パリが讃える西陣織『源氏物語』: 大河のごとき日本の匠とフランスの物語
今年は『源氏物語』の年。日本ではNHKの大河ドラマ『光る君へ』が評判になっていますが、こちらパリでもやはり『源氏物語』。パリの国立東洋美術館(ギメ美術館)で開催中の展覧会が、『源氏物語』をテーマにしたものなのです。
タイトルは「A la cour du Prince Genji (源氏の君の宮廷にて)」。日本ならではの国風文化が花開いた平安時代にまずはスポットを当て、パリの人々を千年前の雅な世界へといざないます。そして展覧会のクライマックスは、「源氏物語錦織絵巻」。西陣織で『源氏物語絵巻』を表現した染織の大傑作です。
37年の歳月を注いだ究極の西陣織
この「源氏物語錦織絵巻」は、西陣織の匠として105歳まで現役で活躍した山口伊太郎氏が37年の歳月を注いで完成させたものです。山口氏は、1901年に京都西陣の絹織物職人の家に生まれました。50年にわたるキャリアをへて70歳を迎えたとき、ジャカード織の技術によって最高峰の作品を創る意思を固め、この「源氏物語錦織絵巻」の制作に取りかかりました。
名古屋の徳川美術館と東京の五島美術館に所蔵されている12世紀初頭の「源氏物語絵巻」(いずれも国宝)から大いにインスピレーションを得て、これを織物で再現しようと決意したのです。
一つの織物を仕上げるには、いくつもの工程が必要です。この仕事にあたって山口氏は、それぞれの分野の最高のプロフェッショナルを集めてチームを作ります。下絵の準備から始まり、織の設計図とも言うべきデザイン画を方眼紙を使って制作します。
紙に書かれた巻物では褪色はなはだしい王朝文化の雅な色を再現するべく色彩を熟考し、絹糸に染めあげます。それらの無数の色彩の糸に加え、金箔を織り込むのも西陣織ならではの手法。気の遠くなるような試行錯誤を繰り返した末に、全四巻の「源氏物語錦織絵巻」が完成しました。
「これは複製ではなくオリジナルの創作物である」とは山口氏の生前の言葉ですが、まさにそのとおりです。絵巻物とはそもそも紙に筆で描いたものですが、これを織物として制作するのはそれよりもはるかに難しいこと。膨大な時間と大変な技術を要する仕事だということは、素人の私たちにも想像がつきます。
日本の傑作をフランスに寄贈
じつは、この「源氏物語錦織絵巻」四巻は、山口氏の意思によりフランスに寄贈されています。それはなぜでしょう? 西陣織の伝統を救うことになったジャカード織。その技術を生み出したフランスという国に感謝の意を捧げることが山口氏の願いだったのです。
ジャカード織は、19世紀初頭にフランス・リヨンの技術者、ジョゼフ=マリー・ジャカールが開発した画期的な織物技術です。それまで複雑な模様を織物で表現しようとすると、一台の織機に2人がかりで取り組み、手作業で操作する必要がありました。経糸の上げ下げをまるで操り人形みたいに人が行っていたのです。
ジャカード織が画期的なのは、その作業を機械化したことです。あらかじめ紋様の設計図に沿って紋紙(もんがみ)という、いわゆるパンチカードのようなものを作り、それを織機にセットすることによって経糸が自動で上下します。つまり、これまで2人で行っていた作業を一人で、しかもより速くより正確に行えるようになりました。
さらに言えば、パンチカードを使うこの技術はデジタル化、コンピューター技術の前身ともいえるような革命でした。
伝統の西陣織の窮地を救う
一方、西陣織は平安時代の昔から京都で脈々と続いてきた伝統です。それが「御一新」という社会の大変革の波にさらされます。首都機能は京都から東京へ、そしてこれまでの注文主だった貴族や大名家など富裕層の凋落、洋装への変化…。伝統織物の業界にとっては逆風の連続です。
この窮状の打開策を求めて、1872年、ジャカード織機を研究すべく、西陣からの代表団がリヨンを目指します。帰国後、これまでの技術にこの革命的な技術を統合し、1876年には日本初の木製ジャカード織機の開発に成功しています。この思い切った決断と行動によって、西陣織は技術革新に成功し、命脈をつなぐことになるのです。
西陣織と聞くと、私たちは「日本の伝統的な…」というイメージを持ちますが、その陰にはこうした背景があったのです。それを知れば、自身の生きた証とも言える最高傑作「源氏物語錦織絵巻」をフランスの地に託したいという思いの意味をより深く理解することができるでしょう。
なお、「源氏物語錦織絵巻」はフランスに寄贈されているものの他にもう1組存在し、それは山口氏が興した会社「紫絋」に保存されています。
染めは文学、織りは数学
染織に詳しくない方でも、この作品を実際に目にすれば、それがどれほどの偉業か瞬時にわかります。その流れるような美しいかな文字と雅なシーンが織物で表現されているとは信じられない、というレベルなのです。
「染めは文学、織りは数学」
筆者はかつて『美しいキモノ』という着物専門誌の編集に携わっていたとき、この言葉がとても好きで、しばしば頭に浮かべたものです。
絹地の上に模様を描く染めの技術は流麗自在な文学的な表現。それに対し、経糸と緯糸の交差で紋様を展開させてゆく織物は緻密な計算があってこそ可能になる芸術です。
「源氏物語錦織絵巻」を目にしたとき、筆者はやはりこの言葉を思いました。しかも、そこには文学と数学が見事に融合した突き抜けた美の世界があったのです。
新しい発見がある展覧会
記者発表の日、私たちはこの展覧会の立役者であるオレリー・サミュエルさんの立て板に水のごとく、知識とパッションが湧き出るような素晴らしい解説を聞きながら観覧するという幸運に浴しました。これほど日本美術、そして山口伊太郎氏の作品について熱く語れるフランス人の専門家がいるということに、私は胸が熱くなりました。
そして、帰宅後、収録した動画と写真を見返しているときに「おや?」と私は思いました。
(紋紙がない?)
前述の通り、この展覧会のキーワードであるジャカード織の核心ともいえる紋紙が見当たらないのです。(それでは話にならない)と、私は翌日あらためて展覧会場を訪れました。
けれども、どう見ても紋紙らしきものの存在がありません。
すると、その会場には幸運にも山口伊太郎氏の息子さん、野中明さんの姿がありました。前日の記者発表でもスピーチされていた野中さんは、「源氏物語錦織絵巻」のプロジェクトにずっと携わってきた方です。私は野中さんに思い切って尋ねてみました。
「紋紙がないように思うのですが」
すると、野中さんから私は想像以上の答えを得たのです。
次の世界の扉を開く偉業
「最初の十年間は確かに紋紙を使って作業を進めていました。けれども結局のところ、四巻を仕上げるのにすべて紋紙を使って作業を行おうとすると、この展示室3つ分くらいのエリアがないと収容しきれないほどの量の紋紙が必要なのです。というわけで、新しくフロッピーディスクに紋紙の機能を凝縮させる技術を開発しました。そしてそれが、日本の染織の世界のスタンダードになったのです」
つまり「源氏物語錦織絵巻」制作を通じて、フランスで生まれたジャカード織が京都でさらに別の次元の技術へと昇華していたのでした。
偉業を成し遂げるというのは、並大抵の精神力と行動力なしにはできることではないでしょう。けれども、それほどの難事業だからこそ、そこには次の時代を変えてゆくような新しい扉が開かれる。そのことを、「源氏物語錦織絵巻」は無言のうちに私たちに伝えてくれます。
マリー=アントワネットの漆芸コレクション
さて、この展覧会には他にもたくさんの見どころがあります。
一つは、マリー=アントワネットの漆工芸のコレクションです。彼女が大事にしていた日本の江戸時代の漆工芸の傑作の数々をほとんど手に取るような距離感で見ることができます。
ご承知の通り、マリーアントワネットはフランス革命という数奇な運命によって早世してしまいましたが、彼女が愛した漆工芸品はその激動を逃れ、現代までパリでこのように大切に保管されているのです。
また、『源氏物語』の世界観を伝えてくれる日本の各時代の工芸品の数々が、フランスにあるものだというのも驚きです。マリー=アントワネットコレクションもそうですが、屏風、駕籠など、この展覧会を構成する大半の作品が、日本からフランスに渡り、現地の愛好家たちによって現在まで伝えられてきたものです。
さらに、平安時代に始まり現代の漫画に至るまで、『源氏物語』がいかに日本の文化全般に影響を与え続けてきたかを、大胆なセノグラフィーによって見せているところも面白く、ここでもまた、日本の漫画がフランスでいかに人気かがわかります。
見どころの尽きないこの展覧会。何より、「源氏物語錦織絵巻」全巻が一堂に展示されるのは日本でもフランスでもとても貴重な機会です。展覧会期間中、パリに足を運ぶ機会のある方はぜひ訪れて、大傑作を目の当たりにしていただきたいと思います。
展覧会の様子は下の動画でも紹介しています。現地までお越しになれない方はこの動画から、作品の素晴らしさを味わってみてください。
Musée Guimet ギメ美術館
特別展「A la cour du Prince Genji (源氏の君の宮廷にて)」
2023年11月22日から2024年3月25日まで