リオ五輪のナイジェリア戦は、『手倉森ジャパン』に反する事態が起きた
リオ五輪の初戦を迎えたU-23日本代表は、4-5でナイジェリアに敗れた。初戦の大切さを噛みしめ、意気込み、臨んだ試合だ。ショックの大きさは隠せない。
守備が崩壊した5失点のほとんどは、個人戦術のミスに起因する。ダブルマークを突破されたり、ヘディングの目測を誤ったり、寄せの甘さを露呈したり……。選手たちは口々に「修正したい」と言うが、果たして中2日で修正できるレベルの課題なのだろうか。
チームの戦術ならば、すり合わせて連係を修正することができる。しかし、個人戦術は長い時間をかけて身体に染み込ませた、いわば習慣だ。「修正したい」と言っても、一朝一夕にはできない。逆にディテールに気を取られすぎると、もぐら叩きのように別の穴からミスが噴出する恐れがある。
連戦の中で、あまり生真面目に個々のミスを振り返っても、良い結果には結びつかない。それは大会が終わってから、時間をかけてやればいい。
むしろ、思い返したいのは芯の部分。チームのアイデンティティだ。手倉森ジャパンはどこからやって来て、どこへ向かう、何者だったのか?
2014年1月にチームが始動する前から、このリオ五輪世代は、アジアで勝てない世代と言われ続け、ワールドクラスと期待されるタレントにも乏しかった。手倉森誠監督は、その状況を「しめしめ」とばかりに、耐えて勝つチーム、焦れずに戦うチームを作り上げ、ついに2年後の2016年1月、リオ五輪最終予選を兼ねたU-22アジアカップで優勝を成し遂げた。
弱者からスタートしたチーム。相手をリスペクトして戦う、堅守速攻型。メンタリティーは、常に格下の挑戦者だった。
ところが、万全の準備を整えて待ち構えたマナウスで、周囲が騒がしくなる。ナイジェリアが来ないかもしれない。そんな話まで飛び交った。
落ち着いて考えれば、こんなことは国際大会の風物詩だ。給与やボーナスの支払いを巡り、選手がトレーニングをボイコットしたり、内紛に発展することは、アフリカの代表チームではよく起こる。
今回のナイジェリア騒動も、同じようなものだ。監督やスタッフに給与が支払われておらず、やはり金を巡ってトラブルが起きていた。飛行機が飛ぶ、飛ばないといった騒動は、その駆け引きに過ぎない。
相手は最悪のコンディションで来るのだから、日本が勝って当然だろう―。
もしかしたら、不戦勝もあるかも―。
甘い誘惑。「焦れない」「耐える」メンタリティーを築き、苦労を覚悟したチームを、“楽に勝てるかも”という色気が覆い尽くす。手倉森ジャパンのアイデンティティに反する事態だ。さらに、こんな相手に負けたら恥だと、不必要なプレッシャーが増す。
格下を自覚したチームにとっては、最悪の状況だ。むしろ、日本に勝ったナイジェリアのほうが、「逆境を跳ね返した」と海外メディアから称賛される始末。完全に挑戦者の立場が入れ替わってしまった。
日本は守備の個人戦術について、以前からミスが多かった。しかし、いくらなんでも、このナイジェリア戦は多すぎる。これほどのミスの連発は予期していなかった。ナイジェリアが仕掛けた”罠”と考えるのは難しいが、結果的に日本は、相手のお家騒動に巻き込まれ、挑戦者のメンタリティーに歪みが生じたのではないか。
これが国際大会。正直、悔いが残る試合ではあるが、覆水盆に返らず。次に向かうしかない。負けたチームが再び結束するのは簡単ではないが、コロンビア戦では元の立ち位置に戻り、挑戦者としてノビノビ戦う姿を見せてほしい。