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”アニメオタク差別”を変えた京都アニメーションの偉業と追悼と。

古谷経衡作家/評論家/一般社団法人 令和政治社会問題研究所所長
「アニメジャパン2015」展示会場(写真はイメージです)(写真:Natsuki Sakai/アフロ)

 ―アニメオタクの中で、京都アニメーションの存在を知らぬ者はいない。

 それほど京都アニメーションのアニメ業界における存在感は大きく、またファンや視聴者に与える影響力は計り知れないものである。今次、34名(犠牲者はまだ増える可能性がある、7月20日時点)もの無辜のクリエイター達の生命を奪い、数十名にも及ぶ重軽傷者を出した放火事件は、我が国の芸術・文化に対する明瞭なテロ行為であり、断固として許容することはできない。

 容疑者・青葉真司(41歳)には、回復後、法廷に引き出し、事実関係を整理し爾後の被害防止等に役立てたうえで、極刑を望む。

 京都アニメーションは、私たちアニメオタク(―あえて私たちと複数形で記するのは、筆者である私自身がアニメオタクのひとりであるからに他ならない)にとって、”アニメオタク差別”を変えた、つまり”アニメオタク差別”を超克する分水嶺を作った社として歴史に名を刻まれることになったアニメ製作会社である。その分水嶺とは、間違いなく2006年に京都アニメーションが製作した『涼宮ハルヒの憂鬱』シリーズである。

 京都アニメーションは、端的に言えばこの『涼宮ハルヒの憂鬱』で大ブレイクし、日本はおろか世界に冠たるアニメ制作会社としての地位を築いた。そして『涼宮ハルヒの憂鬱』を基準として、「それ以前」「それ以後」で、アニメオタク全般に対する社会の許容度は劇的に変革されたのである。

1】『涼宮ハルヒの憂鬱』以前のアニメオタクに対する偏見と差別の状況

差別と偏見(写真はイメージです:photoAC)
差別と偏見(写真はイメージです:photoAC)

 現在では信じられないことだが、この国にはほんの10~15年前まで、アニメオタクに対する根強い差別と偏見があった。1988年~1989年にかけて起こったM君事件(宮崎勤事件)の社会に対して与えた衝撃が、紆余曲折のうえ、オタク=二次元性愛者、アニメ愛好家、ロリコンなどと変換されていったのは、サブカル論を著した数々の類書に譲るとしてここでは詳述しない。

 しかし、少なくとも私が中学・高校生活を送った1990年代中盤から後半にかけて、アニメオタクとは、二次元性愛者を指す、という偏見と差別が、同じ年齢の非アニメ視聴者の生徒に強固にあったことは、私の経験から言ってまぎれもない事実である。

 実際私は、1998年に「CCさくら」(注:カードキャプターさくら・1998年~1999年放送)が特典とじ込みポスターとして付録されていた月刊アニメ雑誌『アニメージュ』(徳間書店)某月号を教室内に持ち込んで読書していたところ、「お前は二次元が好きなのか?」などと茶化された挙句、当該雑誌を取り上げられ、すわ床に叩きつけられ、表紙を何度も踏みつけられたという屈辱的経験を有する。

 そればかりではない。アニメオタクに対するいわれなき差別と偏見は、同じ年齢の非アニメ視聴者の生徒ばかりではなく、当然それより上の年齢層にも明瞭に蔓延(はびこ)っていた。

 実際私は、1998年に『カウボーイビバップ』(同年放送、全話放送完了は1999年)を熱心に視聴していたところ、父親から「まんが(―この年代の中年男性は、漫画とアニメーションの別なく、一括して”まんが”と呼ぶ傾向がある)は馬鹿の見るものだからヤメロ!」などと、『カウボーイビバップ』という不朽の名作、スペースオペラの金字塔として国際的に絶大な支持を未だに集める同作を全く理解しようともせず、「馬鹿の見るもの」と決めつけてさんざ理不尽な罵声を浴びせられた。

 こうしたアニメ作品に対する偏見やその愛好家に対するいわれなき差別は、父親の年代(当時、50代)に広範に存在したもので、決して私の父親だけに特有のものでは無かった。

2】アニメオタクは「一部の変人男子」観

アニメオタクに対する迫害(写真はイメージです:photoAC)
アニメオタクに対する迫害(写真はイメージです:photoAC)

 また、現在では信じられないことだが、90年代後半には「アニメオタクは一部の変人男子である」という世界観が、いまだ強固に存在していた。なるほど、いかにもアニメオタクは男子が多かったことは否定できない。忘れもしない1997年3月15日、『新世紀エヴァンゲリオン劇場版 シト新生』が公開された当初、中学3年生であった私は、公開翌日初回を見逃すまいと、前日深夜からまだ氷点下になる極寒の北海道札幌市の劇場前で十時間以上列をなした経験があるが、この列に並んだ99%は男子だった。

 この『新世紀エヴァンゲリオン劇場版 シト新生』はのちに「旧劇場版」の一部として包括されることになるが、もはや「エヴァ」と呼べば誰でも知っている2019年の現在からすると、当時「エヴァ」は、「一部の変人男子の間で人気のあるアニメ」という認識が一般的であり、現在と違って間違ってもカップルで劇場に行くような社会的寛容さのある空間ではなかった(―当然、エヴァファンには女子もいたが、劇場に足を向けるのは勇気のある行為であったと思う)。

『カウボーイビバップ』を「馬鹿の見るもの」と断定した父親は、当然「エヴァ」に対しても辛辣で、「そんなまんがばっかり見ていると、落ちこぼれて末はタクシーの運転手になってしまうぞ」などと、露骨な職業差別を口にして憚らなかったのは予想の範囲内であったが、同じ年齢の非アニメ視聴者の生徒ですら「綾波レイ」「惣流・アスカ・ラングレー」のどちらが好きか、という「エヴァ」愛好家同士の会話に対しても、「二次元性愛者が何か気味の悪いことを言っているぞ」という蔑視の目線を隠そうとはしなかったのである。

 余談だが、この時「綾波派」と「アスカ派」に大きく大別された「エヴァ人気女性キャラクター論争」では、私は少数派の「葛城ミサト派」だったので、「連中、二次元性愛者がうんぬんかんぬんと言われても、好きに言わせておけ」という反発心旺盛であったが、今思えばこれも、いわれなきアニメオタクに対する偏見と差別であることは言うまでもない。

「黒地に白字の明朝体」を用いると、「あ、これは市川崑監督のパロディで…」と言い訳したことの何度あったことか(―むろん、このエヴァ字体などと称される演出は、市川崑作品が起源となっているのだが)。「アニメに影響されている」と公言すること自体、当時は偏見と差別にさらされるリスキーな行為であった。

3】”アニメオタク差別”を変えた『涼宮ハルヒの憂鬱』と京都アニメーション

映画館(写真はイメージです:photoAC)
映画館(写真はイメージです:photoAC)

 こういった90年代末まで社会の隅々まで蔓延していたアニメオタクに対する偏見と差別は、ゼロ年代に至っても様々な形で残存していた。

 21世紀最初の記録的大ヒットとなったスタジオジブリの劇場版アニメ『千と千尋の神隠し』(2001年公開)は「健全認定」だが、全く同じ年に公開された『クレヨンしんちゃん 嵐を呼ぶ モーレツ!オトナ帝国の逆襲』は「到底大人の視聴に耐えられないガキの見るアニメ」(のちにこの作品は不朽の名作として名誉回復された)と勝手に決めつけられ、『カウボーイビバップ 天国の扉』は、「やっぱりオタクな男子が見る下らないもの」と、『カウボーイビバップ』の「カ」の字も知らない暗愚な非アニメ視聴者はそう言って「不健全」の烙印を押し続けた。

 しかし、このアニメオタクにとって漆黒の時代は、一つの作品の登場と大ヒットによって終えんを迎える。冒頭で記した『涼宮ハルヒの憂鬱』である。元来ライトノベルからアニメ化されたこの作品は、骨太のSF世界観と、切れ味のある突出した演出、何よりも極めて高い作品完成度により、瞬く間にアニメオタクの心をつかんだ。そればかりではない。『涼宮ハルヒの憂鬱』のエンディングで披露された通称「ハルヒダンス」の完成度に感銘を受けたティーンが、こぞって高校の文化祭でその模倣を始めたのである。

 アニメオタクがついに、オタク村の外壁を食い破って一般社会に浸潤した瞬間であった。それまでアニメオタクに対する「一部の変人男子」「二次元愛好者」というレッテル張りは、間違いなく『涼宮ハルヒの憂鬱』と「ハルヒダンス」の浸潤で劇的に変革された。「アニメが好き」「アニメに影響を受けている」という言葉が、社会の中に違和感なく浸潤し始めたのは、間違いなく2006年の『涼宮ハルヒの憂鬱』と、それを制作した京都アニメーションであり、これは世界史的偉業といえよう。

 それまでカラオケで、アニメソングを歌うと「キモイ」と白眼視された現場は、『涼宮ハルヒの憂鬱』第12話で主人公・ハルヒが熱唱する伝説の名シークエンス、いわんや日本史的奇跡のシークエンスにおける使用歌「God knows...」の登場によって、完全なる市民権を得た。現在、カラオケの履歴で「God knows...」が表示されても、奇異に感じる人間はいないはずだ。だがそれが市民権を得る契機は、京都アニメーションによってもたらされた劇的な革命の結果であったのである。

 私はこのように『涼宮ハルヒの憂鬱』が、この国の社会に「アニメーションとは文化であり芸術である」「アニメオタクは決して二次元愛好者でもキモイロリコンでも犯罪者予備軍でもない」という認識を一般社会に広く浸潤せしめた分水嶺であると信じている。

 そして政府が、「クールジャパン」だのなんだのと言いだして、麻生太郎がよく知らずにアキバ=アニメの街(―実際にアニメの街はアキバではなく中央線沿線である)などと言い出すに至ったのは、すべてこの『涼宮ハルヒの憂鬱』の大ブレイク以降のお話である。

 そして現在では当たり前のように、解説する必要もなく使用される、アニメロケ地へのファンの探訪―いわゆる「聖地巡礼(あるいはアニメオタクにとっての聖地という言葉の使用)」を本格的に浸潤せしめたのもこの『涼宮ハルヒの憂鬱』である(同作の舞台は兵庫県西宮市一帯)。

 京都アニメーションが『涼宮ハルヒの憂鬱』以降、次々にヒットさせた『らき☆すた』、『けいおん!』の舞台がそれぞれ埼玉県久喜市、京都府~滋賀県であり、そこにファンが殺到する現象が生まれたのも、東京に本社を置かない京都アニメーションがほとんど独自に考案し、そしてそれが浸潤した結果なのである。

 要するにゼロ年代以降、新しいアニメの変革の中心点には常に京都アニメーションが居た。この事実は誰にも否定できない(―そして、今次惨劇の舞台となった京都アニメーションの本社スタジオ自体が、アニメオタクにとってひとつの聖地であった。私も何度も社屋を見に行った。往時を思い出すと、落涙する)。

4】7月18日を忘れるな

 私は落涙する。アニメオタクが、誰の目を気にすることなく街で、学校で、職場で、アニメの話ができるようになった現在の姿に。アニメオタクが市民権を得た現在の姿に。私たちはいまや、いわれなき差別や無思慮な偏見に抵抗できぬ被差別者ではない。世界に向けて堂々とアニメオタクであると、胸を張って言えるようになった。その姿に私は涙する。

 そして私は落涙する。そのアニメオタクに対する永い偏見といわれなき差別を変革した京都アニメーションという世界の至宝が、野蛮な、たったひとりの男のテロによって襲撃された今次の事件の悲惨さに。

 令和元年7月18日。忘れるな。この日を忘れるな。文化と芸術に対する最大限の侮辱と攻撃に、私たちは断固として挫けない。テロには絶対に屈しない。京都アニメーションの復興を全霊を以て祈念すると共に、無辜の尊い芸術家たちの御霊の安らかなることを祈って…。(了)

作家/評論家/一般社団法人 令和政治社会問題研究所所長

1982年北海道札幌市生まれ。作家/文筆家/評論家/一般社団法人 令和政治社会問題研究所所長。一般社団法人 日本ペンクラブ正会員。立命館大学文学部史学科卒。テレビ・ラジオ出演など多数。主な著書に『シニア右翼―日本の中高年はなぜ右傾化するのか』(中央公論新社)、『愛国商売』(小学館)、『日本型リア充の研究』(自由国民社)、『女政治家の通信簿』(小学館)、『日本を蝕む極論の正体』(新潮社)、『意識高い系の研究』(文藝春秋)、『左翼も右翼もウソばかり』(新潮社)、『ネット右翼の終わり』(晶文社)、『欲望のすすめ』(ベスト新書)、『若者は本当に右傾化しているのか』(アスペクト)等多数。

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