戦時中にやってきた英国軍捕虜、イルカボーイズの軌跡
戦争には様々な悲劇がつきものです。
そんな中イルカボーイズは、特異な例として後世まで語り継がれています。
この記事ではイルカボーイズの軌跡について取り上げていきます。
戦時中にやってきた英国軍捕虜
1944年6月、三重県南牟婁郡入鹿村に大阪俘虜収容所第16分所が設置されました。
ここでは、イギリス軍の捕虜が紀州鉱山で強制労働に従事させられたのです。
この鉱山には朝鮮人労働者も多く、彼らの寮「八紘寮」が収容所として転用されました。
捕虜たちは、シンガポールで捕らえられた後、泰緬鉄道の建設に動員されており、過酷な労働や病気で弱り切っていたのです。
厳しい日本の冬も加わり、多くの捕虜が命を落としましたが、最終的に16名が死亡、そのほとんどは病気によるものでした。
捕虜たちは鉱山での労働を強いられましたが、泰緬鉄道の時期よりは環境が改善され、食事や休憩時間も増加しました。
しかし、労働環境は依然として不衛生で、粉塵に覆われた薄暗い作業場で防塵マスクもなく働かされたのです。
一方、入鹿村の村民は捕虜に野菜や菓子を差し入れ、温かい交流を持つ場面も見られました。
村民たちは捕虜に対して友好的で、彼らと葬儀の列で敬礼を交わすなど、心の交流が生まれたのです。
捕虜たちは毎日9時半に作業場へ向かい、16時半には収容所へ戻る生活を送っていました。
学徒勤労動員で同じ鉱山で働いた日本人生徒たちとも簡単な言葉を交わすことがあったのです。
捕虜たちは勤勉で明るく振る舞い、日本人からも好印象を持たれていたようです。