カッコ良さを追求し20年 ”バンドからソロデビューしたギタリスト”の先駆け、千聖はかく語りき
当時、バンドを続けながらソロ活動をしていたギタリストは、hide(X JAPAN)だけだった
布袋寅泰、hide、そして千聖…いずれもバンドのギタリストでソロデビューしたアーティストだ。ギタリストのソロデビューも、今でこそ珍しくないが、1990年代は稀有な存在だった。当時、バンドを続けながらソロ活動をしていたギタリストは、hide(X JAPAN)だけだった。千聖は、PENICILLINとして1996年3月に鳴り物入りでメジャーデビューを果たし、7月には日本武道館公演2daysを行うなど、当時大きな注目を集めている中、その年の9月にソロデビュー。バンドのメジャーデビューとほぼ同時にリーダー/ギタリストがソロデビューという前代未聞の出来事は、業界内外を驚かせた。そんな千聖がソロデビュー20周年を迎え、古巣の徳間ジャパンから『千聖~CHISATO~ 20th ANNIVERSARY BEST ALBUM 「Can you Rock?!」』を6月7日にリリースした。強い意志を持ち続け、ファンに支えられ20年間音楽活動を続けてきた千聖の胸に今よぎる事とは?「続ける」事の大切さ、強さを改めて語ってもらった。
PENICILLINメジャーデビューの半年後ソロデビュー
まずは20年前を振り返ってもらった。東海大学のバンドサークルで知り合ったメンバーが1992年にPENICILLINを結成し、活動をスタートさせ、ほどなくインディーズで人気が爆発し、1996年3月にメジャーデビューを果たす。そしてその年の9月に千聖がソロデビューした。「正直自分もよくわかっていなかったんです。僕はギタリストとしてPENICILLINを結成して、歌が歌いたくてデビューしたわけではなく、ギタリストとして活躍したかった。当時はバンドが多くて、インディーズ時代からその中で特長というか武器を作りたいと思っていて、ビジュアル系のバンドのライヴにはMCという概念がまだなくて、お客さんを突き放すようなスタイルでした。でも僕らは、僕とドラムのO-JIROがしゃべったり、お客さんをいじってフレンドリーな雰囲気にして、近所のお兄さん的なノリをPENICILLINの中で出しました。ボーカルのHAKUEI君とベースのGISHO君(2007年脱退)は、ちょっと王子様的な方向に持って行って、僕は飛び道具でいいと思って。メジャーデビュー前の僕らのライヴには評判を聞きつけた色々なレコード会社の方が観に来てくれて、その時に徳間ジャパンの方が「PENICILLIN面白いね。特に千聖くんのしゃべりがいいね」と僕に興味を持ってくださって。PENICILLINは違うレコード会社からメジャーデビューしましたが、徳間ジャパンのその方は、「じゃあ千聖君ソロデビューしない?」と誘ってくれたのがきっかけです。
ソロデビューにあたっては、それまで歌った事がなかった千聖が歌う事になり、本人も戸惑ったという。「最初はソロデビューのスタイルはなんでもいいという感じだったので、僕はボーカリストと組んで、B’zさんのようなユニットを漠然と考えていました。でも「千聖さんに歌ってもらうことになりました」とレコード会社から決定事項として伝えられました(笑)」。
PENICILLINとは違う事をやるというコンセプトで、ソロデビュー曲はデジロック。賛否両論が巻き起こる
当然PENICILLINではできない事をやるという事になり、ベースになったのはやはり千聖が多感な時期に観ていたテレビ『ベストヒットUSA』や、ラジオの『全米TOP40』などで聴いていた、マイケル・ジャクソンやクリストファー・クロス、エアサプライ、プリンスなどの美しいメロディを湛えたポップスだった。「マイケル・ジャクソンが色々アーティストとコラボして作る音楽や、プリンスがビッグバンドっぽい音でやったり、女性コーラスやホーンセクションを入れる感じのものが好きでした。ピアノ中心の曲があってもいいと思ったし、PENICILLINにはない、できないもので、面白いことができればなんでもOKという感じでした」。
確かに千聖が作る作品のメロディはどこかAORの匂いがし、キャッチーだ。音のカッコ良さとキャッチーなメロディは間口が広く、PENICILLINのロックとは全く違っていた。「尊敬する人が織田哲郎さんと福山雅治さんで、織田哲郎さんの作るメロディラインは、本当に天才です。PENICILLINとはまた違う切り口で音楽を楽しめた事は、本当に贅沢だと思いました。バンドで成功するのも大変なのに、自分のソロプロジェクトも立ち上げて、一流のミュージシャンとライヴもできて、贅沢極まりないですよね」。
デビューシングル「DANCE WITH THE WILD THINGS」は打ち込み中心の、女性コーラスが印象的なデジロックで、ファンの間でも、音楽評論家や関係者の間でも賛否両論が巻き起こった。PENICILINの人気の高さもあり、そのあまりに毛色の違う音楽は、驚きを持って受け入れられた。「もっとシンプルなハードロックでくると思っていた人が多かったようで、でもジャングルビートとか打ち込みがバンバン入っていて、ギターもガンガン鳴っていて、当時はシーケンス主体か、ギターロックか、どっちかという感じだったので、その両方がミックスされている音楽は珍しかったと思います」。
「20代は人に協力してもらい土台作り。その後は餌は自分で手に入れるべく、行動してきた」
その後1998年にはPENICILLINの人気が全国区になってきた事もあり、その活動に専念するために、ソロ活動を一旦休止したものの翌年1999年にはシングル3枚、2ndアルバム、3rdミニアルバムとソロ作品をリリースし続け、ライヴもソロで日本武道館で行うなど、バンド活動と並行して行ってきた。そして2000年にはラスベガス公演を行い、それ以降はソロ活動はほとんど行っていない。2003年6月からはCrack6という別のソロプロジェクトをスタートさせ、そちらにシフトチェンジして今日に至る。バンド、ソロ、そして様々なアーティストとのコラボレーション、その時その時の考え方、状況を見据えた時代へのアプローチの仕方で、20年という時を駆け抜けてきた千聖は、変わらない“覚悟”を持ち続けていた。「20代は周りの人の協力もあって、土台となる部分を作ってもらいました。でもこの10年は自分の考えで動ける、というより土台を作ってもらったのだから、野生動物で例えるなら、餌は自分で手に入れなければいけないという思いで行動してきて。自分で全て決めて、自分の感覚でやってきて、でもそれがいつかできなくなる日は来るかもしれないので、それは覚悟してやっています。とりあえずやり続けられるまではやり続けようと。どうせこの世界入っているので、覚悟だらけだし、戦うためにやっていて、死ぬまで戦い続けるという感じで生きています」。
そして「売れる売れないという事よりも、最初からカッコいいことをやりたいという気持ちの方が強い。PENICILLINもそう。武道館でやりたいとか思って始めたわけではないですし、作るものにクリエイティビティの精度を求めているので、そこに納得していないもので、例えばグラミー賞を獲ってもうれしくないです」と、プロのクリエイターとしての視点が強い。とにかく頑張って勝ち獲った栄光から学ぶ事、得る事の方が多いという事だ。運も実力のうちとはいうが、ラッキーを手にして、実力もないのに売れてしまい、でもその後が続かず、消えてしまったアーティストがどれだけ多いことか。「よく若手のバンドの人たちがすぐ辞めてしまいますが、信じて始めた事だったら5年続ければ、なんとなく先が見えるというか、5年で大体結果が出ると思っていて。ツアーをやって、自分達の音楽、存在がこれだけ波及したと思っていても、でもそれは自己満足で終わっていないか、もっとできる事はないかと、あの手この手を繰り出して、結果が出るのに5年かかると思っています。僕自身がバンドを結成してから全国区になるまでに5年かかっているので」と自らの経験から、バンドの在るべき姿を伝えてくれた。
「音楽が全てを網羅できるという幻想は捨てるべき。だから変にもがき苦しむ必要はない」
CDが異常な程売れていた90年代の音楽シーンに身を置き、ダウンロード、サブスクリプション型音楽配信など、世界的にフィジカルよりもデジタルの勢いが強い、現在のシーンでも創作活動を続ける千聖にとって、改めて音楽との向き合い方とは?
「音楽というものは全てにおいて伝えられればいいものなので、メディアは関係ないです。勘違いしてはいけないと思います。音楽が全てを網羅できるというのは間違っていて。だから変にもがき苦しむ必要はないと思います。伝えればよくて、大それたものではないという事です。もちろん人を感動させる力もあるし、歌詞で励まされたりもする、かといって神様のような存在ではない。聴く人の好みだし、音楽に興味がない人もいるわけで。そのアーティストが“何か”を持っているというのを、いち早く感じる事ができるのはCDでもデジタルでもなく、やっぱりライヴだと思います」と語り、音楽を伝えるメディアは関係なく、その変化を憂う必要もなく、いい作品、カッコイイものを追及するのみというシンプルな考え方だ。そしてライヴの強さを改め強調する。
支えてくれたファンへの感謝の気持ちを込めたソロ20周年記念ベストアルバム
そんな千聖のソロ20周年を記念したベストアルバム『千聖~CHISATO~ 20th ANNIVERSARY BEST ALBUM 「Can you Rock?!」』は、ファン投票によって収録曲を決め、上位曲は再レコーディングした。色褪せないメロディと音が並んでいる。また、千聖名義としては約17年ぶりとなる新曲「Can you Rock」も収録されている。「僕の中では何も変わっていない20年のつもりでしたが、今回は自分の影響を受けた若いアーティストにも参加してもらっていたり、アイドルの仮面女子の人たちにも参加してもらったり、なるほど、20年って立派な年月だなと思いました。色々な人とセッションをやらせてもらった時に、岡本真夜ちゃんみたいに、20年間シーンで一緒に戦い続けて残ったからこそ、今またにコラボができるという感慨深いものもありました」。今回の作品には当時を知るミュージシャンを含め、豪華なメンバーが集結して、千聖のあらゆる世代の知り合いがこのアルバムで繋がった。「キャリアの長さは意識した事がなく、ただ日々戦っていて気付いたらここにいたという感じで。これはいつも思う事ですが、ファンの人たちが応援してくれなかったら、ここまでこういう形ではやって来れなかったと思います。それしかないんです。ファンのみんなに感謝の気持ちを込めて、今回は勝手に僕が選曲するよりは、みんなに選んで欲しかった。今は俺について来いというより、もっとみんなで盛り上げていきたいという気持ちが強くて、ファンの人たちの声を聞きたかった。みんなのベストだと思って欲しい」。千聖名義としては、約17年振りの新曲「Can you rock?」も収録される。ツアーも「千聖DAY」と「Crack6DAY」の2パターンのライヴを行う。Crack6のライヴのセットリストも、ファンからのリクエストを中心に組む。
20年の通過点を超え、これからやりたい事は?という質問には、「色々なジャンルの音楽のミュージシャンや、スポーツとか違う業界のカッコイイ人とコラボ―レーションしたい。自分が知らない世界を知りたいし、これまでの感じでやっていけると思ったらダメだし、とにかくコラボで刺激が欲しい」と答えてくれた。“生き抜く術”を知っているギタリストの頭の中には、すでに次の展開が見えているようだ。
<Profile>
千聖(チサト)。東京都出身、東海大学法学部卒。PENICILLINのギタリスト・リーダーおよびソロプロジェクトCrack 6のボーカル・ギターとして活動中。Crack 6での名義はMSTR(ミスター)。1996年3月PENICILLINのメジャーデビューと同年9月に、シングル『DANCE WITH THE WILD THINGS』(徳間ジャパン)でソロデビュー。10月には2ndシングル「Kiss in the moonlight」をリリース。11月に1stソロアルバム『ORGANIC GROOVER』を発売。その後も、1997年に『VENUS』、1998年『KICK!』を発売。1999年に海外公演、ハードロック・カフェが経営する、ハードロックホテルの「JOINT」にて日本人アーティスト初のラスベガス公演を行う。同年7月には2ndアルバム『CyberSoulPavillion』を発売。10月にはソロ名義で初日本武道館公演を行った。その後も2003年にはソロプロジェクトCrack 6を結成し、現在も活動中。2016年PENICILLINは25周年イヤー、ソロとしてはデビュー20周年イヤーを迎えている。