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全米OP13日目現地リポ:決勝進出の錦織圭、世界1位を打ち破り到達した、あの日見ていた高み

内田暁フリーランスライター

錦織圭 64 16 76(4) 63 Nジョコビッチ

快音を残し錦織のフォアがダウンザラインに叩きこまれた時、2万人の観客からどよめきの声が沸き上がる――。

実際にはそのショットは、懸命に走り手を伸ばしたジョコビッチに返され、ラリーは継続していきます。真の歓喜の時が訪れたのは、それから3打後。ジョコビッチのフォアがボールを捉えたその瞬間、ボールがラインを超えるであろう予感に……つまりは勝者が決する確信に、スタジアム全体が息をのみます。線審が上げた「アウト」の声は、それより早く沸き上がり空気を震わす大歓声に、かき消されてしまいました。

錦織はラケットを落とし、ファミリーボックスに向かい両手の拳をなんども引き寄せ、祝福と称賛の声を全身で浴びます。スコアは64,16,76(4),63。2時間52分のドラマが、大団円を迎えた瞬間でした。

ジョコビッチと錦織というと、いつも思い出すことがあります。二人にとって初対戦となった、2010年のローランギャロス。この時、錦織はヒジの手術から復帰したばかりで、ランキングは246位。プロテクトランキングを用いての全仏本戦出場でした。

その試合で錦織は、ジョコビッチ相手にフォアのストロークで、何度も客席からどよめきを引き起こしました。決まる決まらないに関わらず、ラケットが生むインパクト音、弾道の美しさ、あるいは打つ姿の躍動感で、歓声を生む選手というのがいます。

錦織は、そういう選手なのだな……そんな風に感じ入っていました。

しかし、試合後の会見に来た錦織は、自分のプレーへの不満しか口にしません。

「相手の方が全てで上。世界のトップと100位以下の選手の試合という感じだし、それがスコアにも反映されている」。

いかなる状況下にあろうが、少しの善戦では満足などできない。彼は一体、どこまで上を見ているのだろう……そんな風に驚いたことが思い出されます。

時は流れ、当時3位だったジョコビッチは世界1位になり、錦織は11位として全米オープンの準決勝で決戦の日を迎えました。夕方から雷雨予報のニューヨークは湿度が高く、特に試合開始時の蒸し暑さは尋常ではありません。

その試合で良い立ち上がりを見せたのは、錦織の方です。4回戦や準々決勝では、勝利しながらも立ち上がりは固さも見られた錦織。それだけにこの日に向けては「昨日の夜から、しっかりメンタルを準備してきた」と言います。そのことを強く印象付けたのは、3-3からの第7ゲーム。相手のセカンドサービスを迷いなくフォアで叩き、2本のリターンウイナーを含む3本のウイナーを決めてブレーク。その後も、フォアに大きく追い出されながらもベースライン遥か後方からダウンザラインにウイナーをねじ込む、スーパーショットも飛び出します。第1セットは、錦織が颯爽と奪いました。

しかし第2セットは、ジョコビッチが世界1位の本領を発揮します。多くのウイナーを奪うわけではないものの、全てのボールをコーナーギリギリ、もしくは鋭角に打ち込み、錦織を左右に走らせます。体力を削られるように、ポイントを失っていく錦織。

「このままでは、こちらが先に疲れてしまう」。

第2セットを落とした時にそう感じた錦織は、第3セットではより速いタイミングと展開で攻めていこうと、心に決めます。

そして錦織は、自らの誓いをコートに描ききりました。先にストレートに展開し、打ち合いを支配する場面が増えていきます。展開的には、先にブレークしながらも追いつかれる厳しい精神戦ながら、劣勢を1本で跳ね除ける錦織のストロークの美しさに、そしてその勇気に、客席から幾度も感嘆の息が漏れます。錦織は間違いなく、2万人のファンを魅せています。タイブレークの末に錦織が第3セットを取った時、その2万人が興奮の叫び声をあげました。

第4セットは熱気を追い風に、錦織が疾走します。最初のゲームでジョコビッチのダブルフォールトにも乗じて、いきなりのブレークに成功。うだる暑さの中、試合開始から2時間20分を経過して、疲労の色を濃くしているのは体力に勝るはずのジョコビッチです。錦織も「僕も疲れはあったが、むしろ相手の方が疲れて見えた」と感じていました。

実はジョコビッチ、準決勝を控えた会見時に、錦織につき次のように語っていました。

「彼はここ数年間、良いプレーをしてブレークスルーの瞬間を迎えたかと思ったら、ケガすることを繰り返していた」。

今年3月のマイアミ準決勝で対戦するはずだった錦織が棄権したことも、もちろんよく覚えているでしょう。2試合連続で4時間越えの試合をしてきた錦織が、この試合ではフィジカル的に万全ではないのではないか……もしかしたらジョコビッチの頭の片隅に、そのような思いもあったかもしれません。

またジョコビッチは準決勝の試合後に、「今の彼は以前より、フォアを多く使ってきた」とも述懐しています。暑さの中、2時間を超えても落ちぬ体力、そして強烈なフォア……想定外の錦織の姿が、ジョコビッチからいつもの冷静さと自信を奪っていきました。

試合の行方を決定づけたゲームは、第4セットの第2ゲーム。錦織は0-40と3つのブレークポイントに直面しますが、ここからサービスウイナー、ジョコビッチのエラー、そしてフォアのウイナーで3本セーブ。

圧巻は、その次のポイントです。まずは逆クロスでジョコビッチをコーナーにふると、返球の跳ね際を叩き、全く同じコースに強打を叩きこみました。先のショットを返球し戻りかけていたジョコビッチは、逆を突かれて2本目の逆クロスには全く反応できません。心技体全てにおいて、この時、錦織は世界1位を組み伏せていました。

第8ゲームではエースを3本叩きこみ、ラブゲームでキープし5-3に。この時に起きた割れんばかりの声援と拍手は、新ヒーロー誕生への期待感か、あるいは窮地に陥った王者への後押しだったでしょうか? いずれにしても既に決した試合の趨勢は、もはや変わることはありません。ジョコビッチのセカンドサービスを錦織が飛び上がりバックで叩きこんだ時、恐らくは全ての人が、そのことを悟ったでしょう。やはり彼は一本のショットで、観る者を引き込める選手です。

初の決勝進出者を迎える会見場は、多くの記者の熱気と興奮に満たされています。その中、一人別次元の静寂の中にいる勝者は、「うれしいですね。倒したのも強い相手ですから、とってもうれしいです」と、少し表情をほころばせました。しかしそれも、一瞬のこと。

「今は、次も勝ちたいという気持ちしかない。強い選手も倒し、良いテニスができている。このまま調子を落とさなければ、絶対に次も行けると思います」。そう彼は断じました。

4年前のあの日、ジョコビッチに破れながらも目を向けていた高み。ついに彼は、そこに到達したのでしょうか? 

いえ、その場所はまだもう一つ、勝利の先にあるようです。

※テニス専門誌『スマッシュ』facebookから転載。

その他、ジュニア部門のダブルスで優勝した中川直樹、錦織の決勝の相手であるチリッチ戦の模様も掲載。

大会期間中は、毎日レポートをアップしています。

フリーランスライター

編集プロダクション勤務を経て、2004年にフリーランスのライターに。ロサンゼルス在住時代に、テニスや総合格闘技、アメリカンフットボール等の取材を開始。2008年に帰国後はテニスを中心に取材し、テニス専門誌『スマッシュ』や、『スポーツナビ』『スポルティーバ』等のネット媒体に寄稿。その他、科学情報の取材/執筆も行う。近著に、錦織圭の幼少期から2015年全米OPまでの足跡をつづった『錦織圭 リターンゲーム:世界に挑む9387日の軌跡』(学研プラス)や、アスリートのパフォーマンスを神経科学(脳科学)の見地から分析する『勝てる脳、負ける脳 一流アスリートの脳内で起きていること』(集英社)がある。

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