア映画「Chopper」(2000)を見て、ピットがアプローチしている。残念ながら、どちらも興行的には失敗した。ほかにも、テレンス・マリック監督の叙情的な「ツリー・オブ・ライフ」(2011)、やはり黒人ものである「グローリー/明日への行進」(2014)、金融界についてのノンフィクションを映画化する「マネー・ショート/華麗なる大逆転」(2015)など、ピットは、普通なら手を出したくない作品を実現させて、それぞれになんらかの成功をもたらしている。

俳優がプロデュースするのは自分が演じたい役を演じるため。ピットは違う

それらの中には彼自身が出演したものもあるが、それは彼の目的ではない。俳優や女優がプロダクション・カンパニーを創設するのは、自分が演じたいような役が回ってくるのをただ待っているのではなく、自分のほうからそういったチャンスを作ろうと思うからなのだが、おいしい役がたっぷり回ってくる、トップクラスの白人男優であるピットの場合は(その意味ではレオナルド・ディカプリオも同様)、純粋に、自分が見たいと思うような映画を世の中に送り込むために、プロデュースをしている。「ツリー・オブ・ライフ」も、もともとはプロデューサーだけのはずだったのに、ヒース・レジャーが降板して主演がいなくなった時、マリックに頼まれてピットが引き受けたという経緯がある。

「僕は、ガレージバンドを発掘するようなつもりでプロデュースをやっているんだよね。この人はいいかもしれないと思う人が、日の目をみる手助けをしたいのさ。中には、自分が出てもいいなと思う作品があったりもするけれど、それは決して目的じゃない。今のハリウッドで、作られにくい映画というのがある。僕はそういうストーリーを見つけて、形作っていきたい。その過程が好きなんだよ」と、2011年の筆者とのインタビューで、ピットは語った。

「ツリー・オブ・ライフ」に関して、筆者が、「すごく難しい映画のわりには、興行的にもまずまずいきましたよね」と言うと、「僕はそのへんについては全然知らないんだよ。ダメなプロデューサーだよね」と、売上げは気にしていないことを示唆した。もちろん、ヒットしないとお金を出してくれた人たちに申し訳ないので、そこを無視しているとは思わないが、ドミニクと二度組んでいるところからも、監督のビジョンを重視し、次に賭ける姿勢をもっていることは、明らかだ。

そんな中、ひとりだけ、おそらく次は手助けしないだろうと思われる監督がいる。1,000万ドルの製作費をかけたアンジェリーナ・ジョリー監督の「白い帽子の女」(2015)は、世界興収たった120万ドルに終わり、批評もひどかった。愛があったから実現した企画だったのだろうが、もはやその愛はない。だけれども、ピットがあの作品を恥じる必要は、まったくない。あれは、これからもまだまだ続いていくプロデューサーとしてのレガシーの、小さなこぼれ話にすぎないのだ。

L.A.在住映画ジャーナリスト

神戸市出身。上智大学文学部新聞学科卒。女性誌編集者(映画担当)を経て渡米。L.A.をベースに、ハリウッドスター、映画監督のインタビュー記事や、撮影現場レポート記事、ハリウッド事情のコラムを、「ハーパース・バザー日本版」「週刊文春」「シュプール」「キネマ旬報」他の雑誌や新聞、Yahoo、東洋経済オンライン、文春オンライン、ぴあ、シネマトゥデイなどのウェブサイトに寄稿。米放送映画批評家協会(CCA)、米女性映画批評家サークル(WFCC)会員。映画と同じくらい、ヨガと猫を愛する。著書に「ウディ・アレン 追放」(文藝春秋社)。

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