「いじめゼロ」「不登校ゼロ」の落とし穴――岩手県矢巾町立中学校の自死事案を手がかりに考える
■岩手県矢巾町で「いじめゼロ」が続いていた
岩手県矢巾町で、中学2年の男子生徒が、いじめをうかがわせる内容をノートに記して自死した。その事案について、矢巾町内のすべての小中学校(小学校4校、中学校2校)で、いじめの件数が昨年度から毎月「ゼロ」であったことが明らかとなった。
現実には、男子生徒は1年生の頃からたびたび、いじめと思われる状況を訴えてきたという。それにもかかわらず、学校から矢巾町に報告されていたのは「ゼロ」件だったのである。
本記事では、この「いじめゼロ」の問題を、もう少し深く掘り下げて考えてみたい。
というのも、「いじめゼロ」というのは、単に現実からかけ離れていたという点で問題であるだけでない。じつは「いじめゼロ」というのは、それがひとたび目標として設定されると、いじめ防止の邪魔をしてしまう。「いじめゼロ」が、いじめを助長してしまうのである。
■「いじめゼロ」という究極の数値目標
矢巾町は、2014年7月に「矢巾町いじめ防止基本方針」を策定している。そこで「いじめの防止の具体的取組」として、「いじめゼロに向けた子どもの主体的な取組を促進する」「『いじめゼロ・キャンペーン』などの啓発活動を行うなど、学校独自の取組を実施する」ことが明記されている。矢巾町は「いじめゼロ」を目標にしていたのであった。
行政が「いじめゼロ」という究極の数値目標を掲げると、何が起きるか。その答えは簡単だ。
教職員は、いじめらしき場面を見つけ出すことに、ためらいを感じてしまう。なぜなら、見つけてしまえば、「いじめゼロ」を理想視する教育委員会に対して、「いじめがありました」と報告することになるからだ。
■いじめは起きるもの―「ゼロリスク」からの脱却
矢巾町の越教育長は「ゼロであればいいという町教委の間違った考えが、学校や教員にも伝わってしまった」(産経ニュース:7/15)と述べている。「いじめゼロ」を目標としたことが、かえっていじめを見えにくくさせてしまったということである。
全小中学校の集計結果として「いじめゼロ」が続いていて、かつ「いじめゼロ」をスローガンに掲げる自治体において、「いじめがありました」と報告することのハードルは高い。こうして、いじめは隠蔽されていく。
「ゼロリスク」がもはや神話として知られているように、そもそも「いじめゼロ」の発想にはこだわらないほうがよいだろう。それよりはむしろ、いじめは起こるものであり、それが深刻化する前にいかにそれを発見し介入していくのか(教職員による介入から、ときに警察による介入まで)を考えたほうが、現実的な対応である。その意味では、「いじめゼロ」よりも「いじめ10件」(を見つけよう)と心しておくほうがよいとさえ言える。
■「不登校ゼロ」がもつ暴力性
最後に、さらに問題視すべき事態を一つあげておきたい。
いくつかの自治体や学校では、「いじめゼロ」にくわえて「不登校ゼロ」が目標に掲げられている(矢巾町の学校が該当するかどうかはわからない)。
「不登校ゼロ」ということはすなわち、いじめ等の理由で学校に行きたくなくなったとしても、それを許さないということである【注】。子どもに逃げ場は用意されていない。
それが、「いじめゼロ」の目標と合わさったとき、被害生徒にかかる負荷は大きくなる。なぜなら、「いじめゼロ」というスローガンは、上述のとおり、いじめを隠蔽する作用をもっているからである。
つまり「いじめゼロ」と「不登校ゼロ」が組み合わさったとき、学校は、いじめに向き合わないうえに、さらに子どもに登校を強要するという態度を取り得ることになる。子どもにしてみれば、いじめに苦しみながら、さらにそこからの逃げ道も断たれるという、地獄絵さながらのすさまじさである。
「いじめゼロ」や「不登校ゼロ」といった、一見すると理想的に思える教育目標は、まさにその理想のすばらしさゆえに、重大な問題を見えなくさせてしまうことがある(崇高な教育目標が、リスクを不可視化させている点は、新刊『教育という病』に詳述した)。
正しいはずの実践が、かえって子どもの苦悩を増大させている。正しさがもつ落とし穴に気づかない限り、子どもが救われることはない。
【注】
文部科学省の学校基本調査によると、「不登校」とは、年度間に30日以上欠席した「長期欠席者」のうち、その理由が「何らかの心理的、情緒的、身体的、あるいは社会的要因・背景により、児童生徒が登校しないまたはしたくともできない状況にあること(ただし、病気や経済的理由によるものを除く)」に該当する場合を指す。したがって、厳密にいうならば、29日間欠席したとしても、不登校にはカウントされない。
なお、不登校の件数は、いじめの件数と性質が異なっている。いじめは、教職員の認知に大きく左右されるが、不登校の場合は出席/欠席という客観的指標で整理されうるため教職員の認知の影響は相対的に小さい(詳しくは、「財務省に異議あり いじめ認知増で35人学級から40人学級へ? データの誤読、正反対の結論」)。したがって、不登校の件数をゼロに近づけるためには、子どもは無理にでも学校に姿をあらわさなければならない。
【写真の出典】
[www.ashinari.com 「写真素材 足成」]